ヌルポンドゥクグィア
| 名称 | ヌルポンドゥクグィア |
|---|---|
| 分類 | 潮位・塩分記録装置 |
| 起源 | 1890年代ごろ、釜山港周辺 |
| 主用途 | 潮汐の予測、干潟航路の安全確認 |
| 材料 | 樟脳樹脂、竹針、貝殻灰、和紙 |
| 普及地域 | 釜山、、、下関 |
| 標準寸法 | 縦18.4cm、横11.2cm、厚さ3mm |
| 関連機関 | 朝鮮海事慣行研究会 |
| 現存資料 | 確認例14点、断片資料31点 |
ヌルポンドゥクグィアは、朝鮮半島南部で発達したとされる、薄い樹脂板に微細な孔を穿ち、との変化を記録するための民間計測器である。末から初頭にかけて、釜山周辺の漁師と測量技師のあいだで広く用いられたとされる[1]。
概要[編集]
ヌルポンドゥクグィアは、海面の上下と海水の粘性変化を同時に記録するために考案されたとされる小型装置である。外見は簡素であるが、内部には極めて細い溝が刻まれ、潮が引くたびにの帯へ塩粒が転写される仕組みを持つと説明されている。
この装置は、単なる漁労の道具ではなく、港湾の荷役時刻や干潟の通行可否を決める準公的な基準器として扱われたとする説が有力である。ただし、の記録に同名装置の記述が見つかる一方で、実物の大半は戦後に海辺の古道具商から出てきたものであり、来歴には不明な点が多い[2]。
名称の由来[編集]
「ヌル」は朝鮮語の古い港湾方言で「湿ったままの状態」を意味し、「ポンドゥク」は竹針で点を打つ音を模した擬音、「グィア」は「器具」または「小箱」を指す地方語とされている。もっとも、釜山国立大学の金在昊教授は、これを後世の収集家が勝手に整えた学術風の造語である可能性を指摘している[3]。
機構[編集]
本体中央の樹脂板には、1日を24等分した目盛りと、潮の干満に応じて動く竹針が取り付けられている。潮差が67cmを超えると自動的に貝殻灰が落下し、記録紙に斜線が生じる仕組みであったというが、同種機構が実際に安定して動作した例は少ないとされる。
歴史[編集]
成立[編集]
最初期のヌルポンドゥクグィアは、に釜山の草梁倉庫街で、元通訳官の朴辰洙が試作したものとされる。朴は日本から流入した気圧計と、地元漁師が用いていた潮札を融合しようとしたが、試作品は潮風を受けるたびに狂い、3か月で7回修理されたという記録が残る。
一方で、の冬に起きた「影島の逆潮事件」を契機に実用化が進んだという説もある。この事件では、干潮と満潮の見誤りにより荷船11隻が浅瀬に座礁し、損害は当時の港湾相場で約4,800ウォン相当に達したとされている[4]。
普及[編集]
には沿岸の塩田組合が採用し、翌年にはの海女組合にも配布された。特に女房衆と呼ばれた記録係が、装置の目盛りを赤土で塗り分けたことで、遠目にも読み取りやすくなったと伝えられている。
にはの商館でも模倣品が作られ、これが「ヌルポン式海況札」と呼ばれる簡略版につながった。なお、この簡略版は針が3本しかなく、潮汐というより占いに近かったため、実務での評価は分かれた。
衰退と再評価[編集]
に入ると、近代的なの導入により、ヌルポンドゥクグィアは急速に姿を消した。ところが、の収蔵庫整理で、木箱に「雨具」と誤記された本体が14点発見され、民俗工芸として再評価が始まった。
の『海と迷信の境界』展では、装置に記された塩粒の痕跡が「労働の暦」として紹介され、来場者の3人に1人が実際に潮汐計だと信じて購入希望を出したという。学芸員はこの年、展示説明を2度書き直したと回想している。
運用と社会的機能[編集]
ヌルポンドゥクグィアは、漁師の個人道具であると同時に、港町の合意形成装置でもあった。干潮時刻の解釈が割れた場合、最年長の記録係が装置を布で包み、半日置いてから再計測する慣習があり、これを「待潮」と呼んだとされる。
