ヤリマンション
| 名称 | ヤリマンション |
|---|---|
| 分類 | 集合住宅設計思想・実験住宅 |
| 起源 | 1968年ごろ、日本住宅公団の内部研究会 |
| 提唱者 | 黒川 恒一郎 |
| 主な実験地 | 東京都江東区、神奈川県川崎市、兵庫県神戸市 |
| 特徴 | 短期居住前提、可変間取り、通路分離、交換式設備 |
| 流行期 | 1972年-1981年 |
| 関連機関 | 都市居住研究会、住宅供給公社連絡協議会 |
ヤリマンションとは、後半の都市高層化政策のなかで生まれたとされる、住民の出入りを極端に前提化した集合住宅の設計思想およびその実験棟群の総称である。居住者の「頻繁な入退去」を前提に、廊下・玄関・ゴミ置き場の動線を過剰に最適化した建築様式として知られている[1]。
概要[編集]
ヤリマンションは、もともと上の転入転出の激しい地区において、住戸を「終の棲家」ではなく「滞在単位」として扱う発想から生まれたとされるである。標準的なマンションよりも共用部が広く、各戸の設備が交換しやすいことが特徴で、当初はの再開発地区で試験導入された。
一方で、この設計思想は居住の安定より回転率を重視するため、当時の住宅政策としばしば緊張関係を生んだ。とくにの「東雲住棟試験報告」では、平均入居期間がに達し、管理組合が半年ごとに規約を改定する異例の運用が行われたとされる[2]。
歴史[編集]
起源と命名[編集]
起源は、内の非公開研究会「第3次住戸循環化検討会」に求められる。中心人物とされるは、欧州の研究を視察したのち、「人が定着しないなら、定着しない前提で建てるべきだ」と述べたとされ、この極端な発想が後にヤリマンションの原型になった[3]。
名称の由来には諸説ある。もっとも有力なのは、設計図面の仮符号「YR-1」を現場作業員が「やり棟」と読み違えたものが定着したという説であるが、別に、英語の
試験導入と拡張[編集]
初の実験棟はの沿岸埋立地に建設され、からで運用された。各戸には可動式の押し入れ、交換用の玄関ドア、そして「関係更新掲示板」と呼ばれる共用掲示板が備えられていたという。
にはの山腹地に第二試験棟が建ち、ここでは音漏れ対策として壁内にを通常の2.4倍厚く入れた結果、夏季の湿度が上がりすぎ、管理人室でカビではなく「退去予告書の保管率」が上昇したと報告されている。なお、この報告書の一部は現在もに保管されているとされるが、閲覧者が少ないため真偽は確認されていない。
黄金期[編集]
には、首都圏を中心に同種の設計が散発的に採用され、最多時で全国がヤリマンション仕様、またはその簡易版に近い改修を受けたと見積もられている。とくにの「潮見第六住宅」では、1階共用ロビーに季節ごとの家具交換所が設けられ、住民の平均家具所有期間がまで短縮されたという。
この時期、住民同士の交流を促すために「夜間会議室」が導入されたが、実際には深夜に転居手続きや工具貸与が集中し、会議よりも鍵の受け渡しが主業務になったとされる。社会学者はこれを「流動性の家族化」と評したが、住宅金融公庫は逆に「不動産の胃腸炎」と表現したことで議論を呼んだ。
構造と運用[編集]
ヤリマンションの標準仕様は、通常のマンションと大きく異なる。玄関扉は工事用ボルトで外せる規格とし、キッチンと浴室は「入居者個人の癖」を吸収するため、配管接続部が三重化されていた。これにより、退去時の原状回復工事が平均で完了したとされる[4]。
また、共用部には「一時保管廊下」が設けられ、引っ越し荷物が24時間以内に搬出されない場合、半自動で管理室側に吸い込まれる仕組みまであったという。もっとも、の大雨の際にはこの機構が誤作動し、傘と観葉植物が同時に回収され、住民からは便利だが落ち着かないと苦情が出た。
運用面では、管理組合が「再会より再配置」を重視していたことも特徴である。入居審査では収入証明に加え、過去の転居回数と、引っ越し時に自力で運べた家具の最大重量が確認されたとされる。なお、これらの基準はとされることが多い。
社会的影響[編集]
ヤリマンションは、住宅不足の緩和策として一定の評価を受けた一方、居住の不安定化を助長するとの批判も根強かった。とりわけの住宅白書では、若年単身者の転居頻度上昇と、近隣商店街の営業時間短縮が同時に進んだことが指摘され、街全体の「夜の静けさ」が問題視された。
しかし、広告業界や演劇関係者のあいだでは、短期滞在向けの柔軟な住空間として人気が高かった。の小劇団「月曜第七集団」は、稽古場兼住居としてヤリマンションを3棟借り上げ、1年での模様替えを行った記録が残る。これは当時の演出家が「舞台美術より間取りのほうがドラマを作る」と主張したことに由来する。
この潮流は、後の文化や可動間仕切り住宅の普及にも影響したとされるが、実際には「住宅をどう出ていくか」を考える設計のほうが先に注目された点が独特である。
批判と論争[編集]
批判の中心は、ヤリマンションが「住まいを生活基盤ではなく消費財として扱う」とされた点にあった。建築学者はの論文で、ヤリマンションを「動線の優しさを装った継続的な引っ越し装置」と評し、これがメディアで大きく取り上げられた。
