ネレネー記念
| 読み | ねれねーきねん |
|---|---|
| 発生国 | 日本 |
| 発生年 | 1896年 |
| 創始者 | 橘 ルカリオ(たちばな るかりお) |
| 競技形式 | 輪環分離競技(得点制の団体戦) |
| 主要技術 | 環輪操作(かんりんそうさ)と分離タイミング |
| オリンピック | オリンピック正式競技(1936年提案、最終採用は別競技へ変更) |
ネレネー記念(よみ、英: Nerenē Memorial)は、で生まれたのスポーツ競技である[1]。
概要[編集]
ネレネー記念は、複数の円環状リングを段階的に「分離」させ、その分離点と安定保持時間を合計して勝敗を決める団体戦のスポーツ競技である[2]。
競技名に「記念」とあるのは、1896年にの暫定試技会場で起きた「輪環の事故」への鎮魂と、以後の安全規格を定めたことに由来するとされる[3]。一方で、競技団体側は「記念は商品名の流用である」という説明も行っており、早期の史料では一定しない[4]。
試合においては、選手は専用の環輪操作器具でリング列を制御し、最後に指定された「分離目標リング」だけを残して離脱させることが求められる[5]。この性格から、観客には“手の中で物理現象を再現する競技”として受け取られることが多い。
歴史[編集]
起源[編集]
ネレネー記念の起源は、東京のにあった貸ホール「彩輪館」において、数学教育者の橘 ルカリオが「連結の失敗」を教材化したことにあるとされる[6]。ルカリオは、連結玩具が落下する瞬間の音を8分類(乾・澱・鈍・擦など)して学習効果を測ろうとし、その記録のうち最も再現性が高かった“澱が一拍遅れる現象”を再現する遊戯を試作した[7]。
ただし同時期の新聞記事では、実際の試技は「数学」ではなく、当時流行していた簡易エンジン模型の展示に組み込まれたとされる[8]。また別の回想録では、ルカリオの弟子・が偶然見つけた輪環構造(のちの分離バネ配列)の影響で競技化したとされ、起源の説明は複数ある[9]。
このように起源が揺れつつも、1896年の試技は「分離後に同一面へ戻る」ルールとして整理され、のちの安全規格(衝突許容角度と保持時間の上限)が制定されたとされる[10]。なお最初期は個人戦も存在したが、勝敗が偶然に左右されやすいとして1899年には団体戦が採用された[11]。
国際的普及[編集]
国際的普及は、第一次世界大戦前後ではなく、むしろ1920年代の国際体育博覧会において、が「輪環の制御」を機械工学教育の一環として紹介したことに由来するとされる[12]。博覧会では英語名として “Ring Separation Exhibition Match” と呼ばれ、翌年には簡略版の規則書が配布された[13]。
もっとも、当時のドイツ語資料では、競技の中心は“分離”ではなく“復元”だと記述されている。これは、現地審判が「リングが落下した瞬間」を採点していた名残であると推定されている[14]。
日本側では1930年代に国際化を進め、1932年に(IFRS:International Federation of Ring Separation)が発足したとされる[15]。一方で同連盟の議事録は欠損が多く、オリンピック正式競技の審査段階で“安全性テストが通らなかった年度がある”という指摘も存在する[16]。ただし、競技団体は現在も「オリンピック正式競技の打診があった」として公式資料に残している[17]。
ルール[編集]
試合場は、中央に分離目標リング列、周縁に緩衝ゾーンを持つ長方形コートである。コートサイズは公式規定では縦18.0m・横9.0mとされ、緩衝ゾーンは両端から1.2mずつ設けるとされる[18]。
試合時間は前半・後半各10分、休憩3分で構成され、団体戦は3人1組の6チーム方式が基本である[19]。分離操作は、各選手が合図後に最大で12回まで行え、その後は“強制安定フェーズ”に移行する。違反(13回目の試行)は自動失点で、失点は分離点×0.8点として計算されると明記されている[20]。
勝敗は総得点方式であり、主得点は「分離が成立したリング数(最大5)」に、成立タイミング係数(0.7〜1.3)を乗じて算出される[21]。なお、分離したリングが指定高さ(地面から0.35m)を逸脱した場合は、そのリングは“未成立”扱いとなるとされる[22]。
技術体系[編集]
ネレネー記念の技術体系は、環輪操作(かんりんそうさ)と呼ばれる手動制御技術の階層化に基づく[23]。基本技は「押し・滑り・回し・微揺(びゆらし)」の4種とされ、微揺が最も難度が高いとされる[24]。
環輪操作における得点差は、単なる接触の有無ではなく“分離タイミングの遅れ”で付く。審判は音響センサー(登録名:澱拍計)を用いて、リングが外れた瞬間の遅延をミリ秒単位で採点するとされる[25]。この遅延が理論値の±12ms以内に収まった場合、成立タイミング係数が1.2に固定されるという[26]。
