ムグリファルシゲーム
| 別名 | ムグリファルシ、MFG |
|---|---|
| 起源 | 1894年頃、アムステルダム港周辺 |
| 考案者 | エミール・ファン・デル・ローエンほか |
| 競技人数 | 2人から12人 |
| 必要用具 | 照合札、木製スティック、灰色の得点盤 |
| 競技時間 | 1試合12分から48分 |
| 国際統括 | 国際ムグリファルシ連盟 |
| 主な普及地域 | オランダ、トルコ、日本、アルゼンチン |
| 危険性 | 低いが、長時間行うと記憶の過剰補正が起こるとされる |
ムグリファルシゲームとは、末ので発達した、紙片と短尺の棒具を用いて「見えない損失」を可視化するための競技型である。もともとは系の商人たちがで考案した帳簿照合の手法が母体とされる[1]。
概要[編集]
ムグリファルシゲームは、盤面上に現れない差異を、参加者が推理・申告・訂正しながら競うである。一般にはにも似るが、実際には「帳簿のどこが消えたか」を当てることに主眼があり、との中間に位置づけられることが多い。
この競技は、の交易圏で、積荷伝票の齟齬を遊戯化したことに始まるとされる。もっとも、初期資料の多くはの保管庫火災で失われており、現存する文献は後年の連盟史家による補筆が多いと指摘されている[2]。
起源[編集]
港湾の帳簿遊び[編集]
起源については、のにあった倉庫で、冬に商館職員のエミール・ファン・デル・ローエンが、誤記された荷札を並べ替える余興を始めたのが最初とされる。彼は系の香辛料商人ラシド・ベイ・エフェンディから「誤差は消すより踊らせるべきだ」と助言を受け、これを木片と紙札の競り合いに変形したという。
なお、初期の競技は灰皿の上で行われ、煙で紙札が焦げるたびに加点されたとする記録がある。もっとも、これは後世の派による美化であるとの見方もあり、要出典とされることが多い。
名称の成立[編集]
「ムグリファルシ」という語は、の *mugri*(曇る)と、商人の隠語 *farsi*(書き換える)を合わせたものとされている。ただし、の言語史研究班は、実際には後半の倉庫労働者が「むぐり、ふぁるし」と掛け声を分けていたのを、後から単一語化した可能性を示唆している。
一方で、競技名がの商業博覧会で広まった際、展示員が発音できずに「ムグリファルシ・ゲーム」と記したことが、現在の英語表記の定着に決定的だったという逸話が残る。
競技方法[編集]
基本手順[編集]
標準ルールでは、各参加者に照合札が7枚ずつ配られ、中央に灰色の得点盤が置かれる。進行役は「不足」「過剰」「転記」のいずれかを宣言し、参加者は60秒以内に木製スティックで札を叩き、最も妥当な差異を指摘しなければならない。正答すると相手の札が1枚「影札」に変化し、以後2手番のあいだ触れられなくなる。
試合終盤では「逆簿記」と呼ばれる局面が発生し、加点がマイナス方向に進むことがある。これは観客受けがよく、では40年代の学生サークルで特に流行したとされる[3]。
勝敗の決定[編集]
勝敗は、合計得点が最も高い者ではなく、「最後に正しく残った差異を言い当てた者」に与えられる。このため、得点上は劣勢でも一発逆転が起こりやすい。統計上、公式戦の約18.4%が終了10秒前の宣告で決着しており、連盟はこれを「帳尻の美学」と呼んでいる。
また、得点盤の角度がを超えると誤認率が31%上昇するという報告があり、の実験では、赤色チョークを用いた試合のほうが黒色チョークより平均2.7点低くなる傾向が示された。ただしこの研究は被験者数が14人であったため、しばしば引用のたびに注記が付く。
普及と国際化[編集]
にはの商人クラブで競技会が開催され、後には復員兵の記憶訓練として北部の学校に導入されたとされる。とくにでは、魚市場の仕分け作業と親和性が高いとして、午前の競技会が港の活気を補う行事になったという。
にはので「ムグリファルシ・タンゴ戦」が流行し、対局中に姿勢を崩すと減点される独自ルールが生まれた。これにより、競技者は腰の角度まで管理する必要があり、連盟は一時期、競技を「半ば体育、半ば財務」と分類していた。
にがで設立されると、審判資格の標準化が進み、現在では31か国に支部があるとされる。なお、支部数は年によって28から34の間で揺れており、連盟年報でも説明が一致しない。
日本における受容[編集]
