レスリーバモス
| 名称 | レスリーバモス |
|---|---|
| 別名 | 歩幅接続法、L-V式同期演技 |
| 分類 | 即興舞台技法 |
| 起源 | 1920年代のブダペスト |
| 考案者 | レズリ・ヴァーゴシュ卿とされる |
| 主な使用地 | ブダペスト、ウィーン、東京都 |
| 主要組織 | 中央歩調研究会 |
| 流行期 | 1931年 - 1958年 |
| 関連分野 | 演劇、都市催事、群衆誘導 |
レスリーバモス(英: Leslie Vamos)は、初頭のヨーロッパで体系化されたとされる、接続詞の配置と歩幅の同期を競う即興式の演技法である。しばしばとの境界領域に属する現象として扱われる[1]。
概要[編集]
レスリーバモスは、複数の演者が互いに一語ずつ異なる接続詞を発しながら、同一の歩幅で舞台上を移動する形式の即興演技である。観客には単なる奇妙な行進に見えるが、実際にはとを折衷した都市芸能として成立したとされる。
この技法は、1920年代後半にの興行師らが、雨天時の野外興行で観客を退屈させないために考案したのが始まりとされる。ただし、初期の記録は多くが焼失しており、成立事情にはいくつか異説がある[2]。
成立の経緯[編集]
もっとも有力とされる説では、のブダペスト南駅周辺で、巡回劇団の雑用係であったレズリ・ヴァーゴシュが、荷車の輪止めを踏まずに避ける動作を俳優の動線に応用したことが起点とされる。これを見た演出助手のが、接続詞の「しかし」「なお」「一方で」を足すことで会話のリズムが増幅すると気づき、歩行と発話を同期させた小品を作ったという。
、この小品がウィーンの小劇場《Kleine Passage》で上演された際、観客の半数が途中で立ち上がって拍手し、残る半数が「なぜ拍手したのか分からない」とアンケートに記したことから、レスリーバモスは独立した技法として認知されたとされる。なお、この公演記録には主催者名の綴りが三種類存在し、研究者のあいだでは「最初から統一されていなかったのではないか」との指摘がある[3]。
1934年には、の講堂で、歩幅をからまでに分ける標準化実験が行われた。実験は演劇研究ではなく、当初は駅前広場の混雑緩和を目的としていたが、結果的に“人の集団が横断歩道を渡るときに最もよく揃う会話の長さ”が算出され、都市催事の運営に転用されたのである。
技法[編集]
基本構造[編集]
レスリーバモスの基本は、各演者が一拍ごとに接続詞、二拍ごとに身体の向きを変える点にある。代表的な型は「前進」「逡巡」「再前進」の三部からなり、最終局面では全員が同じ方向を向いたまま異なる結論を述べる。これにより、物語の収束と身体の不一致が同時に生じると説明される[4]。
小道具と服装[編集]
標準装備は、片手に細い杖、もう片手に番号札である。杖は歩幅の誤差を補正するために用いられ、番号札は各演者が自分の接続詞の順番を忘れないためのものとされた。衣装は通常、の上下に青い縁取りを付けるが、以降は信号旗に似せた赤緑の配色が好まれ、東京都の下町公演ではそのために信号機と誤認された例がある。
訓練法[編集]
訓練は、まずに合わせての直線移動を行い、その後、観客の咳払いを録音した音源で再現する。熟練者は1公演あたり平均しか呼吸を整えないとされ、特に有名な指導者は、受講生に「句点は足で打つものではない」と叱咤したことで知られる。
拡大と流行[編集]
後半になると、レスリーバモスはオーストリアとの巡回劇場で流行し、駅前の慰問公演や百貨店の開店式にまで進出した。特にのでは、開演前の整列確認に使われた歩調がそのまま演目化され、劇場側が予定外に2回追加上演を行ったという。
戦後は、都市の再建とともに「人が同じ方向へ進みながら別々のことを言う」象徴表現として解釈され、にはパリの文化誌『Revue des Passages』が「レスリーバモスは復興期ヨーロッパの歩くレトリックである」と評した。もっとも、これに対し一部の批評家は「実際には雨天中止の穴埋めではないか」と書いており、評価は一枚岩ではない。
日本への伝来は、にへ寄港した演劇使節団によるものとされる。その後、銀座の小劇場や上野の野外催事で断続的に紹介され、最終的には大学の演劇研究会よりもむしろ駅前広報イベントの担当者に受け入れられた。これは、レスリーバモスが「説明しなくてもなんとなく盛り上がる」性質を持つためである。
社会的影響[編集]
レスリーバモスは、演劇よりもむしろ広報・行政の領域に影響を与えたとされる。にはが、市民向け啓発の試演にこの技法を採用し、横断歩道の前で係員が接続詞を唱えながら誘導する方式を試みた。結果として歩行者の整列率が向上した一方、係員がつられて別方向へ歩き始める事例が続出し、翌月には中止された。
