メタフィクション
| 分野 | 文学理論・表現論 |
|---|---|
| 主な媒体 | 小説、戯曲、映画、ゲーム |
| 特徴 | 自己言及、読者の想像過程の露出 |
| 成立の起点(諸説) | 17世紀末の写本検閲と創作メモの慣行 |
| 関連概念 | 自己言及、語りの不穏、脚注小説 |
| 主な論者(架空) | アリサ・ムーア、マルセル・グリュネ |
| 日本での受容 | 昭和末期の大学講義ノート経由 |
| 代表的な手法(例) | 架空の出典・編集者名の捏造、物語内の批評 |
(英: Metafiction)は、作品それ自体を対象として語ることで、物語の構造や作り手の立場を意識させる表現形式である[1]。物語と解釈の境界が揺らされる点に特徴があり、のみならずやにも応用されているとされる[2]。
概要[編集]
は、作品の中で「これは作品である」と気づかせる仕掛けを用い、読者が読書という行為そのものを観察する状況を作る表現として整理されている[1]。
具体的には、語り手が自らの語りを説明したり、登場人物が原稿の存在を匂わせたり、編集者や翻訳者が“どこかで脚注を捏造している”ように振る舞ったりする手法が含まれるとされる[3]。また、一見すると物語の進行に見える要素が、実は解釈の手順を露出するための装置である場合も多い。
本来の定義は広く、研究者の間では「自己言及」「形式の可視化」「作為の露出」の三点セットとして説明されることが多い[2]。ただし、どれを中心に置くかで論争も発生している。
なお、メタフィクションの“正しさ”は時代や媒体ごとに異なり、初期の定義では散文よりも脚注の運用が重視されていたとする説がある。この点については、のちの章で触れる。
選定基準(研究上の実務)[編集]
博物館的な分類ではなく、講義実務としての運用が強調される傾向がある。たとえばが「1章につき少なくとも2回」発生しているかどうかが、簡易判定として用いられたことがある[4]。
また、研究ノートでは、自己言及が“比喩”で止まっていないか、“操作”として描写されているかが評価されるとされる。ここでいう操作とは、読者に対する直接的な指示、出典の捏造、ページ番号の言い間違いなどが含まれることがある[5]。
誤解されやすい点[編集]
メタフィクションは「作中で作者が出てくる」だけを指す、と誤解されることが多い。ただし、作中の作者登場は形式の一要素に過ぎず、肝心なのは“読みの仕組み”が見えてしまうことだとする見方がある[2]。
一方で、映画研究ではカメラの存在が示されれば自動的にメタフィクションとみなされることがあり、文学理論側からは「映像の自覚は必ずしも語りの自覚ではない」との指摘が出たとされる[6]。
歴史[編集]
起源:検閲写本と“編集者の罪”[編集]
メタフィクションの起源は、17世紀末のヨーロッパにあるとする説が有力である。具体的には、検閲官が写本の余白に手を入れる慣行が広まり、書き手は余白に“本来は語らないはずの編集情報”を書き込むことで、検閲の介入を逆手に取ったと推定されている[7]。
この時代の代表的とされる文書はと呼ばれ、の小規模書店で閲覧可能だったと伝わる。内容は文学というより編集手続きの記録に近く、ある行では「余白に挿入された言葉は、物語より先に読まれるべきである」と記されていたとされる[8]。
ただし、のちに“物語の体裁”が付与されることで、それが自己言及的な語りに変化していった、という説明がされている。とくに余白の脚注が「読者の視線を支配する」装置として機能した点が、メタフィクション的な操作の原型とされる[4]。
この流れには、当時の翻訳商社であるに属していたとされる書記アリサ・ムーアが関わったとする説がある。もっとも、ムーアの実在性は議論があり、講義ノートによっては“存在しない人物”として扱われることもある[9]。
近代化:講義ノートから劇場、そして国際会議へ[編集]
18世紀後半には、語りの不穏さを“学術的な節度”として見せる傾向が強まったとされる。たとえば、大学講義の再録小説では「教員が原稿の誤字を訂正する」場面が頻出し、その訂正自体が物語の山場になる構成が流行したとされる[10]。
19世紀には演劇で脚本の小さな変更が観客に提示される試法が登場し、観客が“作品が作られている途中”を目撃する感覚が追求された。これについては、ので行われた試験上演が根拠としてしばしば引用される。ただし当時の議事録がほぼ失われており、語り部の証言から復元された、と説明されることが多い[6]。
20世紀の国際的な枠組みとしては、1962年にで開催された会議が転機になったとする。会議では「作品内に存在するはずのない編集注を、あえて“正式な資料”として引用する」実験が評価されたとされる[11]。
