バジール・スルドイカ
| 名称 | バジール・スルドイカ |
|---|---|
| 読み | ばじーる・するどいか |
| 分類 | 半発酵保存食、儀礼食 |
| 起源 | 19世紀後半の黒海交易圏 |
| 主な材料 | 発酵乳、燻製唐辛子、塩蔵羊肉、蒸し麦 |
| 関連地域 | オデーサ、ヴァルナ、コンスタンツァ |
| 儀礼的用途 | 冬至、婚礼、船出の祝宴 |
| 標準的熟成 | 14日から21日 |
| 代表的器具 | 錫張りの壺、白樺の押し蓋 |
バジール・スルドイカは、から沿岸にかけて発達したとされる、香辛料を用いた半発酵保存食の一系統である。のちに末期の都市台所で洗練され、の移民社会を通じて独自の料理・儀礼へと展開したとされる[1]。
概要[編集]
バジール・スルドイカは、発酵乳に香辛料と穀類を合わせ、短期熟成させて食べる保存食であるとされる。南東部や沿岸部では、冬季の塩味補給と来客の饗応を兼ねる食文化として記録されてきた[2]。
一般には料理名として理解されることが多いが、実際にはの間で用いられた配給容器の名称が先であったという説が有力である。ただし、19世紀末の交易記録においてはすでに「食べるもの」と「運ぶもの」の両義で使われており、語義の揺れが大きい[3]。
名称と語源[編集]
「バジール」は、の bazir に由来し、もともと「湿った火」を意味する港湾俗語であったとされる。一方「スルドイカ」はの古い語根 surd- と、保存壺を表す -oika が結びついたもので、直訳すれば「鈍い酸味の壺」となる[4]。
にの民俗学者ドゥミトル・アレクサンドレスクが採集した手稿では、夜の船倉で発酵音が鈍く響くことからこの名が生まれたと説明されている。なお、同手稿の末尾には「名称の由来は二十七人に聞いたが、全員が少しずつ違う」とあり、後世の研究者を困らせた[5]。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源はの後、沿岸の難民集住区にあるとされる。移動生活に適した高塩分食品として考案され、最初は羊乳ではなく馬乳を用いていたという記録もあるが、馬乳版は保存中に泡立ちすぎるため早々に廃れた[6]。
では、冬になると船乗りが壺を共同で埋め、後に掘り出して食べる「地中熟成法」が流行した。掘り出した壺の数を村で競う習俗があり、の祭ではが一度に開封され、味見役の司祭が三回連続で咳き込んだという。
都市化と標準化[編集]
に入ると、の食品工房「ネヴァ商会」が工業化に成功し、瓶詰めのバジール・スルドイカを月産まで増産した。これにより、香りを弱めた「都市型」と、酸味を強めた「港湾型」という二大流派が成立したとされる[7]。
しかし、時代の衛生基準により、発酵壺への木製押し蓋が「過度に詩的である」として一時禁止された。代替として金属蓋が導入されたが、金属臭を嫌う料理人たちが夜間にの塩水で洗浄してから使ったため、かえって味が不安定になったという。
国際化[編集]
戦後、の移民市場を経由してやの高級食材店に流通し、1950年代末には「Basil Surdoika」として英字新聞でも紹介された。だが、英語圏の記者は basil をハーブのと誤読し、しばらくのあいだ「香草入りヨーグルト」として伝えたため、初期の評判はひどく分かれた[8]。
にはの民族料理研究会が試食会を開き、参加者のうちが「料理というより気分の問題である」と回答した。これが逆に話題を呼び、儀礼食としての地位が確立したとみられている。
製法[編集]
標準的な製法では、発酵乳に対し、塩蔵羊肉、蒸し麦、燻製唐辛子、乾燥ディルを加える。混合物を錫張りの壺に詰め、白樺の押し蓋で密閉してから寝かせる[9]。
熟成の途中で表面に薄い青緑色の膜が張ることがあるが、これは「見張り」と呼ばれ、悪天候の日ほど厚くなると信じられている。の古老たちは、膜が壺の縁を三周したら完成の印であると語るが、食品学者のは「三周する前に食べるのが本来の作法」と反論している。
家庭ごとの差異も大きく、系の家では蜂蜜を一滴だけ加えるのに対し、系では乾燥柘榴を混ぜる。どちらも「祖母のやり方」と説明されるため、実際にどの配合が原型かは定まっていない。
文化的意義[編集]
バジール・スルドイカは単なる保存食ではなく、季節の境界を示す食べ物として扱われてきた。特にの夜には、最初の一口を東窓に向けて食べる習慣があり、これにより「翌年の風向きが家に向かう」とされた[10]。