また、のテレビ番組制作において、出演者が沈黙しがちな討論番組を「動きでつなぐ」手法として援用されたことから、舞台技法というより編集技術に近いものとして再定義する研究もある。の内部報告では、平均視聴継続時間が伸びたとされるが、測定担当者が最終的に番組の内容を一切聞いていなかったため、信頼性には疑問が残る[5]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、レスリーバモスが本当に独立した芸術形式であるのか、それとも駅前の整理係が偶然に洗練されただけなのかという点にある。のでは、ある研究者が「これは演劇ではなく、丁寧に設計された迷子防止である」と発言し、会場が10分間静まり返ったと記録されている。
また、創始者とされるレズリ・ヴァーゴシュの実在性をめぐっても論争がある。公文書上、同名の人物はにで短期間勤務していた記録があるが、芸術活動との接点は確認されていない。これを根拠に「レスリーバモスは個人ではなく、複数人の匿名合作ではないか」とする説が強まった一方、愛好家側は「名前が少し変わるのも歩調の一部である」と反論している。
なお、の再演では、演者が全員同じタイミングで転倒し、結果として“完全同期版”として高評価を受けた。この出来事は現在も、失敗と完成の境界を示す逸話として頻繁に引用される。
派生形[編集]
代表的な派生形には、短い接続詞のみで構成される「ミニマル・バモス」、逆に長文の従属節を一切切らずに進む「パラグラフ・バモス」、および観客が歩幅を指定する「参加型レスリーバモス」がある。とくににで行われた参加型公演では、観客が「もっと右へ」と叫び続けた結果、舞台が事実上に再配置され、設営班が翌朝まで戻せなかった。
近年は、の歩数計と連動させた「デジタル・レスリーバモス」も登場した。公演中に各演者の歩数がを超えると自動で拍手音が鳴る仕組みであるが、拍手が鳴るたびに演者が安心して速度を落とすため、演出上はむしろ古典版より不安定であると評されている。
評価[編集]
研究者の間では、レスリーバモスはの街路文化、駅前広告、即興劇、そして官僚的合図の折衷として理解されている。特には「この技法は、都市が自分自身を説明しようとして途中で息切れした痕跡である」と述べたとされ、しばしば引用される。
一方で、観客レビューには「理解できなかったが、歩きたくなった」「なぜか役所の窓口を思い出した」など、芸術評価というより身体反応に近い記述が多い。こうした不思議な普及のされ方こそが、レスリーバモスを20世紀の周縁芸能の中でも特異な位置に置いている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Kelemen, Margit『Passage and Pace: The Budapest Experiments』Central European Theatre Press, 1938, pp. 44-71.
- ^ Vargosh, L.『Leslie Vamos and the Grammar of Walking』University of Vienna Review, Vol. 12, No. 3, 1947, pp. 201-229.
- ^ 中村 玲子『中欧即興舞台の系譜』青鴎書房, 1964, pp. 88-113.
- ^ Trencsényi, Elsa『Rhythm in Civic Motion』Budapest Pedagogy Monographs, Vol. 4, 第2号, 1959, pp. 15-39.
- ^ 佐伯 恒一『群衆と韻律』演劇評論社, 1971, pp. 120-156.
- ^ Meyer, Otto H.『The Passage Theatre in Municipal Ceremonies』Acta Scenica, Vol. 7, No. 1, 1962, pp. 9-28.
- ^ 田所 みのり『レスリーバモス入門:歩幅と接続詞の実践』東都出版, 1984, pp. 5-62.
- ^ Havel, Josef『A Short History of the L-V Step, With Diagrams』Prague Cultural Studies, Vol. 3, No. 4, 1951, pp. 77-95.
- ^ 鈴木 健介『駅前で起きた演劇的誤解』北斗社, 1992, pp. 33-58.
- ^ Kovács, Pál『The Strange Case of the Red-Green Uniform』Journal of Civic Performance, Vol. 19, No. 2, 1978, pp. 144-167.
外部リンク
- 中央歩調研究会アーカイブ
- ブダペスト即興芸術資料館
- レスリーバモス国際保存連盟
- 中欧舞台学会デジタル年報
- 歩幅と接続詞の小史研究室