ラクダ祭り
| 行事名 | ラクダ祭り |
|---|---|
| 開催地 | 群馬県高崎市・金剛砂神社周辺 |
| 開催時期 | 毎年9月第3土曜(前夜祭は金曜) |
| 種類 | 神事・民俗芸能・共同作業(道づくり) |
| 由来 | 砂地に残る「呼吸する足跡」を鎮める儀礼に由来するとされる |
| 主な参加者 | ラクダ飼育組合、稚児役、砂利商、神社権禰宜連盟 |
ラクダ祭り(らくだまつり)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
は、群馬県高崎市ので行われる共同体型の祭礼である。祭りの中心は、砂地の再生を願う“ラクダの足取り”を模した練り歩きと、神社境内に組まれる巨大な砂道(しゃどう)にある。
とりわけ奇妙なのは、ラクダ自体の有無にかかわらず、参加者が「呼吸のリズム」に合わせて行進の歩幅を揃える点である。古い町の言い伝えでは、砂地が乾く年ほど歩幅を“わずかに”広げる必要があるとされ、調整表が地区の回覧板に挟まれていたという[2]。
近年は観光行事としても知られる一方、祭りの夜に配られる「唇にだけ色の残る甘酒」が衛生講習会のたびに議題になるなど、地域の実務と結びついた行事として特徴づけられている。なおこの甘酒は、炭酸を含まないにもかかわらず“泡が立つ温度”が記録されているとされる[3]。
名称[編集]
祭りの正式名称は「ラクダ祭礼(らくださいれい)」であるが、町の会話では短くと呼ばれる。神社文書では、呼称が定型化したのは後期であり、当初は「砂足(すあし)鎮めの行列」と記されていたとされる[4]。
名称にラクダが入るのは、砂地の地形がラクダの足跡の形に似ると古老が述べたことに由来する、と説明されている。さらに別の系統では、外来商人が運んだ“試験用の運搬獣”が祭礼の動線を作ったとする説もあるが、いずれも史料の残り方が不揃いであると指摘されている[5]。
なお、参加者の衣装は「ラクダ色」とされる茶褐色一色ではなく、日没後の発光性を考慮して三層の染め分けが行われる。染料の配合表が残っている地区では、赤みを0.37倍に抑えると説明され、町の料理店がその比率を“秘伝だれ”に流用したと笑い話になることがある。
由来/歴史[編集]
砂地の「呼吸」を鎮める神話[編集]
の縁起では、の砂地が夜ごとに“吸って吐く”ように見える現象があり、放置すると井戸の水が濁るとされてきた。祭りはその現象を鎮めるため、砂道を人が踏むことで砂の呼吸を一定化させる儀礼に由来する、と述べられている[6]。
この儀礼の象徴として、ラクダの足取りが採用されたとされる。足跡の深さを均一にすることで砂の通気を整える、という実務的発想が背後にあったと推定されているが、同時に「ラクダは旅の神の使い」という説も併存している[7]。
一方で“ラクダ祭り”が実在の飼育習慣とどこまで結びつくかは議論がある。地元では「ラクダは目印であり、主役は人の歩幅だ」との見解があり、神社の御札配りの係が毎年その趣旨を説明しているといわれる。ここに、祭りが民俗だけでなく実務(道路整備・排水)と結びつく理由があるとされる。
鎌倉期の誤読と“年一度の調整表”[編集]
由来の起点はに置かれることが多い。『砂足記(すあしき)』という町の写本では、初めて祭礼の歩幅が数で規定されたのが「仁治2年(1240年)秋」と記録されている[8]。ただし同写本は後世の加筆が疑われ、調整表の数値にだけ墨が新しいと観察した研究者もいるとされる。
それでも「年一度の調整表」が残った経緯は、祭りの社会機能を示す。表は“乾き”の度合いを示す指標として「砂粒の落ちる秒数」を用いており、当日の歩幅を0.8分刻みで設定したと伝えられている。とりわけ、落ちる秒数が「17.2秒」を超えると、練り歩きの隊列が二重になる、という規則が有名であった[9]。
さらにには、砂利商と神社の権禰宜が連名で町触れを出し、祭りの前に水路を一度だけ“逆流”させる儀式が定着したとされる。ただしこの逆流は、現代の水利記録と比べて時期が合わないと指摘され、要出典になりやすい箇所でもある[10]。
日程[編集]
は毎年の第3土曜に本祭が行われ、前夜祭は金曜の夕刻から始まる。前夜祭ではの境内に“砂道骨組み”が組まれ、参拝者は木槌で杭を打つ。この杭打ちは儀礼であると同時に、実際の通行ルートを安全にする作業として扱われる[11]。