また、一部の物件では、入居者の回転率を上げるために「室内照明の色温度が季節ごとに変化する」仕組みが導入され、結果として住民が時刻感覚を失い、午前3時に洗濯機を回す者が増えたとの報告がある。もっとも、この件は実証が難しく、管理会社側は「照明ではなく住民の生活習慣の問題」と反論した。
最大の論争はの「晴海住棟事件」である。ここで、退去者が残した鉢植えの数が累計に達し、共用廊下が小規模な植物園のようになったため、区役所が「退去後の緑化義務」を課した。これがヤリマンションの思想を象徴する出来事として語られる一方、単に掃除の手間が増えただけではないかという冷めた見方もある。
衰退と再評価[編集]
バブル期以後の変質[編集]
に入ると、ヤリマンションは本来の短期居住思想から離れ、単に「設備が妙に多い古いマンション」として流通するようになった。特にやでは、企業の社宅需要に合わせて高級化が進み、交換式の玄関扉が無垢材に置き換えられるなど、思想より見た目が優先された。
この変質について、当時の管理会社連合は「市場が思想を消費した」と総括したが、住民側は「ただのリフォームではないか」と冷静であった。なお、には全国で現役稼働棟がまで減少したとされる。
保存運動と研究史[編集]
以降は、都市史・住宅史の文脈で再評価が進み、の一部自治体では実験棟の外観保存が行われた。保存団体「可変住戸を守る会」は、毎年に見学会を開き、来場者に交換式ドアの脱着を体験させている。
ただし研究者の間では、ヤリマンションの実在規模そのものを疑問視する声もあり、現存資料の多くが管理会社の広報誌と設計図の断片に依拠している。このため、都市建築史の一部では「半分は制度、半分は伝説」と位置づけられている。
脚注[編集]
[1] 黒川恒一郎「可変住戸における滞在単位の概念」『都市居住研究』第12巻第4号、1970年、pp. 18-29。
[2] 東雲住棟試験班「東雲地区実験住宅の利用実態報告」『住宅公団内部資料』第7巻第2号、1975年、pp. 4-41。
[3] 田所美奈子『流動する家族と集合住宅』中央住宅出版社、1981年、pp. 112-119。
[4] Robert H. Kline, "Modular Exit Strategies in Postwar Apartments," Journal of Urban Dwelling Studies, Vol. 9, No. 3, 1978, pp. 201-218。
[5] 佐伯隆文「継続的引っ越し装置としての住宅空間」『建築批評』第19号、1983年、pp. 55-66。
[6] 松井達也『舞台と間取りのあいだ』下北出版、1987年、pp. 73-80。
[7] Margaret A. Thornton, "Residency Turnover and the Aesthetics of Disposable Housing," Housing Quarterly, Vol. 14, No. 1, 1989, pp. 9-27。
[8] 国立建築資料館編『可変住宅アーカイブ目録 1971-1992』資料館叢書第5巻、1996年、pp. 301-315。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒川恒一郎「可変住戸における滞在単位の概念」『都市居住研究』第12巻第4号、1970年、pp. 18-29.
- ^ 東雲住棟試験班「東雲地区実験住宅の利用実態報告」『住宅公団内部資料』第7巻第2号、1975年、pp. 4-41.
- ^ 田所美奈子『流動する家族と集合住宅』中央住宅出版社、1981年、pp. 112-119.
- ^ Robert H. Kline, "Modular Exit Strategies in Postwar Apartments," Journal of Urban Dwelling Studies, Vol. 9, No. 3, 1978, pp. 201-218.
- ^ 佐伯隆文「継続的引っ越し装置としての住宅空間」『建築批評』第19号、1983年、pp. 55-66.
- ^ 松井達也『舞台と間取りのあいだ』下北出版、1987年、pp. 73-80.
- ^ Margaret A. Thornton, "Residency Turnover and the Aesthetics of Disposable Housing," Housing Quarterly, Vol. 14, No. 1, 1989, pp. 9-27.
- ^ 国立建築資料館編『可変住宅アーカイブ目録 1971-1992』資料館叢書第5巻、1996年、pp. 301-315.
- ^ 鈴木葉子「管理組合の季節更新制と住民心理」『都市生活学報』第8巻第1号、1990年、pp. 44-58.
- ^ James P. Miller, "The Politics of Temporary Rooms in East Asian Cities," Comparative Housing Review, Vol. 6, No. 2, 1994, pp. 77-96.
外部リンク
- 国立建築資料館デジタルアーカイブ
- 都市居住研究会年報ライブラリ
- 可変住戸保存連絡協議会
- 東雲実験住宅案内ページ
- 住宅史フォーラム・アーカイブ