バス満員
| 分類 | 都市交通・群衆工学・生活文化 |
|---|---|
| 起源 | 1954年頃の関東地方の路線網 |
| 提唱者 | 東京交通文化研究会(通称: TTC研) |
| 主要利用地域 | 東京都、神奈川県、大阪市、名古屋市ほか |
| 関連装置 | 補助ステップ、降車ベル連動圧縮柵、車内密度計 |
| 社会的効果 | 通勤儀礼の固定化、譲り合い規範の強化 |
| 代表的事案 | 1978年の朝ラッシュ圧縮事件 |
| 国際比較 | 香港のミニバス、ロンドンのピーク便と比較される |
バス満員(バスまんいん、英: Bus Fullness)は、における乗車定員を事実上または心理的に超過した状態を指す概念である。日本では中期以降、都市交通と群衆行動の交点として独自の発展を遂げたとされる[1]。
概要[編集]
バス満員とは、が形式上の定員に達した、あるいは乗客の体感として「これ以上は入らない」と判断される状態を指す用語である。単なる混雑ではなく、立席の折り重なり方、手すりへの依存率、降車客の動線が失われる度合いまで含めて評価される点が特徴とされる。
この概念は、戦後の都市圏で輸送力不足を説明するために生まれたとされるが、後年にはやの分野にも流入した。なお、交通行政の文書では一時期「乗車密度極限」と呼ばれていたが、現場では発音しづらいとして定着しなかったという[2]。
歴史[編集]
黎明期[編集]
起源は、系統の郊外路線で、車内の立席数を巡って運転士と改札係が口論した記録に求められる。これを整理したのがの初代会長、であり、彼は車内の「満ちた状態」に三段階の名称を与えた。第1段階が「混み」、第2段階が「満員」、第3段階が「バス満員」であるとした[3]。
制度化[編集]
には内の非公式勉強会で、満員状態を定量化するための「車内圧縮率」指標が導入された。これは1平方メートル当たりの人体接触回数を10分単位で測るというもので、当初は荒唐無稽と批判されたが、の一部路線では実用上かなり役に立ったとされる。なお、同年の実験で導入された「無言乗車推奨札」は3日で撤去された[4]。
拡張期[編集]
になると、通勤ラッシュの常態化に伴い、バス満員は一種の社会現象として扱われた。からにかけての路線では、毎朝8時13分発の便が「満員の完成形」として撮影会の対象になり、研究者のあいだでは「朝の密度標本」と呼ばれた。ここで撮られた写真の一部は、後にの常設展示に採用されたという[5]。
分類[編集]
定員到達型[編集]
車両の定員に達した瞬間に成立する最も古典的な型である。運転士がドアを閉める際、最後尾の乗客がかろうじて袖口だけを残す現象が特徴で、これを「袖口定着」と呼ぶ地域もある。特にでは、押し込み役の係員が存在したという証言が残るが、真偽は確定していない[6]。
心理到達型[編集]
数値上はまだ余裕があっても、乗客全員が「満員だ」と認識した時点で成立する型である。車内の会話量が急減し、新聞紙の折り音だけが響く状態に達すると、熟練者はこれを見抜くとされる。1981年の調査では、発の便でこの型が最も多く観測されたという。
儀礼到達型[編集]
年末年始や祭礼時にのみ発生する特異な型で、乗客が互いに「どうぞ」「いえいえ」を2回以上繰り返した後、誰も降車せずに発車する状態をいう。研究者の間では、社会的礼節が空間的限界を上回る現象として珍重された。とくにの初詣輸送で顕著であったとされる[7]。
社会的影響[編集]
バス満員は、日本の都市生活における忍耐の尺度として広く受容された。学校教育では直接扱われないものの、通学路の体験談として共有され、世代間で「昔はもっと満員だった」という語りが形成された。
また、広告業界はこの状態を逆手に取り、車内広告に「一度は見られるべき面積」といった文言を掲出した。特にの調査では、満員便の広告視認率が通常便の2.7倍に達したとされ、以後、車内中吊りの配置設計が大きく変わった。
批判と論争[編集]
一方で、バス満員を文化として肯定する姿勢には批判もある。交通権の観点からは、満員状態の美化が輸送改善の遅れを招いたとの指摘がある。また、の朝ラッシュ圧縮事件では、乗客数を過少申告したまま増便を見送ったとして、に対する苦情が1,200件を超えたという。
ただし、当時の担当課長であったは「バス満員は異常ではなく、都市の呼吸である」と答弁したとされ、この発言が新聞各紙で大きく報じられた。なお、答弁録の原本はの倉庫火災で失われたため、現在も引用のたびに表現が微妙に揺れる。
研究と測定[編集]
以降、バス満員の研究は工学的手法を取り入れ、車内の肩接触面積、吊革到達率、降車ボタンへの反応遅延を総合して算出するようになった。とりわけが開発した「満員指数M-14」は、朝6時台から9時台までの6路線で標準装備とされた。
興味深いのは、研究班の一部が人間ではなく新聞束を乗客代わりに積み込み、満員状態を再現していたことである。これにより、実車試験よりも先に「折りたたまれた朝刊の回復速度」が指標化されたが、交通委員会ではおおむね好意的に受け止められた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『都市車内圧縮論』交通文化社, 1961年.
- ^ 三好正彦『満員状態の行政学』日本輸送出版, 1979年.
- ^ A. Thornton, "Bus Fullness and Civic Patience", Journal of Urban Mobility, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 1984.
- ^ 佐藤久志『バス車内密度の測定と礼節』運輸調査会, 1972年.
- ^ M. G. Harlow, "Peak Load Behavior in Japanese Bus Corridors", Transportation Review Quarterly, Vol. 8, No. 1, pp. 101-118, 1976.
- ^ 東京交通文化研究会 編『朝ラッシュ観測報告 第4集』私家版, 1969年.
- ^ 小林美津子『乗客はどこまで入るか』都心書房, 1988年.
- ^ 林田一郎『満員の民俗誌』青空館, 1993年.
- ^ J. P. Mercer, "The Sleeve-Anchor Phenomenon in Overcrowded Buses", Mobility Studies, Vol. 5, No. 2, pp. 9-31, 1990.
- ^ 『乗車密度極限試験要領』運輸省内部資料, 第2版, 1962年.
外部リンク
- 東京交通文化研究会アーカイブ
- 国立交通博物館デジタル展示室
- 都市密度観測センター
- 朝ラッシュ研究フォーラム
- 日本群衆工学協会