ビュッホ
| 名称 | ビュッホ |
|---|---|
| 別名 | 風鳴り紙、開閉笛 |
| 分類 | 紙製玩具・民俗芸能 |
| 発祥 | 東京都深川一帯 |
| 成立 | 1928年頃 |
| 主な用途 | 児童遊戯、祭礼、学校教材 |
| 材質 | 和紙、蝋引き紙、細竹 |
| 禁忌 | 雨天での使用を避けるとされる |
| 代表的団体 | 日本ビュッホ保存協会 |
ビュッホは、薄い紙片を円筒状に折り込み、風圧または手指の弾性で「ビュッ」と鳴らしてから「ホ」と開く遊戯具、ならびにそれを用いる日本の民俗的演目である。末期の周辺で成立したとされ、のちにとして全国へ普及した[1]。
概要[編集]
ビュッホは、紙を折り畳んだ胴部に空気を送り込み、瞬間的な膨張と収縮によって独特の発音を生じさせる道具である。形状は笛に似るが、息で鳴らすのではなく、開閉の勢いで音を作る点に特徴があるとして扱われることもあるが、地方によってはの口上と一体化していたため、単純な玩具としては分類しにくい。
成立の経緯については諸説あるが、後の復興期に、紙芝居の余り紙を再利用する中で偶発的に生まれたという説が有力である。とくにの材木問屋街では、荷札や帳簿紙が大量に出るため、子どもがそれを巻いて遊んだことが原型になったとされる[要出典]。
一方で、は、起源をさらに遡らせ、後期の船大工が板材の反りを調べるために用いた「鳴り紙」の作法が転用されたものだと主張している。この説は地元研究者の間でも支持者が多く、玩具史と職人文化が交差する珍しい例として紹介されることが多い[2]。
歴史[編集]
成立期[編集]
最初期のビュッホは、からにかけて内の小学校で試験的に導入された。発案者はとされ、当時教育局に勤務していた彼が、騒音を抑えつつ児童の肺活量を測れる教材を求めた結果、偶然に完成したと伝えられるの記録では、初期型は長さ14.7センチ、折り目数11、胴部の断面比1:3.2であったという。
ただし、同時期の深川地区にはすでに「びゅっ、ほ」と声を合わせて紙筒を開く遊びがあり、これが学校教育に取り込まれた可能性も高い。1929年の『深川児童風俗誌』には、寒天問屋の軒先で30人ほどの子どもが一斉に紙を鳴らし、通行人が馬を驚かせたために一時使用禁止になったという記述が残る。
普及と標準化[編集]
初期になると、の外郭団体であるが、ビュッホを「近代的かつ静かな発声玩具」と位置づけ、全国の尋常小学校へ配布した。1934年版の配布要綱では、1学級あたり12本、予備2本の計14本が標準とされたが、実際には折り目の誤差が大きく、平均成功率は67.4%にとどまったとされる。
この時期には、の紙器会社・が量産に成功し、月産2万8,000本を記録した。さらにでは、の陶磁器窯で余熱乾燥させる独自製法が生まれ、同社の「窯出しビュッホ」は保存性が高いことで知られた。なお、1937年の博覧会では、長さ1メートルを超える大型ビュッホが展示され、操作にを要したという。
戦後の変容[編集]
後、紙不足により一時衰退したが、のによる「紙あそび復興週間」を契機に再評価された。この頃から、従来の和紙に代わって蝋紙や包装紙が用いられ、音の立ち上がりが鋭くなったことで、児童の間では「ビュッホ・ショック」と呼ばれる競争遊戯が流行した。
またには、の子ども向け番組『あそびの窓』で紹介され、1週間で問い合わせが3,412件に達したとされる。番組では、司会者が「口で鳴らすのではない、紙に鳴かせるのである」と説明したが、翌週には視聴者から「実演が難しすぎる」との投書が相次ぎ、番組内に専用の折り方図解が追加された。
構造と作法[編集]
ビュッホは通常、胴部、口部、返り紙、止め糸の4要素からなる。胴部は空気をためるための空洞で、返り紙は音の終端を制御するために付される。止め糸は実用上は飾りであるが、古老の間では「糸が赤いほど音が遠くまで届く」と信じられている。
演奏作法には三段階があり、第一に「吸い込み」、第二に「据え」、第三に「返し」である。とりわけ第二段階では、の保存会が定めた角度41度が理想とされるが、実際には39度から43度の範囲であれば合格とされる。熟練者はビュッホを連続7回開閉し、最後の一回だけ音を遅らせる「間(ま)落とし」を行う。
この技法は、者のによって「音のない瞬間を鳴りに変換する東アジア的装置」と評された。もっとも、彼女の論文はの紀要に掲載されたものの、図版がすべて逆さまに印刷されていたため、後世の研究者を長く混乱させた。
地域文化[編集]
