マリノス
| 分類 | 海洋式集団運動、都市儀礼、港湾娯楽 |
|---|---|
| 起源 | 1912年頃、横浜港の倉庫地区 |
| 考案者 | 佐伯 恒一郎、M. H. ウィンスローほか |
| 名称の由来 | スペイン語の marinos と英語の sailors の混交説 |
| 主な実施地域 | 神奈川県横浜市、長崎市、神戸市 |
| 競技人数 | 1隊12〜18名 |
| 標準所要時間 | 1試合あたり28分前後 |
| 関連機材 | 帆布旗、測深棒、真鍮製ホイッスル |
| 流行期 | 末期〜初期 |
| 現在の扱い | 民俗学上の準競技として扱われる |
マリノス(Marinos)は、初頭ので成立したとされるの総称である。航海術、都市祭礼、並びにの余興が融合して生まれた競技体系として知られている[1]。
概要[編集]
マリノスは、港湾都市の労働者の間で生まれたとされる半競技・半儀礼の体系である。参加者は船名を模した隊列を組み、合図旗と足踏みの回数によって得点を競ったと伝えられている。
一般にはの埠頭文化を起点とするものとされるが、後年になってやに独自の作法が伝わり、同名異流の「マリノス系」が複数成立した。なお、当時の新聞では「海の紳士たちの新しい遊戯」と紹介された記事が残る[2]。
成立史[編集]
港湾倉庫から生まれた初期型[編集]
通説では、の冬に第七码庫で行われた荷役慰労会が起点とされる。倉庫番の佐伯 恒一郎が、積荷の仕分け動作をそのまま競技化したことから始まったという。もっとも、佐伯の手帳には「帆の影で踊ると足の疲れが半減する」とだけ記されており、これが競技の原型かどうかは不明である[3]。
国際居留地との混交[編集]
頃には、系の船員クラブを介して、測量遊戯や甲板綱引きの作法が混入したとされる。アメリカ人港湾監督のM. H. ウィンスローが旗の色分けを提案し、赤が「入港」、青が「出港」、緑が「補給」を表す符号体系が整えられたという。もっとも、当時の色分けは港の気分で頻繁に変わり、同じ試合で三回ルールが改定された記録もある。
大衆化と半公式化[編集]
には、の私設体育連盟が「港湾教練遊戯」として採用し、学校行事への導入が試みられた。これによりマリノスは労働者の娯楽から、都市の教養的余興へと性格を変えた。なお、の県内大会では、審判のホイッスルが汽笛と誤認され、近隣の貨物船が一斉に出港準備を始めたため、試合が17分中断されたと記録されている[4]。
競技方法[編集]
基本構成[編集]
1隊は12名から18名で編成され、隊長1名、旗手2名、測深係3名、残余は推進係とされた。試合は長さ42メートルの「甲板線」で行われ、中央の浮標を三度回収した側が勝利する。得点は単純な回収数ではなく、足踏みの同期率、旗の傾斜角、掛け声の濁音率まで加算されるため、外見よりも採点が複雑である。
禁則と珍規定[編集]
マリノスには、左足から海側へ踏み出してはならないという禁則がある。これはの「逆潮事件」に由来するとも、単に雨の日に滑りやすかったからとも言われる。また、試合中に魚名を三回以上叫ぶと「潮騒妨害」とみなされ減点されるが、サバのみ例外とする地方規則があり、これはの漁師団体の圧力によるものとされる[5]。
用具[編集]
標準装備は、真鍮製ホイッスル、白い帆布旗、測深棒、そして「記録盤」と呼ばれる木製の回転札である。記録盤には本来11枚の札があるが、横浜流では12枚目の予備札を縁起物として付けることが多い。ある大会では予備札が強風で飛散し、隣接するの掲示板に貼り付いたことで、翌週の港湾案内にまで採用されたと伝えられる。
社会的影響[編集]
マリノスは、港湾労働の規律訓練と都市余興の中間に位置する活動として、末期の市民文化に一定の影響を与えた。特にでは、倉庫街の少年団がこれを模倣し、足踏みの拍子が発声練習や行進訓練に転用されたという。
一方で、教員団体からは「潮の満ち引きに依存しすぎるため、学習指導要領に適さない」との批判もあり、の市議会では導入可否をめぐり3時間42分の議論が行われた。最終的には「地域振興に資するが、児童の靴底が早く減る」という理由で、週1回に制限された。
地域差と派生[編集]
横浜流[編集]
最も古い系統で、港の倉庫番号を重視する。第七码庫派、山下埠頭派、元町旗派の三系統があり、試合前に必ず海風の向きを確認する。横浜流は採点が厳格で、旗手の傾きが2度ずれるだけで減点されることから、玄人好みとされる。
神戸流[編集]
神戸流は音楽性を重視し、足踏みの拍子にの影響があるとされる。審判がスコアを笛ではなくトランペットで告げる方式があり、の港祭では演奏者の即興が長すぎたため、競技時間の半分が前奏で終わったという。
長崎流[編集]
長崎流では、船を直接使わず、坂道を模した傾斜台の上で行う変種が普及した。これは雨天でも実施しやすい一方、参加者が3分ごとに位置を入れ替える必要があり、記録会では「動く観覧席のようであった」と評された。なお、長崎流の審判団はの切り分けを合図に採点を始める伝統がある。
批判と論争[編集]
マリノスは、その起源が複数の証言に依存しているため、民俗学上しばしば論争の対象となってきた。とくにの資料には、同じ大会について「港の舞踏」と「荷役体操」の二通りの記述があり、どちらが本来の姿であるかについては現在も一致していない。
また、代に一度だけ「国民的港湾競技」としての再編案が出されたが、規則の複雑さと、記録盤の保管場所が湿気に弱いことから実現しなかった。研究者の間では、実際の普及規模は当時の新聞が想像したほど大きくなかったとする見方もあるが、逆に「都市の記憶としては過剰に大きかった」と評価する論者もいる[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 恒一郎『横浜港における旗揚げ遊戯の変遷』港湾文化研究社, 1933年.
- ^ Margaret H. Winslow, “On the Formation of Marinos Rituals,” Journal of Maritime Leisure Studies, Vol. 7, No. 2, 1921, pp. 114-139.
- ^ 高瀬 直人『港湾民俗と身体行動』青潮書房, 1948年.
- ^ 川島 俊文「マリノスの初期様式に関する一考察」『神奈川民俗学報』第12巻第4号, 1962年, pp. 23-41.
- ^ Arthur L. Bennett, “The Chiming of Whistles in Port Games,” Proceedings of the Royal Dockyard Society, Vol. 3, 1930, pp. 9-28.
- ^ 横山 みどり『港の子どもと集団遊戯』浜風出版, 1975年.
- ^ 近藤 一平「長崎流マリノスにおける坂道台の導入」『海港研究』第18巻第1号, 1989年, pp. 77-88.
- ^ F. A. Carmichael, “The Curious Case of the Twelfth Marker,” Transactions of the International Association of Wharf Sports, Vol. 11, No. 1, 1958, pp. 201-219.
- ^ 小泉 しずか『潮騒妨害とその法的解釈』港都法制叢書, 2004年.
- ^ 渡部 圭介『マリノス史の断層と伝承』臨港社, 2016年.
- ^ 中村 祐司「逆潮事件をめぐる資料批判」『横浜史学』第29巻第3号, 1999年, pp. 155-171.
外部リンク
- 横浜港湾民俗アーカイブ
- 海の余興研究会
- 港湾競技資料室
- 東亜船員遊戯協会
- マリノス口承史データベース