モリ・シマト
| 分野 | 沿岸計測・音響測定の擬似科学的系譜 |
|---|---|
| 主な舞台 | 三浦半島沿岸〜北九州湾岸 |
| 成立時期 | 後半と推定される |
| 中心概念 | 打音(だおと)と反響時間の対応関係 |
| 関連技術 | 簡易音響器・反響式索引表・海図の改訂手順 |
| 特徴 | 計測値を「音名」で保存する流儀 |
| 論争点 | 再現性の欠如と、記録改竄疑惑 |
| 現代での位置付け | 民俗技術研究の文脈で研究対象とされる |
モリ・シマト(英: Mori Shimato)は、の沿岸部で伝えられたとされる「音で測る」職能に由来すると説明される語である。江戸中期の海難記録に部分的に現れるとされ、のちに測量技術と結び付けられたとされる[1]。
概要[編集]
は、海辺で用いられたとされる計測用語であり、特定の杭打ちや木槌の打音から「距離」と「水深」を推定する方法を指す語として説明される。一般に、音の高さよりも反響の立ち上がりと減衰の具合を重視する点が特徴とされる。
この語は「森(もり)」と「島止(しまと)」が転訛したものとする説があるが、同時に、記録上の発音ゆれから作られた便宜上の名称ともされる。なお、初出史料はの書写集に含まれるとされる一方で、後世の写本作家が統一した可能性も指摘されている[2]。
歴史[編集]
起源:海難救助の「音名目録」[編集]
起源については、の夏に湾で起きたとされる「霧帯転覆」事件が契機とする説がある。被害調査のために派遣された現地の帳付(ちょうつけ)役人、は、海底の形状を目で判別できない状況で、救助隊が「叩く→戻る音を数える」ことで進路を割り出した体験談を帳面に残したとされる。
その帳面はのちにの普請(ふしん)担当へ回覧され、「杭打ち一式で得られる反響を、音名として固定する」発想へ発展したとされる。具体的には、反響時間を秒ではなく、当時の音律に基づく「六穴音(ろっけつおん)」の段階(第1〜第6段)に割り当てる方式が採られたと説明される。この結果、船大工が楽器店で買える部品だけで簡易測定が可能になった、とされる[3]。
ただし、記録の整合性には揺れがある。たとえば同じ港で同じ杭材を使っても「第3段」が出る日と出ない日があることが、周辺の写本(写)で確認されるとされ、音名を“都合よく”調整した可能性が後年の講談師によって示唆されたとも伝えられている[4]。
制度化:反響式索引表と「モリ」の役目[編集]
頃、計測の民間技法が一部、行政の工事審査に取り入れられたとされる。制度化の担い手として、の土木出張所に所属したとされるが挙げられることが多い。彼は「反響式索引表(はんきょうしきさくいひょう)」を編み、杭の材種(松・欅・樫)ごとに反響段階の“目安誤差”を数値化したと説明される。
ここで、モリ・シマトの「モリ」は音名目録では森ではなく「測り手(はかりて)を示す敬称」だとする解釈が生まれた。つまり、測定者が打音を発する(=“森る”)という擬態語から便宜的に名付けられた、というこじつけに近い由来が採用されたとされる[5]。
一方で、同時期の商館の記録には、反響式索引表が港の監督官の裁量で書き換えられた痕跡があるとも書かれている。具体的には、同じ潮位(満潮から-0.4尺)の日に、値が「第2段→第4段」へ急に飛んだケースがの月次台帳に見つかったとされる。ただし、この台帳の真偽は未確定とされ、「筆者が音に酔った」説まで併記されている[6]。
海外伝播と誤訳:Shimatoの“測定器”化[編集]
期、海防と測量の近代化が進むなかで、音響的な推定が“時代遅れ”として扱われる局面もあった。しかし、留学から帰国したが、旧来の反響段階を工学的に再解釈し、「Shimato」を測定器の名称として英語圏へ誤って紹介したことで、概念が装置名へとすり替わったとする説がある。
この誤訳が面白いのは、当時の専門誌で「Shimato=短パルス反射器(short-pulse reflector)」と扱われた一方、国内の海図改訂記録では“音名の手順”として残っていた点である。結果として、同じ語が二種類の意味で増殖し、のちの研究者が「モリ・シマトは測定器か、手順か」と長く議論することになったとされる[7]。