本祭当日は、午前に「足音合わせ(あしおとあわせ)」と呼ばれる試走が行われる。参加者が列の中央から1歩ずつ進み、足音の反響が一定になると合図が出る仕組みである。合図は鐘ではなく、砂道の側面に刻まれた“呼吸の溝”の振動で伝えられるとされるが、測定器の有無については地域差がある[12]。
昼には稚児役が砂道の両端で祝詞を唱え、夕刻に「ラクダの歩幅(らくだのほはば)」の儀が実施される。ここで決められた歩幅は、翌年まで“門前の掲示板”に貼り出される慣例があるとされる。なお歩幅は「玄関から門までの距離を、36回で割る」と説明されることがあるが、距離の取り方が年度で変わるため、実態が一貫しない可能性も指摘されている[13]。
各種行事[編集]
本祭の中心は「砂道練り(すどうねり)」である。参加者は砂道の上を歩くのではなく、砂道の縁に敷かれた薄い布の上を踏み、布が吸う空気量を均すことで砂の呼吸を整える、という説明が行われる[14]。
次に「ラクダ縫い(らくだぬい)」がある。これはラクダ革に見立てた布を縫い合わせる競技で、縫い目の間隔が“息継ぎ”の間隔と同じになるよう定められているとされる。記録では最優秀のチームが「縫い目143点」を達成した年があり、そのとき審査員は妙に厳密に採点したとして町の掲示板に残っている[15]。
また、夜には「砂灯(さとう)」と呼ばれる行灯の点火が行われる。行灯は灯油ではなく“焦げない粉”で燃えると説明されるが、材料が年ごとに変わった記録がある。地域の子どもは粉を集めて持ち帰ろうとするため、保護者向けに「絶対に口に入れないでください」という紙が毎年配布されるとされる[16]。
最後に「帰り道の逆拍(ぎのみちのぎゃくはく)」が行われる。これは本祭の隊列が来たときと同じ歩幅で帰るのではなく、1回だけ歩幅を縮めてから解散する儀である。縮める回数が2回だと翌日雨が降る、という俗信があり、雨の確率を巡って酒場の会話が熱くなると報じられたことがある[17]。
地域別[編集]
以外にも、近隣の砂地を抱える地域では「ラクダ祭り」の名称類似行事が見られる。群馬県内では、の「赤砂ラクダ会」は本祭の翌日に“歩幅の引き継ぎ会”を行い、歩幅を“家の柄”として残すと説明している[18]。
一方ででは、砂灯の粉燃料を「味噌の香りがするもの」に置き換える習わしがあるとされる。ただしこの香りは参加者の体質に合う合わないがあるため、衛生班が代替品を用意する運用になっていると伝わる。ここでは、祭りの目的が神事であると同時に“香りの共同体験”として機能している点が特徴である[19]。
また、町境の集落ではラクダを“見る行事”として扱い、遠方から連れてきた運搬獣を境界線の手前で見せてから帰す儀が追加されることがある。これに対し側は「見せない年にも砂は呼吸する」として反対することがあり、祭りの外縁では小さな論争が起こりやすいとされる[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬倫太郎『金剛砂神社縁起の写本史』群馬文庫, 1998.
- ^ 山岸恵美子「足音合わせ儀礼の調整数値に関する考察」『民俗技術学研究』第12巻第3号, pp.45-63, 2007.
- ^ Regina Al-Khattab『Ritual Rhythms in Pastoral Border Towns』Oxford University Press, 2016.
- ^ 鈴木清一『砂地共同体と道づくりの年中行事』東京学術出版, 2003.
- ^ Clara M. Haldane『The Candle That Breathes: Festival Mechanisms』Vol.2, Cambridge Scholars Publishing, pp.110-139, 2011.
- ^ 内田眞也「ラクダ革布の縫合競技と審査の形式化」『祭礼研究紀要』第27巻第1号, pp.1-29, 2019.
- ^ 金剛砂神社『砂足記(影写)』未刊資料, 1976.
- ^ 前橋市教育委員会『群馬の年中行事—記録と聞き書き』第2版, 群馬県, pp.78-92, 2012.
- ^ 田中慎二『水路の逆拍と局地降雨の関連』日本気象史叢書, pp.203-219, 1987.
- ^ Kenta Moriya『Walking-Width Calendars and Seasonal Beliefs』(題名がやや不自然だが関連する)Seoul: Archive Press, 2009.
外部リンク
- 金剛砂神社 祭礼アーカイブ
- 高崎ラクダ祭り保存会
- 群馬民俗技術データベース
- 砂道練り 図面館
- 砂灯 旧配合一覧