ナッツ鑑定士
| 名称 | ナッツ鑑定士 |
|---|---|
| 英語名 | Nut Appraiser |
| 分類 | 食品鑑定職・嗜好評価職 |
| 発祥 | 日本・横浜港周辺 |
| 成立期 | 1958年頃 - 1970年代 |
| 主な対象 | アーモンド、カシューナッツ、ピスタチオ、くるみ、マカダミアナッツ |
| 関連組織 | 全国木の実鑑定協会、関東菓実流通研究会 |
| 資格制度 | 民間講習と徒弟制の併用 |
| 代表的評価法 | 割断音、油膜、香気残留、握力応答 |
ナッツ鑑定士(ナッツかんていし、英: Nut Appraiser)は、の品質・熟度・産地適合性・対人印象までを総合的に判定する専門職である。主として後期のとの菓子流通網で体系化されたとされ、現在ではとの境界領域に位置づけられている[1]。
概要[編集]
ナッツ鑑定士とは、木の実の外観、割った際の音、油脂のにじみ方、さらに試食時の会話の間合いまで含めて評価する職能である。鑑定結果は「一級」「保留」「贈答不適」の三段階で記されることが多く、昭和40年代の内の乾物問屋で実務的に整備されたとされる。
この職業が注目された背景には、戦後の製菓需要の増大と、輸入ナッツの品質ばらつきがあったとされる。また、当時の関係者が「果実と木の実を同列に扱うと市場が荒れる」と発言した記録が残るというが、一次資料の所在は不明である[2]。
歴史[編集]
前史[編集]
前史としては、後期の菓子司が胡桃の出来を見抜くために用いた「殻鳴り見立て」が挙げられる。これは殻を両手で軽く打ち合わせ、その反響の鋭さで乾燥状態を判断する方法で、の菓子問屋では帳場の娘が最も上手かったと伝えられる。
一方で、期にはを経由して大量の輸入アーモンドが入ったため、従来の経験則だけでは選別が追いつかなくなった。ここで港湾検疫と菓子商の折衝役として現れたのが、元技師のであるとされる。彼は「木の実は沈黙の干物である」と述べ、これが後の鑑定用語に影響したという[3]。
制度化[編集]
制度化は、川崎市の倉庫街にあった「関東菓実流通研究会」講習会で進んだとされる。講習では、参加者が温度23度・湿度61パーセントの部屋で100粒のナッツを同一スプーンで試食し、口中の残香を採点する訓練が行われたという。
には、中央区の老舗乾物商が協力し、ナッツを紙袋に入れて振った際の音圧差を測定する「袋鳴り指数」を導入した。これにより、耳の良い鑑定士は袋を持っただけで産地を言い当てるとされ、当時の雑誌『食流技報』は「もはや視覚の仕事ではない」と評した[4]。
黄金期[編集]
黄金期は前半である。高度経済成長に伴い、贈答用ナッツ缶の需要が急増したことで、百貨店各社が独自の鑑定士を雇用した。特にのでは、毎週木曜に「木の実講評会」が開かれ、鑑定士がスーツ姿で一粒ずつ判定票を読み上げる光景が名物となった。
この時期、最年少の鑑定士として知られるは、に当時19歳で「ピスタチオの割れ目角度と、贈答先の性格には相関がある」とする論文を発表した。内容は後に疑義を呈されたが、同時に接待文化の現場では妙に重宝されたため、要出典ながら影響力は大きかったとされる[5]。
鑑定法[編集]
ナッツ鑑定士の鑑定法は、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして「場の気配」を総合する点に特徴がある。標準手順では、対象を銀盆に並べ、右手で3粒、左手で2粒を持ち替えながら、殻の艶、粒の重み、指先に残る油分を確認する。
もっとも知られる手法は「割断音診」で、くるみやアーモンドを半分に割る音を前後の帯域で聴き分けるとされる。実際には鑑定士ごとに「甲高い」「乾いている」「商談向き」といった独自の形容が用いられ、標準化は困難であった。また、一部の熟練者はピスタチオを机上で軽く転がし、その止まり方から仕入れ業者の誠実さまで推定したという。
なお、が定めたとされる「五感+一気味」方式では、試食後30秒以内に水を飲まないことが重要とされる。これは口中の香気残留を測るためであるが、会合の最中に緑茶を飲んでしまい、ベテラン鑑定士たちが一斉に沈黙した事件がに記録されている[6]。
社会的役割[編集]
ナッツ鑑定士は、単なる食品評価者ではなく、贈答文化の調整役として機能したとされる。の中元歳暮売場では、のし紙の色や包装の厚みが適切でも、ナッツの粒揃いが悪ければ「相手に軽く見られる」とされ、鑑定士の判定が販売戦略に直接反映された。
また、やの接待においては、缶詰ナッツの選定が会議全体の空気を左右すると考えられていたため、鑑定士は秘書課から半ば準職員のように扱われた。あるの商社では、鑑定士が「本日のアーモンドは役員会議に向くが、営業部にはやや塩が立つ」と述べ、それを人事異動の暗示として受け取った社員が数名いたという。
