ドルゴルスレンギンダグワドルジ
| 分類 | 儀礼用メカニズム(伝承物) |
|---|---|
| 関連地域 | 東部〜北東部 |
| 関連言語圏 | チベット系文語とされる資料群 |
| 伝承の焦点 | 共鳴音・符牒・占例 |
| 初出とされる時代 | 17世紀末の写本 |
| 学術的再発見 | 1907年の発掘報告とされる |
| 論争点 | 現物の真贋と「機構」の定義 |
ドルゴルスレンギンダグワドルジ(どるごるすれんぎんだぐわどるじ、英: Dorgorslengin Dagwadorji)は、中央ユーラシア圏で伝わるとされる「玉(たま)を鳴らす儀式用装置」の名称である。古文書では《ダグワ(dagwa)機構》と同一視される場合もあり、19世紀末に学術収集が始まったとされる[1]。
概要[編集]
は、儀礼の場で用いられるとされる「音響符号化装置」である。外見は革紐と金属環の組合せで説明されることが多く、装着者の呼気・掌の圧力・地面の振動を連動させ、特定のリズムを「鳴らす」とされる[1]。
一方で、近代以降の一部研究では、これは物理装置というより「朗唱と足拍子を同時に成立させるための規律体系」を指す語だとも解釈される。つまり、同名の“装置”が二重に語られている可能性があるとされ、解釈の揺れが研究者の関心を集めてきた[2]。このため本項目では、物理の部品と儀礼の手順を混ぜて記述する資料の流儀に従い、両義性を前提として論じる。
また、伝承の語尾に含まれる「ドルジ(dorji)」は、資料によって「金剛」「誓い」「守護」のいずれかに対応するとされ、装置の機能も“守るための音”へと拡張されたと説明されることがある。もっとも、誤訳と推定される箇所もあり、後述する《分解計測の流行》がその原因になった可能性が指摘されている[3]。
起源と成立[編集]
起源については、東部ステップの寺院共同体が「風向きを占う」作法を失いかけたのを、音の周期で代替しようとしたのが始まりだとする説がある[4]。同説では、初期の手順が“3回息を吐き、2回踏み、最後に環を左手で6分割に触れる”という妙に具体的な規則として書き残されたとされる。
この成立過程には、と称される現地の行政組織が深く関わったとされる。もっとも、は実在の役所名に酷似するように作られた“記録上の機関名”であった可能性があるとされ、近年では「行政文書の体裁を借りた写本」だという指摘が出ている[5]。
いずれにせよ、17世紀末の写本群では、が「風を聞き、村を守る器」と表現されたとされる。特に《貝殻を数える頁》と呼ばれる節では、儀礼の前に牧草の刈り株を“合計41箇所”数えるよう命じ、その数と鳴動の回数を一致させることで、年の出来を予測できるとされたという[6]。この“41”は、後世の写し直しの過程で“40”へ丸められた痕跡があるとも推定されており、伝承が移動しながら変形してきたことを示す材料とされている。
なお、同装置が「玉(たま)を鳴らす」と言われる背景には、寺院の金属職人が金剛杵の共鳴を利用した小型器具を試作し、最終的に儀礼全体の合図へ昇格したという、職能譚がある。これに関連して、音の周期を“ドーレ(dolé)単位”で記したとする説もあり、学術会議で“単位だけが先に独り歩きした”と揶揄されたことがある[7]。
技術的特徴と伝承の運用[編集]
資料の記述によれば、は、(1)革帯、(2)金属環、(3)共鳴板、(4)掌圧レバー、の4要素で構成されるとされる[8]。革帯は“乾燥後の伸び率が13.7%”になる温度帯でなめしたと書かれる例もあり、読み物としては面白いが、技術史としては不自然さを含むとされる[9]。
運用手順はさらに細かく、“儀礼開始から87拍目に環を上下させる”“9回目の息は口角を2ミリ上げる”のような、現場の癖を言語化した表現が見られる。これは音楽理論の用語が後世に導入された結果であるとも説明されるが、そもそも音楽理論が先にあったのではなく、儀礼の手順を記号化する必要が生じたことで音楽側の語彙に近づいたのだとする反対説も有力である[10]。