日本には末期、の綿花商を介して伝わったとされるが、本格的な普及はの競技見本市以後である。特に周辺の学生自治寮では、寮費の未納確認に応用されたことから、「遊びながら催促ができる」と評判になった。
にはの文具メーカーが「ムグリファルシ専用札束」を発売し、角の丸い札が子ども向けとして人気を集めた。もっとも、学校現場では「発想は面白いが、授業中に帳簿の概念を覚えすぎる」として一部で使用が制限されたとの記録がある[4]。
社会的影響[編集]
ムグリファルシゲームは、単なる遊戯を超えて、誤記訂正の作法を市民文化に浸透させたとされる。特に会計事務所や港湾労組では、書類の不一致をめぐる対立を、競技の定型句で和らげる慣習が生まれた。たとえば「その差異は影札である」という表現は、のの若手税理士の間で半ば慣用句となった。
一方で、長時間の対戦後に現実のレシートまで手札のように見える「照合残像」が報告され、の臨床心理学会では軽度の職業病として扱われたことがある。これはの症例報告に基づくが、被験者がたまたま全員古参審判であったため、一般化には慎重であるべきだとされている。
批判と論争[編集]
批判としては、競技の起源が曖昧であること、ならびに初期史料の多くが後世の連盟編集による可能性が高いことが挙げられる。とりわけにの古文書館で発見されたとされる「第1回ムグリファルシ規約」は、紙質が中葉のものに近いとして真贋論争を呼んだ。
また、勝敗判定が主観に左右されやすいことから、の大会では「審判の気分を数値化せよ」という抗議が起こった。主催側はこれに対し、審判の好感度を4段階の灰階色で表示する新制度を導入したが、かえって「人間の感情を会計処理している」と批判された。
なお、とされる逸話の中には、が密かにこの競技の熱心な愛好家であったという話や、期の日本で外務官僚が条約修正の予行演習として用いたという話もある。いずれも裏づけは薄いが、愛好者の間では半ば公認の伝説として語られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エミール・ファン・デル・ローエン『港湾照合遊戯論』ライデン商業史研究所, 1909.
- ^ Margaret H. Caldwell, "Shadow Ledger and Play Culture", Journal of Maritime Anthropology, Vol. 12, No. 3, pp. 114-139, 1968.
- ^ 佐伯 恒一『ムグリファルシの実践と儀礼』東京遊戯学会出版部, 1974.
- ^ Jean-Pierre Allard, "Mugrifarsi and the Politics of Small Errors", Revue d'Histoire Portuaire, Vol. 8, No. 2, pp. 41-67, 1981.
- ^ 市川 眞理『逆簿記の社会学』みすず書房, 1991.
- ^ K. van Houten, "Grey Boards and Red Chalk: A Controlled Trial", Scandinavian Journal of Game Studies, Vol. 4, No. 1, pp. 9-22, 2004.
- ^ 国際ムグリファルシ連盟 編『公式規則第17版』チューリヒ事務局, 2012.
- ^ 小松原 由里『ムグリファルシ・タンゴ戦の美学』青土社, 2015.
- ^ Hassan El-Karim, "The Pronunciation Failure at Hamburg Fair", Transactions of the Continental Trade History Society, Vol. 19, No. 4, pp. 201-219, 1997.
- ^ 森下 章『帳尻の美学と市民文化』岩波書店, 2020.
- ^ P. L. Wexler, "A Curious Manual for Mugrifarsi Game", Annals of Invented Leisure, Vol. 1, No. 1, pp. 1-18, 1933.
外部リンク
- 国際ムグリファルシ連盟 公式史料室
- 港湾遊戯研究センター
- 照合札アーカイブ
- ムグリファルシ日本支部
- 灰色得点盤博物館