日本では、昭和末期に大学の授業ノートが学内で複製される過程で、章末の注釈が独立して読み物化し、メタフィクションの“生活化”が進んだと推定されている。特にの小さな出版社が1984年に出した講義復刻版が、普及のきっかけになったとされる[12]。ただし刊行実態は資料の突合が困難であり、校閲担当の記録だけが残っているとも言われる。
デジタル時代:ゲーム内批評と“操作可能な出典”[編集]
21世紀以降、メタフィクションはインタラクティブ作品へ広がり、「出典」そのものをユーザーがクリックして改変する設計が現れたとされる。ここで重要なのは、ユーザーが物語の外にいるのではなく、物語の編集工程に参加してしまう点である[13]。
たとえばの小規模研究会では、参加者が“引用文献リストを並べ替えることでストーリーの因果が変化する”デモが紹介された。このデモは、検証のために記録映像が残されているとされるが、映像はなぜか冒頭のテロップだけが切り取られており、そのことが逆にメタフィクション的だと評された[14]。
一方で、過剰な自己言及が没入を阻害するという批判もあり、現在では「自己言及は全体のうち14〜19%に抑えると、読者が怒りすぎない」との“経験則”が語られることがある[15]。これは統計研究としては根拠が弱いとされるが、現場では採用されがちである。
批判と論争[編集]
メタフィクションは、作品が自己を説明しすぎるために、読者の感情の回路が冷めるという批判がしばしば向けられる。とくに「登場人物が編集者の罪を告白する」類型は、情動よりも手続きに重心が寄るとする指摘がある[6]。
また、歴史的には“検閲の痕跡を美化する”という倫理面の疑問も起きたとされる。余白に書かれた注釈が、実は検閲官の改変を隠すための装置だったのではないか、という見方が登場したためである[7]。
さらに、研究上の争点としては、メタフィクションの境界が曖昧であることが挙げられる。映像の自覚を含めるのか、単なる脚注の多さをメタフィクションと見なすのかで学会の採点が割れることがあり、採点者が別の章の注釈を見落として減点した、という笑えない事故が報告されたこともある[5]。
ただし支持側は、自己言及は“冷却”ではなく“誠実さ”だと主張している。読者が物語を信じるだけでなく、信じ方を一緒に点検できることが、表現の成熟に繋がるとされる[2]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アリサ・ムーア「余白の編集注が読書を誘導する条件」『比較叙述学研究』第12巻第3号, pp. 41-67, 1959年。
- ^ マルセル・グリュネ「検閲写本における自己言及の萌芽」『書誌学季報』Vol. 8, No. 1, pp. 11-29, 1966年。
- ^ ジョナサン・ハートフィールド「Metafictional Footnotes and the Reader’s Gaze」『Journal of Narrative Machinery』Vol. 4, No. 2, pp. 77-102, 1973年。
- ^ 高橋澪「講義ノート由来の自己反転」『文学表現論叢』第21巻第1号, pp. 3-25, 1989年。
- ^ クロエ・サンドラ「The Taxonomy of Unstable Sources」『International Review of Fake Citations』第6巻第4号, pp. 201-233, 1994年。
- ^ 佐々木淳一「映像の自覚は語りの自覚か—メタの境界」『映画理論通信』第9巻第2号, pp. 55-80, 2001年。
- ^ ピーター・ローレンス「Editing as Plot: The ‘Margin Revolution’ Revisited」『Studies in Editorial Performance』pp. 1-34, 2007年。
- ^ 文縫出版編集部『講義復刻版:注釈が物語を壊すまで』文縫出版, 1984年。
- ^ 国立文芸劇場編『ベルリン試験上演の記録(断片)』国立劇場出版, 1960年。
- ^ 菊地光一「自己言及率の経験則—14〜19%仮説」『物語設計工学』第3巻第1号, pp. 99-121, 2012年。
- ^ E. H. van Slooten「出典を並べ替えると因果が変わる—会議報告」『Proceedings of the Amsterdam Semantics Forum』pp. 250-269, 1962年。
- ^ 松原玲奈「不穏なページ番号と読者の怒り」『紙のメタフィクション論』第1巻第5号, pp. 10-42, 2018年。
外部リンク
- 自己言及アーカイブ(メタ注釈コレクション)
- 脚注小説データベース
- 引用偽装検証ラボ
- インタラクティブ・ナラティブ研究会
- 余白検閲史料室