また、港湾税の徴収時刻をめぐる争いを避けるため、の前身組織が、月ごとにヌルポンドゥクグィアの「公定読み」を発行していたとされる。公定読みは実際には3種類存在し、季節ごとに微妙に違っていたため、商人たちは裏で最も都合のよい版を選んだという。これにより、同装置は科学器具であると同時に、きわめて便利な交渉材料にもなった。
一部地域では婚礼の日取りにも応用され、新婦側が「潮が落ちる前に嫁入りすべき」と主張する際の根拠にされた。なお、この慣行はの民俗調査で確認されたとされるが、調査票の半数以上が「見たことはないが、あると聞いた」に丸を付けている。
構造と製法[編集]
標準型のヌルポンドゥクグィアは、樟脳樹脂を熱して薄板に成形し、竹針を三重県産の節竹で作ったものとされる。表面には和紙が貼られ、最後に貝殻灰を水で練った白色顔料で封印印が押された。封印印の図柄は港ごとに異なり、型は魚骨、型は波紋、型は小さな櫓であった。
製作には湿度が重要で、湿気が45%以上の朝にしか組み立ててはならないという規定があった。これを破ると竹針が「先に潮を読む」状態になり、目盛りが1日ずれてしまうとされる。もっとも、現存資料の半数はそのズレを「個体差」として扱っており、当時から半ば黙認されていた可能性がある[5]。
材料の入手[編集]
樟脳樹脂はから、節竹はの山地から、和紙は経由で輸入されたとされる。輸送費は1基あたり銀貨2.7枚で、港の小役人は「高いが、潮に比べれば安い」と記したという。
改良型[編集]
以降は、記録紙の端に微小な鉛錘を付ける改良が施され、風の強い日でも紙がめくれにくくなった。この改良を提案したのは女性記録係の鄭順愛であるとされるが、彼女の名は展示図録にしか現れず、実在性にはなお議論がある。
文化的影響[編集]
ヌルポンドゥクグィアは、港町の言葉遣いにも影響を与えた。たとえば「今日はヌルだ」という表現は「潮が読めない」を意味し、転じて「予定が確定しない」の比喩として釜山の商人たちに使われたとされる。
また、1934年刊の風俗誌『浜の手帖』には、装置を婚礼の引き出物にする流行があったと記されている。貰った側は実用性に困る一方で、箱の底に小判が3枚入っていることが多く、結果として「中身より箱が重要な贈答品」として都市部の趣味人に受けた。
民謡にも痕跡があり、「ポンドゥク三拍子」と呼ばれる拍子が、潮待ちの暇つぶしとして歌われたという。楽譜は2点しか残っていないが、どちらも拍子記号が途中で変わっており、研究者の間では「そもそも踊るための歌ではなく、待ち時間の苛立ちを表す歌だったのではないか」とみられている。
文学への登場[編集]
の未刊草稿とされる『海辺の無口な器』には、ヌルポンドゥクグィアを見て「人は潮を測るのでなく、潮に測られている」とする一節がある。もっとも、この草稿は戦後にの古書店で見つかったため、後世の創作を疑う声も強い。
近代工芸としての再生[編集]
にはの民芸店が復刻版を制作し、観光客向けに「潮が読める箱」として販売した。実際には時計の針が入っているだけであったが、説明書に「満潮時、箱がわずかに鳴る」と書かれていたため、購入者の7割が夜に耳を当てたという。
批判と論争[編集]
ヌルポンドゥクグィアをめぐっては、当初から「民具にしては構造が複雑すぎる」「科学器具にしては記録が雑すぎる」という批判があった。特にの海事史学会では、実物のねじ穴が規格外であることから、後世の再製作品ではないかとの疑義が示された。
一方、保管状態のよい個体からは末の塩分結晶が検出されており、これをもって真正性を支持する研究者もいる。ただし、その結晶は「海に浸かった跡」なのか「展示室の加湿器の跡」なのか判別できず、議論は決着していない。
また、がに公表した復元図では、内部の部品数が当初の説明より4点多く、再現実験の成功率が12%にとどまった。この低さを受け、同会は翌年から実験の定義を「潮が読めた気がする」に変更したとされる。
要出典とされた記述[編集]
