メゾン鷹
| 名称 | メゾン鷹 |
|---|---|
| 別名 | 鷹館様式、Taka Maison式 |
| 発祥 | 東京都世田谷区 |
| 成立年 | 1964年 |
| 提唱者 | 小金井 恒一郎 |
| 用途 | 住宅、観測、来客応接 |
| 特徴 | 張り出し梁、鳥類回廊、半屋外の茶室 |
| 影響 | 高級集合住宅、郊外邸宅、私設展望台 |
メゾン鷹(メゾンたか、英: Maison Taka)は、発祥の高級住宅兼観測施設の設計思想、またはその思想に基づく建築群を指す名称である。元来はの都市再開発に伴う試験的な集合住宅計画として始まったが、のちにの一部で「鳶職と西洋館の折衷美」として再評価された[1]。
概要[編集]
メゾン鷹は、造の集合住宅に屋根とを組み合わせた独特の建築様式である。居住性よりも「遠くを見ること」「来客に気配を悟らせること」を重視した点に特徴があり、後半の西南部で流行したとされる[2]。
名称の由来には諸説あり、設計者が飼育していたにちなむとする説のほか、が示す「高みから街を見下ろす視線」を象徴化したものとする説がある。一方で、初期の文献では「メゾン鷹」は単に物件名であり、のちに評論家が思想へ昇格させたにすぎないとの指摘もある[3]。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
、に伴う土地需要の高まりの中で、成城周辺の中堅地主層が「都心に出ずとも文化的でありたい」という要望を強めたことが、メゾン鷹の原型を生んだとされる。建築家のは、パリの様式と日本家屋の縁側を融合させる案を提示し、さらに屋上に方位盤と鳩時計を置くことで、居住者が「都市の時間」を自宅で把握できるようにした[4]。
初期案はの控えめな構成であったが、施主側の「来客が迷うほど立体的にしてほしい」という要望により、最終的に中庭を二重螺旋状に回す設計へ変更された。なお、このとき余剰となった避雷針が半ば儀礼的に「鷹の嘴」と呼ばれたことが、後の名称定着に影響したという[要出典]。
流行と拡大[編集]
には、の一部で「メゾン鷹風」の低層マンションが建てられ、同区内の不動産広告では「鳩より静か、鷹より高い」とのコピーが使われた。これが若手広告代理店の間で話題となり、の住宅展示会では、模型に本物のを飛ばして採光を示す演出まで行われたと記録されている。
特に有名なのは竣工の「メゾン鷹・白金」である。地下にワインセラー、1階に迎賓間、3階に文筆家用の小書斎を備え、屋上には実際に2羽のを預かる「静穏管理室」が置かれた。この奇抜な仕様は近隣から苦情を受けたが、管理組合が月1回の放鳥会を開催することで、むしろ地域行事として定着した。
制度化と衰退[編集]
に入ると、メゾン鷹は高級住宅市場の一種の記号として制度化され、の内部資料でも「意匠優先住宅」の代表例として参照された。しかし、維持費の高さ、屋根裏部の鳩害、そして望楼が原因の風切り音により、実用面での不評も多かった。
のバブル崩壊後、メゾン鷹式の新築は激減したが、逆に既存物件が「昭和の過剰」を象徴する文化財的存在として注目され始めた。とりわけ南青山の再開発時には、残存する1棟を巡って保存派と解体派が対立し、最終的に建物全体をカーテンで覆って一時的に「見えない保存」を行った事例が知られている。
構造と意匠[編集]
メゾン鷹の外観は、左右非対称のと、正面中央に突き出した群によって構成されることが多い。窓は縦長で、手すりには鷹の爪を模した鋳鉄装飾が施され、玄関扉には小さな製の羽根型取っ手が付くのが通例である。
内部構成で特徴的なのは「上昇動線」と呼ばれる階段配置で、来客は一度半地下へ案内されてから、螺旋状の階段で居室へ導かれる。これは設計者が「相手に一段低く会うことで、結果として関係が高まる」と説明したと伝えられる。また、床材に、壁面に、天井に浅いを用いることが多く、和洋折衷というよりは「鳥類の気分を帯びた和洋折衷」と評されることがある。
なお、一部の上位仕様では、屋上に天体観測用の回転椅子と簡易が設置され、これを「夜警室」と呼んだ。実際には気象観測に使われることは少なく、近隣住民が花火の見物をするために貸し出されることの方が多かったという。
社会的影響[編集]
メゾン鷹は、単なる建築様式にとどまらず、都市郊外の中産階級が抱いた「静かな誇示」の表現形式として社会学的にも扱われた。の周辺研究会では、1980年代後半に「見上げられることで成立する住宅文化」の一例として議論された記録がある[5]。
また、文壇との結びつきも強く、風の陰翳美学と的な様式意識を同時に満たすとして、エッセイストや編集者が好んで住んだとされる。特にからにかけての文化人コミュニティでは、メゾン鷹に住むことが「原稿料が増えた証拠」とまで言われ、実際には増えていなくても移転だけで格が上がると信じられていた。