また、技術には「返戻(へんれい)動作」と「留鎖(りゅうさ)姿勢」があり、分離後の安定保持は身体の“面角”が規定範囲(水平から42°±2°)に収まる必要がある[27]。この身体要件が、観客からは“競技というより演武に見える”と評されることがある一方、選手からはトレーニングの負担が大きいという不満もある[28]。
用具[編集]
用具は、分離対象となる標準リングと、選手が操作する環輪操作器(通称:マルチハンドリング)で構成される[29]。標準リングは直径30mm、材質は規定上“弾性複合体”とされるが、実際にはコート内の湿度に応じて摩擦特性が調整されると指摘される[30]。
マルチハンドリングは、手首側の4枚スライダーと、先端の微圧パッドでできている。選手はスライダーの角度を試合前に固定し、試合中の変更は禁じられている[31]。ただし、固定角度を“記念用に”一部だけ例外的に緩める運用があったという証言もあり、審査現場では混乱があったと記録されている[32]。
審判用の澱拍計は、コート端の柱に取り付けられ、リング落下音を解析する装置として扱われる[33]。なお、装置の較正値は毎試合ごとに更新されるとされ、2020年代の公式運用では補正係数が小数第4位まで公開されることもある[34]。
主な大会[編集]
主な大会としては、年次の、国内混成の、そして国際向けのが挙げられる[35]。
ネレネー記念選手権は、毎年9月の第2日曜にで開催され、過去の参加枠は国内登録チーム98、海外招待チーム12、計110組とされることが多い[36]。一方で運営上の都合で、雨天時は参加組数が110から108に圧縮された年があると報告されている[37]。
国際大会では、“分離成立率”が高いチームが評価される傾向が強く、成績の高騰が問題視されることもある。そのためIFRSは2021年から「成立率だけで順位が決まらない係数」を導入したとされる[38]。ただし導入経緯については、審判団の利害調整があったのではないかという疑念も指摘されている[39]。
競技団体[編集]
競技団体としては、国内では(JARS)が統括する。JARSは選手登録、用具検定、審判講習を担当しており、検定は年2回(春季・秋季)に行われるとされる[40]。
国際面では(IFRS)が大会認定と規則改定を担う。規則改定は原則として2年ごとの総会で行われ、改定案は「澱拍計の基準値」と「安全保持姿勢の角度」を中心に協議されるとされる[41]。
また、選手のメンタル面を評価する“記念指数(Memorial Index)”を導入しようとした動きがあり、賛否が分かれていたとされる[42]。この記念指数は、勝敗とは別に観客投票を絡める案であったため、競技の純粋性を損なうとして反発も起きたと報じられている[43]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 橘 ルカリオ『輪環の音学入門—澱拍計の理論と実技』文輪書房, 1898.
- ^ 北見ミオ『連結玩具から競技へ:分離の遅れを読む』彩輪館出版部, 1904.
- ^ “澱拍計採点法”『国際スポーツ技術年報』第3巻第2号, IFRS, 1931, pp. 41-66.
- ^ 山岸 由貴『輪環の復元はなぜ美しいのか』潮文堂, 1939.
- ^ Klein, E.『Mechanical Pedagogy of Ring Separation』Berlin Institute Press, 1926, Vol. 12, pp. 115-149.
- ^ Fujikawa, S. & Thornton, M.『Judging Delay in Elastic Composite Rings』Journal of Sport Physics, 1952, Vol. 7, pp. 201-233.
- ^ 日本環輪競技協会『競技規則(改訂)—ネレネー記念:第4版』JARS, 1987.
- ^ 国際環輪競技連盟『オリンピック採用審査記録:リング分離案(原本抄)』IFRS会議資料, 1936, pp. 9-22.
- ^ 佐倉 ヨシノ『安全角度42度—選手を守る技術史』環輪医科学出版社, 2006.
- ^ Petrov, I.『Sound-Delay Scoring and Spectator Legibility』International Review of Score Systems, 2019, Vol. 33, pp. 77-98.
外部リンク
- 澱拍計データアーカイブ
- 日本環輪競技協会 公式規則
- IFRS 世界輪環大会 参加記録
- 彩輪館(アーカイブサイト)
- ネレネー記念 選手名簿