マジカルゴンドラパパンゴ
| 正式名称 | マジカルゴンドラパパンゴ |
|---|---|
| 別名 | MGP装置、パパンゴ式浮遊桟橋 |
| 分類 | 都市景観演出・仮設搬送機構 |
| 起源 | 19世紀末のベネチア周辺とされる |
| 主な用途 | 祝祭行列、観光導線の分岐、臨時の水上移動 |
| 普及地域 | イタリア、日本、オーストリアの一部 |
| 代表的構成 | 浮桟橋、折り畳み舷梯、鐘鳴り筐、紙灯籠式表示盤 |
| 管理団体 | 国際パパンゴ運用評議会 |
| 危険等級 | B-2(低速時のみ認可) |
マジカルゴンドラパパンゴは、上に仮設される小型搬送装置と、用の演出機構を組み合わせた都市景観の一種である。主にの運河都市に起源を持つとされるが、現在では東京都や大阪市のイベント空間でも限定的に用いられている[1]。
概要[編集]
マジカルゴンドラパパンゴは、のような細長い船体に、に近い可動式の屋根と光学演出を加えたもので、狭い運河や広場を横断する際に用いられるとされる。名称は、設置時に鳴らされる木製の打鍵機構「パパンゴ音」から来たという説が有力である[2]。
この装置は移動手段としてだけでなく、都市の祭礼を一時的に「浮かせる」ための象徴装置として扱われ、しばしば式の伝統と日本の万国博覧会装飾が混淆した奇妙な文化産物として説明される。なお、19世紀末の初期型は乗員3名・乗客8名が標準であったが、1930年代には安全対策の名目で乗客定員が12名に拡張され、同時に重量が約1.7倍になったとされる[3]。
歴史[編集]
起源と発明[編集]
起源については、にの造船技師ジュリオ・マルケッティと、興行師エレオノーラ・ビアンキが共同で考案したという説が最も知られている。彼らは、運河沿いの仮設観覧席が高潮で流される事故を受け、観覧席そのものを小舟に載せてしまう案を思いついたとされる[4]。
当初の試作機は、竹材とニス塗りのトネリコ材で組まれていたが、夜間照明としてを積んだために重心が上がり、初回公開時には岸壁へ緩やかに傾いたまま15分間停止した。この事故が逆に観客の拍手を呼び、以後「傾いているほど良い」とする美学が形成されたという。
普及期[編集]
、で開かれた都市博覧会では、行政側が交通整理の一環としてマジカルゴンドラパパンゴを導入し、来場者の導線を水路側へ迂回させる実験が行われた。これにより、普通の出入口よりも平均で11分早く退場できることが確認され、以後「出るのが早い催事は良い催事」とする不文律が広まったとされる[5]。
大正期の日本へは、横浜の貿易商を通じて「魔術的船台」として紹介され、東京の浅草周辺で試験運用された。ここで重要な役割を果たしたのが、土木技師の渡辺精一郎と装飾家の小暮せつであり、両者は船上に折り畳み式の鳥居を載せることにより、宗教施設でも遊戯施設でもない独特の位置づけを獲得した。
制度化と衰退[編集]
1958年にはが設立され、重量上限、鐘の数、灯具の色温度などが細かく規格化された。とくに「鐘は7回まで」「紫光は一演目につき18秒以内」という条文は有名であり、各地の施工業者に強い影響を与えた[6]。
しかし、以降はモータリゼーションと景観保護の双方から圧力を受け、常設型は急速に減少した。一方で、観光振興策として短期貸与される例が増え、現在では年平均32件ほどの公的設置申請があるとされるが、そのうち実際に稼働するのは半数前後であるという[7]。
構造[編集]
典型的なマジカルゴンドラパパンゴは、底部の浮体、中央の客席、上部の演出枠の三層からなる。浮体は浅瀬でも安定するよう幅広に作られ、中央部には観客の視界を遮らないよう、わずかに透ける漆塗りの欄干が用いられることが多い。
また、演出枠には製の小鐘、折り畳み式の旗、香料を噴出する筒が設けられ、夜間にはそれらが同時に作動することで「進んでいるのに止まって見える」効果を生むとされる。なお、試験機の一部には魚群の動きを誘導するための微弱な低周波装置が搭載されていたという記録があり、これは後年、観光案内のための「水面下の拍手」として再解釈された[8]。
運用と儀礼[編集]
運用時には、まず先導員がで桟橋の鎖を三度叩き、次に鐘役が短く2回、長く1回の順で鳴らす。これにより周囲の見物客が「開始」を理解する慣習が成立した。いずれの所作も安全上の意味は薄いが、儀礼性を高めることで群衆の移動速度が平均17%低下し、結果として事故が減ったと説明されている。
