バハノコ
| 名称 | バハノコ |
|---|---|
| 別名 | 潮木札、方位止め |
| 起源 | 18世紀後半、バリ島沿岸部と長崎で同時発生したとされる |
| 主材料 | 漂着木、貝灰、塩、唐紙 |
| 用途 | 航海安全、家屋方位の調整、祭礼時の結界 |
| 中心人物 | 渡瀬了斎、ニョマン・アルタ |
| 分布 | 日本、インドネシア、マレー半島の一部 |
| 禁忌 | 満潮時の開封、北向きの設置 |
| 現代の継承 | 民俗学博物館、観光土産、オンライン複製 |
バハノコは、の沿岸部で発達したとされる、塩分を帯びた木片を主材料とする民間の護符および測量補助具である。18世紀後半にの船大工との蘭学者が接触した際、偶然に体系化されたと伝えられている[1]。
概要[編集]
バハノコは、細長く削った木片に塩と顔料を染み込ませ、方位を定めるために用いる民俗的な道具である。表向きは護符として扱われるが、実際には漁村での潮位観測や家屋の梁の歪み確認にも使われたとされる。
名称は系の航海語と、古い方言の「のこ」(残り木)に由来するという説があるが、では「後世の説明が先に立った例」として扱っている。なお、地方によっては「バハノコを三本束ねると嵐が一日遅れる」と信じられたとされる[2]。
起源[編集]
長崎港での発見[編集]
、の出島周辺で、という蘭学者が、漂着した木片に貝灰を塗ったものを持ち込まれた記録がある。了斎はこれを「潮の向きを読む板」と呼び、の測量帳に似た記号を書き込んだとされる。ところが、木片は翌日になると微妙に反っており、関係者はこれを「海の機嫌」と解釈したという。
バリ島の祭礼具[編集]
一方、のでは、船大工のが、余った帆柱の切れ端に塩を擦り込み、祭礼の行列で方角を示すために使っていたとされる。現地では、これは神事の装飾ではなく「風向きの文句を聞くための耳」と説明され、年に4回だけ開かれる潮祭でのみ許可された。
製法と構造[編集]
典型的なバハノコは長さ18〜27センチメートル、幅2〜3センチメートルで、片面に黒、もう片面に赤の塗り分けが施される。中央部には貝殻粉で小さな点が打たれ、これが「潮の目」と呼ばれる。
製法は地域差が大きく、系のものはヒノキ材、系のものはヤシの芯材を用いることが多い。乾燥工程では48時間以上、海風にさらすのが通例であるが、実際には雨の日に急いで作った方が効くという俗説があり、民俗誌にはしばしば例外として記録されている。
また、完成品を三角形に束ねて神棚へ置く「三束法」が知られる。これは期の地方博覧会で標本として紹介され、なぜかの職員が実用品として購入したことで広く普及したといわれる[3]。
利用[編集]
航海と漁撈[編集]
漁村では、出航前にバハノコを海水に30秒浸し、浮き上がり方でその日の波を占った。表面の赤が先に乾くと遠洋へ出る、黒が残ると湾内に留まる、という独特の判断基準があり、のある集落ではこの判定を破ると魚群に嫌われるとされた。実際に、の記録では、バハノコの勧告に従わなかった船団が12日間ほぼ無漁だったとされるが、これは潮回りの不一致だった可能性が高い。
家屋と方位[編集]
家屋の梁に吊るす用途もあり、特に新築時にバハノコを北東の柱へ当てると、湿気と口論が半減すると信じられた。下の大工組合では、に試験的な採用が行われ、28軒中19軒で「家鳴りが減った」と報告されたが、報告者の半数は同一人物であった可能性がある。
学術的受容[編集]
バハノコが学界で注目されたのは、に民俗学者のが『潮木札考』を発表してからである。佐伯は、バハノコが単なる護符ではなく、潮流と木材の含水率を同時に読む「半科学的装置」であると論じた。
これに対し、工学側からは「偶然の反りを霊験として誤認しただけ」との批判もあったが、の木材実験室では、塩分濃度0.8〜1.3%の環境で板材の曲がり方が統計的に偏ることが示され、議論は一時的に収束した。なお、この実験ノートは火災で失われたとされるが、復元版だけが妙に整っているため、後年の研究者の間でしばしば話題になる[4]。
社会的影響[編集]
20世紀中頃になると、バハノコは沿岸部の土産物として再解釈され、やの市場では、観光客向けに金箔を貼った「開運バハノコ」が流通した。これにより、本来の潮位観測機能は急速に忘れられた一方、家内安全の象徴として新たな地位を得た。
また、にはの前身機関が、漁港の防災教育教材としてバハノコを採用し、児童に「風を読む木」として配布した。配布数は全国で約42,700本に及んだとされるが、同年の台風被害が軽減したかどうかは統計上判別が難しいと報告されている。
批判と論争[編集]
バハノコをめぐっては、宗教的護符であるのか、実用的な測具であるのかが長らく争点であった。の一部地域では「売買した瞬間に効力が落ちる」とされ、観光商品化に反対する声があった。
一方で、にが発行した冊子では、バハノコの効能を「湿度の高い地域における心理的安定効果」と説明し、完全に非科学的とも言い切れない立場を採った。しかし同冊子の巻末注で「満月の夜に玄関へ立てると家族会議が長引く」と書かれており、学術性に疑義が呈された[5]。
現代の継承[編集]
現在では、の一部工房と近郊の民芸市場で、バハノコの復元品が製作されている。特に若年層には、スマートフォンの磁気方位と組み合わせた「デジタル・バハノコ」が人気であり、アプリ連動型の製品も登場した。
ただし、古式の製法を守る職人の中には、塩を混ぜる順番を三回変えると「本来の海が戻る」と主張する者もいる。こうした説明は民俗学的には裏付けがないが、毎年の夜にだけ妙に売れるため、完全には否定されていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯千春『潮木札考』東洋民俗研究所, 1931年.
- ^ 渡瀬了斎『海路木片覚書』長崎蘭学会, 1790年.
- ^ N. Artawijaya, “Bahanoko and the Tidal Board Tradition,” Journal of Maritime Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 44-68, 1978.
- ^ 山根美佐子『沿岸部における護符の工学的再検討』京都木材工学出版, 1959年.
- ^ 佐藤恒雄『風を読む木: バハノコの地域差』南島文化社, 1984年.
- ^ M. H. Thornton, “Salt, Driftwood, and the Geometry of Belief,” Pacific Anthropological Review, Vol. 7, No. 1, pp. 101-129, 1966.
- ^ 小野寺京子『観光土産化する民俗具』現代民俗選書, 1992年.
- ^ R. S. Paloma, “On the Three-Bundle Method in Coastal Households,” Asian Material Culture Studies, Vol. 18, No. 2, pp. 233-247, 2004.
- ^ 『バハノコ復元マニュアル』民俗工芸振興会出版部, 1987年.
- ^ 高橋信吾『満潮時の開封禁忌に関する比較研究』港湾民俗学会誌, 第5巻第2号, pp. 17-39, 1971年.
外部リンク
- 国立潮木資料アーカイブ
- 南島民俗工芸データベース
- 長崎出島文化研究会
- バハノコ保存協議会
- 東南アジア海民文化センター