また、では新郎側が壺を一つ持参し、新婦側がその壺を開ける役を担う。壺のふたがきれいに外れると祝福、外れずに割れると「家計が堅い」と解釈されるなど、意味づけが非常に柔軟である。一部地域では船出の際にも用いられ、航海の無事を願って甲板に少量を塗る風習が残るとされる。
社会的影響[編集]
半ばのでは、バジール・スルドイカの製造権をめぐって小規模な組合争議が起きた。とくにのでは、発酵壺の保管棚をめぐりとが三日間にわたって押し問答を続け、結果として「食品である以上に設備である」という奇妙な通達が出された[11]。
一方で、保存性の高さから災害備蓄食としても注目され、の後には救援物資に含まれた。被災者の証言によれば、配給されたのうち実際に食べ切れたのは半分ほどで、残りは「匂いで復興を思い出した」という理由で集会所に飾られたという。
近年は観光資源として再評価され、やの郷土料理店で小皿提供されている。ただし、現地の若者の間では「一口目は尊敬、二口目は覚悟、三口目は友情」と冗談めかして語られ、完全な大衆化には至っていない。
批判と論争[編集]
バジール・スルドイカをめぐる最大の論争は、それが本当に「料理」なのか「発酵儀礼」なのかという点にある。の報告書は、同食品の利用実態のうちが供食以外の目的であったと結論づけたが、調査対象が全員保存壺の所有者だったため、方法論に疑問が呈された[12]。
また、には一部の輸入業者が「バジル由来の健康食品」として販売し、から表示改善を求められた。これに対し生産者側は「そもそもバジルは入っていない」と反論し、かえって話題になった。なお、成分表に「家族の記憶」が記載されていたロットが一件見つかり、現在も要出典のまま保留されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Alexandrescu, Dumitru『Notes on the Surdoika Jars of the Western Black Sea』Balkan Ethnographic Press, 1908, pp. 44-61.
- ^ コヴァチュ, ミレナ「バジール・スルドイカの膜形成と熟成温度」『黒海食文化研究』第12巻第3号, 1974, pp. 201-219.
- ^ Petrov, N. A.『Fermented Harbors: Food and Port Labor in the Danube Littoral』University of Sofia Press, 1982, pp. 88-113.
- ^ アレクサンドレスク, ドゥミトル「ヴァルナ周辺における壺埋設習俗」『民俗学季報』第7巻第2号, 1911, pp. 12-39.
- ^ Thornton, Margaret A.『The Loudness of Quiet Brines』Cambridge Maritime Studies, Vol. 5, No. 2, 1999, pp. 77-96.
- ^ 伊藤 恒一『東欧発酵食の社会史』港湾文化出版, 2004, pp. 145-168.
- ^ Suleiman, R.『Surdoika or Surdoyka? A Philological Misreading』Journal of Slavic Culinary Studies, Vol. 18, No. 1, 2016, pp. 3-28.
- ^ 中村 祐介「オスマン末期都市台所における保存食の標準化」『食文化論集』第21巻第4号, 2012, pp. 55-79.
- ^ Bălan, Ioana『The Winter Table of Constanța』Black Sea Heritage Monographs, 1967, pp. 9-34.
- ^ Wellington, Peter『A Curious Case of Basil in the Basin』Food & Empire Review, Vol. 9, No. 4, 1959, pp. 112-127.
外部リンク
- 黒海発酵食アーカイブ
- バルカン食文化研究センター
- 港湾料理民俗図書館
- 東欧保存食年鑑
- スルドイカ壺博物館