地方によっては、乗客に小さな紙片を配り、通過中に願い事を書くと下流の自治体で回収される「パパンゴ流し」が行われる。これは京都の伝統行事との河川祭が奇妙に混ざったものとされ、文化庁の非公式調査では、参加者の約4割が「何をしているのか完全には分からないが楽しい」と回答したという[9]。
社会的影響[編集]
マジカルゴンドラパパンゴは、都市の観光政策において「移動を見せ物化する」発想を広めた点で重要である。これ以降、やでは、通常の歩道橋や可動桟橋にも装飾を施す流れが生じ、結果として「通れるが、通りたくない」設備が増えたと指摘されている。
また、広告業界では、短時間で印象を残す演出を「パパンゴ化する」と俗称するようになった。とくに1990年代のテレビCMでは、商品名を言う前に鐘を鳴らし、最後に水しぶきでロゴを出す構成が一時的に流行した。この用法は現在でも一部の制作会社で残っているが、法務部門からはたびたび注意を受けている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、まず安全性である。初期の装置は湿度の高い日に木材が膨張し、舷梯が1〜2度ずれることがあったため、から「儀礼に対して構造が貧弱である」との勧告を受けた。これを受けて規格化が進んだが、今度は過剰に厳密になりすぎ、設置費用が通常の仮設舞台の約4.8倍に達したとされる[10]。
さらに、一部の文化史研究者は、マジカルゴンドラパパンゴの起源が本当ににあるのか疑わしいと主張している。彼らは、最古の設計図に記された「Papango」という語が当時の方言に由来する可能性を指摘しているが、反論側は「設計図の余白に描かれた魚の顔がイタリア的である」として譲らない。
派生形[編集]
派生形としては、空中索道を応用した「スカイ・ゴンドラパパンゴ」、地下水路向けの「サブテラ・パパンゴ」、および児童向けの簡易版「ミニマルゴンドラ」が知られている。とくにスカイ・ゴンドラパパンゴはオーストリアの山岳観光地で実証されたが、強風時に鐘の音だけが先に到着するため、案内表示の意味が薄いと評された。
日本では、地方の祭礼で用いられる簡易型が「動く山車(だし)」と混同されることがあるが、厳密には山車が前進するのに対し、パパンゴは周囲の空間を祝祭化する点が異なると説明される。この説明は便利である反面、ほとんどの利用者にはあまり役に立たない。
脚注[編集]
脚注
- ^ ジュリオ・マルケッティ『水上演出機構の系譜』ヴェネツィア工芸出版, 1902.
- ^ 渡辺精一郎『港湾祝祭装置論』東京臨海学会, 1921.
- ^ Eleonora Bianchi, “On the Acoustic Signature of Floating Ceremonial Platforms,” Journal of Urban Ritual Studies, Vol. 14, No. 2, 1931, pp. 81-109.
- ^ 小暮せつ『浅草水路装飾考』帝都美術社, 1928.
- ^ 国際パパンゴ運用評議会 編『MGP安全規格集 第3版』ブリュッセル事務局, 1964.
- ^ Harold T. Winser, “The Social Utility of Decorative Transit,” Proceedings of the Institute for Civic Spectacle, Vol. 7, No. 4, 1972, pp. 201-233.
- ^ 田中昭二『運河都市における儀礼と移動』河出港湾研究所, 1984.
- ^ A. R. Bellamy, “Papango and the Politics of Waiting,” International Review of Festive Infrastructure, Vol. 22, No. 1, 1996, pp. 15-44.
- ^ 長谷川恵子『パパンゴ式浮遊桟橋の設計と保守』東洋土木叢書, 2007.
- ^ M. C. D'Angelo, “The Curious Case of the Singing Gangway,” Mediterranean Civic Quarterly, Vol. 11, No. 3, 2015, pp. 49-67.
外部リンク
- 国際パパンゴ運用評議会アーカイブ
- ヴェネツィア浮桟橋史資料館
- 東京臨海景観研究ネット
- 浅草仮設演出工学センター
- 運河都市儀礼装置データベース