さらに、地方自治体の観光振興にも利用され、やでは土産物の選定会に鑑定士が呼ばれた。特にの名産地では、鑑定士の評価が翌週の駅売店の売上にまで影響したとされ、地域経済に与えた波及効果は小さくなかった[7]。
批判と論争[編集]
ナッツ鑑定士に対する批判は、科学的再現性の乏しさに集中した。とくにの食品化学研究室がに行ったとされる比較試験では、同一ロットのアーモンドを5人の鑑定士に判定させたところ、産地推定が、、に分かれたという。
また、鑑定士の間で「油が立つ」「気配が軽い」といった形容が頻用されたことから、業界外では「詩人の仮面をかぶった選別人」と揶揄された。これに対し、全国木の実鑑定協会は「ナッツは数値だけでは救えない」と反論したが、同協会の機関誌が毎号やたらと縦書きで難解だったため、かえって神秘性を増したともいわれる。
なお、の「マカダミア一括誤鑑定事件」では、ある百貨店が輸入在庫2,400缶を全て贈答用上位品として販売し、年末に返品が相次いだ。これを受けて一部の自治体では、ナッツ鑑定士の名乗りに講習修了証を要するようになったが、地方紙では「木の実に免許は必要か」と議論が続いた[8]。
著名なナッツ鑑定士[編集]
は「ピスタチオの女王」と呼ばれた人物で、鑑定用の銀匙を6本使い分けたことで知られる。彼女はので、割れ殻の左右差だけで仕入れ先の倉庫の湿度を当てたとされるが、本人は「たまたまである」と繰り返していた。
は制度の礎を築いたとされるが、晩年はの茶房でくるみばかりを選んでいたという逸話が残る。客が「なぜくるみなのか」と尋ねると、彼は「最も沈黙に近いからである」と答えたという。
は戦後ので活動した女性鑑定士で、味見のあとに必ず紙片へ「場が丸い」「少し背が高い」などの短評を書き残した。この奇妙なメモは後に業界の定型句として流通し、現在でも古参の鑑定士のあいだで引用されることがある[9]。
衰退と再評価[編集]
以降、包装技術の向上と大量規格化により、ナッツ鑑定士の需要は緩やかに減少した。コンピュータによる水分計測や画像判定が普及し、従来の「耳と指先」に頼る手法は非効率と見なされるようになった。
しかし、後半になると、クラフト菓子店や高級カフェの間で再評価が進んだ。とくにの焙煎菓子店では、産地よりも「客の今日の気分に合うナッツ」を選ぶ需要が増え、若い世代が短期講習に参加する動きもみられた。
近年では、ナッツ鑑定士は実務職というより、食文化史を体現する技能者として紹介されることが多い。もっとも、ある講習会では受講者の半数が「鑑定」と聞いて資産査定だと思って来場したため、会場で大量のピスタチオが配られたという[10]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三島屋薫『木の実鑑定入門』関東食流出版社, 1971年.
- ^ 津村敬一郎『殻鳴りと市場心理』港湾文化研究所, 1966年.
- ^ 小森静枝「ピスタチオの割れ目角度に関する一考察」『食流技報』Vol. 12, 第3号, 1974年, pp. 14-29.
- ^ 黒田ミツ子『場の丸さとナッツ品質』大阪味覚文庫, 1980年.
- ^ Y. Hayase, “The Acoustics of Roasted Nuts,” Journal of East Asian Food Studies, Vol. 8, No. 2, 1979, pp. 101-118.
- ^ 渡辺精一郎「袋鳴り指数の標準化に関する覚書」『全国木の実鑑定協会会報』第4巻第1号, 1982年, pp. 3-11.
- ^ Margaret A. Thornton, “Gift-Grade Nut Evaluation in Postwar Japan,” Pacific Culinary Review, Vol. 21, No. 4, 1991, pp. 211-233.
- ^ 佐伯隆『百貨店贈答学の成立』白鳳出版, 1988年.
- ^ 石黒ユキ「マカダミア一括誤鑑定事件の検証」『流通と季節』第19巻第2号, 1988年, pp. 55-67.
- ^ A. C. Miller, “Why Nuts Need Appraisers,” The Journal of Invented Gastronomy, Vol. 5, No. 1, 2002, pp. 1-9.
外部リンク
- 全国木の実鑑定協会 公式記録庫
- 関東菓実流通研究会 アーカイブ
- 白鳳百貨店 贈答文化資料室
- 横浜港食流史研究センター
- 木の実鑑定士口述史プロジェクト