一方で、建物の名前がやや威圧的であることから、子ども向け絵本やの街歩き番組では「こわくない高い家」として紹介されることもあった。これにより、都市における高低差の感覚を幼少期から教育する副次的効果があったとする研究もある。
主なメゾン鷹建築[編集]
関東地方[編集]
「メゾン鷹・成城」()は、最初期の実例として知られる。住戸数は12戸であったが、実際には4戸分の面積を使って中庭を確保したため、住民からは「豪奢だが郵便受けまで遠い」と評された。
「メゾン鷹・白金」()は前述のとおり最も有名で、雨天時に屋上のワシミミズクが先に帰宅することが管理規約で定められていたという。
「メゾン鷹・鎌倉山」()は海風対策として屋根瓦の一枚一枚に重りを仕込んだ結果、施工費が当初見積もりのに跳ね上がった。これを逆手に取って施主は「風に強いのではなく、家が強い」と宣伝した。
関西・中部地方[編集]
「メゾン鷹・夙川」()は、阪神間モダニズムの延長として語られることが多い。だが実際には、設計者が帰りに見た鷹匠の姿を忘れられなかったことが発端であるとされる。
「メゾン鷹・覚王山」()は、地下鉄駅から徒歩8分であるにもかかわらず「体感12分」と評され、坂の多さがむしろ格式とされた。ここでは1階店舗がカフェに改装され、ラテアートで鷹の横顔を描く文化が一時流行した。
「メゾン鷹・金沢寺町」()は雪国向けに深い庇を備え、冬季には庇が鳥の止まり木になるため、毎年2月に「来客鳥除け講習」が行われていた。
批判と論争[編集]
メゾン鷹に対しては、当初から「見栄の建築である」「鳥の趣味を住民に押しつけている」といった批判が存在した。とりわけ代の住宅評論では、実際の居住快適性よりも外観の記号性が優先される点が問題視された。
また、上層階の望楼が近隣のと干渉するという報告もあり、には一部の棟でアンテナの角度を15度下げるよう行政指導が行われた。もっとも、住民側は「鷹は斜めに飛ぶ」としてこれを美学化し、かえってブランド価値を高めた。
保存運動との関係でも論争があった。文化財登録を求める声が上がる一方で、屋上の放鳥設備や半屋外茶室は法規上「用途未定義」とされ、登録審査が2度延期された。審査委員の1人は「歴史的建造物というより、歴史的な自意識である」と述べたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小金井 恒一郎『都市郊外における上昇動線の研究』新建築社, 1968年.
- ^ 佐伯 みどり『メゾン鷹論—見上げられる家の社会学』青弓社, 1979年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Raptors and Residences: The Maison Taka Phenomenon,” Journal of Urban Morphology, Vol. 12, No. 3, 1983, pp. 44-71.
- ^ 橋本 恒一『望楼のある暮らし』鹿島出版会, 1981年.
- ^ 石田 直樹『鷹の爪と真鍮の取っ手』住まいの図書館出版局, 1990年.
- ^ Hiroshi Kanda, “Aerial Prestige in Suburban Tokyo,” Architectural Review Quarterly, Vol. 8, No. 2, 1988, pp. 102-119.
- ^ 高野 玲子『見えない保存—カーテン保存運動の記録』美術出版社, 1994年.
- ^ William C. Mercer, “Sound of the Roof: Wind and Status in Late Showa Housing,” Housing Studies Bulletin, Vol. 5, No. 1, 1991, pp. 9-28.
- ^ 中村 綾子『メゾン鷹白書』東京住宅研究所, 1986年.
- ^ Jean-Paul Errant, “Maison Taka et l’esthétique du regard supérieur,” Revue de l’Architecture Métropolitaine, Vol. 4, No. 4, 1992, pp. 201-218.
- ^ 田村 宏『鷹は斜めに飛ぶ—行政指導と意匠のねじれ』地方都市建築年報, 第7巻第2号, 1987年.
外部リンク
- 日本メゾン鷹研究会
- 都市郊外建築アーカイブ
- 旧成城建築資料室
- メゾン鷹保存連盟
- 望楼住宅データベース