では、・・の三地域で流派が異なる。深川流は音の大きさを重視し、日本橋流は折り目の均整を、向島流は鳴らした後の沈黙の美を重んじるとされる。毎年の第2土曜に行われる「深川ビュッホ回し」では、子ども72名が一斉に紙を開閉し、その音がの水面で反響する様子が名物となっている。
地方では、の雪国地域において、ビュッホをストーブの上で温めてから使う「暖簾鳴らし」が伝わる。またでは、火山灰を避けるために油紙製の改良型が作られ、灰が入り込んだ際の音程変化を楽しむ独自の鑑賞法が成立した。これらの変種は、いずれも保存会の審査では「準正統」とされている。
社会的影響[編集]
ビュッホは単なる児童玩具にとどまらず、、、にも影響を与えた。1950年代後半には、口腔機能訓練の補助具として一部ので採用され、高齢者向け講座の受講率が12.8%上昇したと報告されている。
また、の際には、観客誘導の効果音として試験運用され、開会式リハーサルで「鳴りが揃いすぎて軍楽隊と区別がつかない」として中止された。この件は後に「ビュッホ事件」と呼ばれ、の内部資料にまで言及があるという。
一方で、学校現場では「授業中に鳴らすと机間巡視の足音が聞こえなくなる」として一部の地域で禁止されたこともある。禁止札には「一日三回まで、しかも窓を開けて」と書かれていたが、実際には誰も守らなかった。
批判と論争[編集]
ビュッホをめぐっては、その成立史の真偽をめぐる論争が絶えない。とりわけにの比較民俗学研究室が発表した論文は、起源をの紙鳴り器具に求める仮説を提示し、保存協会との間で激しい応酬を生んだ。ただし、論文の付録に掲載された図がすべてトレーシングペーパーで隠されていたため、今日では資料批判の教材として扱われることが多い。
さらに、1980年代には「ビュッホの音は実際には紙ではなく、内部に仕込まれた微細な竹片が鳴っている」とする疑惑が流布した。これに対し、は工場見学会を開き、来場者2,106人の前で製造工程を公開したが、最後の一工程だけカーテン越しに行われたため、かえって疑念を深めたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『紙鳴玩具概説』日本玩具研究社, 1932, pp. 41-68.
- ^ 中村さやか『深川の児童風俗と鳴り紙文化』江戸民俗出版, 1978, pp. 112-139.
- ^ Harold P. Winchell, "Accordion Paper Toys in East Asia," Journal of Comparative Play Studies, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-226.
- ^ 田所義明『昭和初期における学校遊戯の標準化』文芸春秋教育部, 1989, pp. 55-79.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Buecho as a Device of Negative Sound," Transactions of the Pacific Folklore Society, Vol. 7, No. 2, 1971, pp. 88-104.
- ^ 『深川児童風俗誌』深川郷土資料館叢書, 第4巻第1号, 1929, pp. 9-31.
- ^ 小林実『ビュッホと戦後紙事情』日本紙器史研究会, 1957, pp. 14-46.
- ^ Elizabeth K. Morrow, "The Quiet Toy That Roared," Play and Education Review, Vol. 19, No. 1, 1985, pp. 3-27.
- ^ 『日本ビュッホ保存協会会報』日本ビュッホ保存協会, 第18号, 1996, pp. 1-22.
- ^ 山本千晶『音なき音具の民俗学』新潮社, 2004, pp. 203-241.
- ^ Christopher L. Dane, "A Missing Fold in the History of Buecho," East Asian Material Culture, Vol. 5, No. 4, 2011, pp. 150-173.
- ^ 『風鳴り紙の世界』という題の報告書があるが、巻号表示がなく書誌情報の整合性に難がある。
外部リンク
- 日本ビュッホ保存協会
- 深川民俗玩具アーカイブ
- 東京紙鳴文化研究所
- 児童遊戯標準化資料室
- Buecho Research Network