「港ごとに色分けされた目盛りは、暗闇でも見えた」という説明は、古い図録にしか見られないため要出典とされた。また、「装置に触れた者は必ず潮見を覚える」という民間伝承も、調査対象87人中2人しか証言していない。
現存資料[編集]
現存が確認されるヌルポンドゥクグィアは、博物館所蔵が9点、私人蔵が5点、所在不明の断片が31点である。最も有名な個体はが所蔵する「草梁第一号」で、表面に潮汐線のほか、明らかに子どもの落書きと思われる鳥の絵が残っている。
の赤外線撮影では、内部の記録紙に「今日は西風、明日は借金」と書かれた走り書きが発見された。これが製作者本人のメモであるのか、それとも後年の修理工によるいたずらであるのかは不明であるが、研究者のあいだでは装置の人間臭さを示す重要な証拠として扱われている。
なお、北海道の骨董市で発見された「北海型ヌルポンドゥクグィア」は、箱の中から乾燥昆布しか出てこなかったため、現在では模造品とみなされている。ただし、購入者は今なお「潮の匂いがした」と主張している。
保存状態[編集]
保存状態は個体差が激しく、樹脂板がほぼ完全に残るものから、竹針だけが妙に新しいものまである。修復家の間では、元の部材を残しすぎると動かない、残さなすぎると何も残らない、というジレンマが語られている。
デジタル復元[編集]
以降は3Dスキャンによる復元が試みられ、の公開モデルでは、内部構造が一応可視化された。しかし公開直後、モデルを回転させると針が画面外へ飛ぶ不具合があり、SNS上では「潮より先に行く装置」として小さな話題になった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
潮札
港湾民俗学
測潮儀
干潟暦
樹脂工芸
影島
草梁洞
海女文化
民間計測器
待潮
脚注
- ^ 金在昊『朝鮮港湾における民間潮位記録器の研究』釜山大学出版会, 2008.
- ^ 朴辰洙『影島沿岸史料集 第一巻』東亜史料社, 1912.
- ^ Margaret H. Ellison, "Portable Tide Registrars of the Southern Peninsula", Journal of Maritime Folklore, Vol. 14, No. 2, 1997, pp. 41-68.
- ^ 李順徳『浜辺の計測文化とその変容』韓国民俗学会, 1983.
- ^ Takeshi Morita, "Resin Boards and Salt Traces in East Asian Coastal Tools", Pacific Ethnography Review, Vol. 9, No. 1, 2004, pp. 115-139.
- ^ 国立中央博物館編『海と器具の民俗展 図録』国立中央博物館, 1972.
- ^ Choi Eun-jung, "The Nullpondguia Phenomenon and Harbor Tax Timing", Seoul Maritime Studies, Vol. 22, No. 4, 2011, pp. 203-219.
- ^ 山口武史『下関商館の雑貨と模造潮具』関門文化研究所, 1995.
- ^ 이정호『조선 후기 해안 측정구의 제작법』민속문화사, 2015.
- ^ Harold P. Wexler, "When the Tide Reads Back: Notes on a Curious Korean Instrument", East Asian Technical Antiquities Quarterly, Vol. 3, No. 3, 1968, pp. 7-29.
外部リンク
- 朝鮮海事慣行研究会アーカイブ
- 国立中央博物館 デジタル収蔵庫
- 港町民俗工芸フォーラム
- 東アジア潮具資料集成
- 草梁古具保存協議会