なお、“玉を鳴らす”という表現は直感的に物理現象を示しているようである。ただし、研究者の一部は、実際には装置そのものよりも、共同体が共有する「合図のタイミング」を固定する装置だったのではないかと述べている。ここでのポイントは、合図の統一が共同作業の同期率を上げ、結果として移動集団の事故率を下げたという社会的効果である[11]。
ただし、同期率の数字は資料によって割れており、“同期成功率は72.4%”とする写本もあれば、“91%まで上がった”とする別系統もある。この差は、環の摩耗や革帯の個体差ではなく、儀礼の“聞き取り役”が誰かで数値が変わると注記されている点が、かえって真面目な雰囲気を作っている[12]。
近代の収集と学術化[編集]
1907年の発掘報告と《測定狂》[編集]
近代の学術化は、一帯で活動したの調査隊が、1907年に“音響装置一式”と称する品を報告したことに始まるとされる[13]。報告書では、装置の主要部が「全長31.2センチメートル、環の内径18.6ミリメートル、共鳴板の厚さ2.3ミリメートル」と極めて具体的に記されている[14]。
もっとも、この段階で“誰がどこで分解したか”が曖昧であり、後の批判論文では「測定値が先にあり、現物が後から当てはめられた」可能性が指摘された[15]。しかし、当時の博物館職員は「数字が正確であることが正確さの代わりになる」と考えた、とも記されており、研究倫理の観点からは苦い笑いのある逸話になっている[16]。
なお、調査隊の通訳兼書記として名が挙がるのがである。彼は、装置の呼称を原語のまま音写しようとして途中で「ドルジ」という語を“誓約の護符”として説明したため、結果的に装置の意味が“道具”から“思想”へ膨らんだとされる[17]。この一件は、記録の翻訳が学術の方向性を決める好例としてしばしば引用される。
さらに、博物館内では“測定競争”が起き、同時期に同じ環を7回測ったところ「差が0.1ミリメートル出た」と報告された。翌年には「差0.1ミリメートルを誤差ではなく“鳴動の癖”と見なせる」とする小論が出され、学術界に一時的な《癖科学》が生まれたとされる[18]。
ラジオ時代の“音の民俗学”への転用[編集]
1930年代にはの一部研究者が、を「民俗の音響符号」としてラジオ番組で紹介した。番組名はで、聴取者に“あなたの地域の環も同じ拍で鳴るか”を問う形式だったとされる[19]。
この時、装置は実物から離れていき、テープに録音された擬似音が“同装置の音”として扱われた。結果、物理学の側から「共鳴板のない録音で、なぜ儀礼の同期率が再現できるのか」という疑義が生まれた。ただし民俗学側は、同期率は装置ではなく“意味づけ”によって生まれると主張したため、学際対立が長引いたとされる[20]。
また、放送局の局内資料では、聴取者の投書を「拍のズレ」として分類し、最頻値が“84拍”になったと記録されている[21]。この“84拍”が、元の写本に出てくる“87拍目”と近く、こじつけにも見えるが、両者の距離が近いことでむしろ信じられやすくなった、と後の回顧録に書かれている[22]。
社会的影響と受容史[編集]
は、儀礼の範囲に留まらず、集団の統率や移動の合図にも転用されたとされる。特に、1920年代の冬季輸送で、荷役の開始合図を統一する目的で“音響手順”が取り入れられたという記録がある[23]。
この転用は、行政組織の文書にも取り込まれた。たとえばの内部規程では、開始合図を“ダグワ式”と呼び、合図の遅延が1分を超えると積荷の揺れが増えると説明されたとされる[24]。ここでの遅延許容は「最大45秒」とされており、数字が細かい分、現場の切実さが想像されやすいが、後年には「根拠資料がない」として削除されたとされる[25]。
文化面では、寺院の写経の余白に、手順の符牒(例: “右-左-沈黙-持ち上げ”)が書き込まれるようになった。これにより、装置の扱いができない人でも、符牒だけで儀礼に参加できたとされる。結果として共同体の参加障壁が下がり、“声を出せない人のための参加形式”が生まれたのではないかとする社会学的解釈も存在する[26]。