さらに、にで開催された港湾工学展示会「反響と光の折衷会(はんきょうとひかりのせっちゅうかい)」では、来場者が測定器と思って叩くと、なぜか団子が当たる抽選が行われたと記録されている。展示係のは、来場者の誤認を逆手に取り“反響段階を笑いで学習させた”と語ったとされるが、当時の新聞は見出しだけが残り本文は行方不明とされる[8]。
社会的影響[編集]
モリ・シマトは、単なる民俗技術というより、沿岸の労働者が「計測」を共同作業に変えた事例として語られることが多い。音名の段階を共有することで、経験の浅い見習いでも一定の手順で同じ判断に寄せられるため、港の改修や航路調整が“会話可能な数値”として進められたとされる。
また、行政側にとっては都合がよかった面もあった。反響式索引表が整ってくると、工事費の説明が「数字」ではなく「音の合意」によってなされるようになり、監査の文書を短縮できたと推定される。ある内務省系の内部覚書(写)では、説明資料を“反響段階の図示だけ”で済ませる案がに提案されたとされるが、出典は「筆者の口述」とされている[9]。
一方で、海象や材料のばらつきが大きい現場では、音名の合意が“言い換え合戦”になりやすいとも指摘されている。たとえばの海岸で「第5段が出た」と主張した作業班と、「第4段だ」と訂正した作業班で、同じ工区の深さが平均で-0.9間(けん)も違って記録されたケースが報告されたとされる(ただし、測定者の体調差が原因だった可能性も併記されている)[10]。
批判と論争[編集]
モリ・シマトの最大の批判は、再現性の不足にあるとされる。音は風・潮・船体の軋み・人の呼吸まで影響しうるため、理屈の上では“推定”であっても、制度上は“断定”に近い形で採用された例があるとされる。とくに、反響式索引表の数値欄にだけ、墨の色が明らかに違う箇所がある写本が複数見つかっているという指摘がある[11]。
また、海外伝播の誤訳が「技術の二重化」を招いた点も論争になった。国内の研究者は「モリ・シマトは手順である」と主張し、英語圏側の研究者は「Shimatoは器具である」と主張したため、レビュー論文がすれ違ったとされる。さらに、に出た“港湾音響学”の教科書の一節では、モリ・シマトが「砂浜の硬度を測る装置」として紹介されていたが、原典とされる資料は“音名目録”と整合しないとされる[12]。
この論争の中で最も有名な逸話は、「音を信用しすぎた」ことが原因で、試験工区の杭が2日早く打ち直されたという話である。杭の打ち直しは結果として当たりになったものの、偶然の成功が技法の権威を補強してしまったとされ、研究コミュニティでは“勝手に科学っぽくなる癖”として笑い話にされている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 榊原丈次郎『反響式索引表の編成規則(稿)』港湾書庫, 1861.
- ^ 永井主計郎『霧帯転覆調査帳』江戸公文所, 1709.
- ^ 林田フリードリヒ『音名から測量へ——反響段階の工学化』ベルリン工房, 1893.
- ^ M. A. Thornton『On Early Coastal Acoustics and Their Misread Instruments』Journal of Maritime Methods, Vol. 12 No. 3, pp. 41-68, 1932.
- ^ 佐伯喜一『折衷会の記録と笑いの教育効果』横浜日報出版局, 1906.
- ^ 渡部貴之『海図改訂と手順の共有』東京地理学会叢書, 第7巻第2号, pp. 113-140, 1978.
- ^ C. R. Havers『Shimato Revisited: A Note on Translated Terminology』The Archive of Port Engineering, Vol. 4, pp. 9-27, 1966.
- ^ 内務省第三監査局『説明書の簡略化案(抄)』行政資料館, 1872.
- ^ 横浜港誌編纂所『反響に基づく工区判断事例集』横浜港湾局, 1920.
- ^ 中村節『港湾音響学入門(第3版)』蒼天堂, 1954.
外部リンク
- 港湾音響アーカイブ
- 反響段階研究会
- 写本データベース「音名の墨」
- 三浦半島沿岸の海難地図集
- Shimato用語史ミラー