一方で、都市化が進むと、儀礼が“技能”として商品化されたという。の手芸市場では、革帯を模した工芸品が売られ、「鳴動体験つき」として観光客に説明されたとされる[27]。この際、説明文はしばしば誇張され、装置の“鳴る回数”が“地震の前兆として使える”とまで言われたが、これは当時の科学者から強く否定されたとされる[28]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、現物証拠の不足と、数値の作法が“物語的”すぎる点にある。たとえば、同装置の「共鳴板の材質」をとして断定した古い報告がある一方で、別の系統ではと記され、さらに材質不明の写本も見つかっている。これらを「用途によって変えた」と説明する説もあるが、批判派は“用途が変わるなら、なぜ音の規則まで固定されるのか”と疑問を呈した[29]。
また、翻訳をめぐる問題もある。「ドルジ」が意味するものが、守護なのか誓約なのか金剛なのかで、装置の位置づけが変わってしまうためである。とくにの翻訳を採用する研究者は、装置を護符とみなす傾向があり、採用しない研究者は音響規律体系とみなす傾向があると整理される[30]。
一方、反論としては、共同体の記憶は現代の分類よりも“機能の共感”で保存されるという見方がある。つまり、材質が違っても、儀礼の同期が体験として一致すれば同じ装置として扱われる可能性があるというのである[31]。
ただし、もっとも笑いどころのある論争は、1950年代に出回った“再現キット”である。キットには「環を鳴らすには、指輪を外し、服のボタンを7個だけ残す」と書かれていたとされる[32]。ボタン数という条件は、儀礼の意味を守ろうとしたのか、単に誰かが現場で迷ったのか判然としないが、いずれにせよ研究者の間で「儀式が科学のふりをした」例として引用され続けている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Sükhbaatar Dorjbal『音響儀礼と同期規律:東部ステップ写本の再読』中央ユーラシア学会, 2011.
- ^ Margaret A. Thornton「Dialect and Device: The Alleged Dagwa Mechanism in Modern Radio Folk Studies」『Journal of Comparative Acoustics』Vol. 22 No. 3, 1934, pp. 141-199.
- ^ 張麗芬『北方運輸規程と民俗符牒の転用』北京交通文化研究所, 1968.
- ^ 【要出典】Khadar B. Naran「On the 87-beat Rule and Its Variants」『Proceedings of the International Sound Folklore Conference』第4巻第1号, 1956, pp. 12-37.
- ^ カドン・バヤルザヤー『通訳者の記録:ドルゴルスレンギン写本の翻字』旧大陸書房, 1909.
- ^ A. L. Vasilev『ステップの記号と道具:金属環の社会史』モスクワ東方史出版社, 2002.
- ^ Erdem Tömör「The 13.7% Leather Stretch Claim: A Methodological Critique」『Fabrication & Folklore』Vol. 9 No. 2, 1987, pp. 88-103.
- ^ 佐藤健次『博物館数値の物語学:測定狂の系譜』みやま書房, 2014.
- ^ L. H. Park『From Ring to Record: Radio Reenactment of Ritual Timing』『Archives of Ethnoacoustics』第12巻第4号, 1941, pp. 401-430.
- ^ 田中ミツヨ『ウランバートルの観光工芸と“鳴動体験”の宣伝』東北都市文化研究所, 1999.
外部リンク
- 玉環写本コレクション(架空)
- 北方音響民俗アーカイブ(架空)
- 博物館数値学ラボ(架空)
- ダグワ式手順解説ポータル(架空)
- 東方考古のデジタル写本室(架空)