ヴァーリトゥード屋本舗
| 正式名称 | ヴァーリトゥード屋本舗 |
|---|---|
| 英語表記 | Vale Tudo Honpo |
| 創業 | 1978年頃 |
| 創業地 | 大阪府大阪市浪速区 |
| 主業 | 格闘興行、道場運営、通信販売 |
| 代表的事業 | 月例興行『無差別実演会』 |
| 標語 | 強さは棚に置け |
| 旧称 | 南海プロレス用品商会 |
| 関連施設 | 本舗地下稽古場・なんば展示室 |
ヴァーリトゥード屋本舗(ヴァーリトゥードやほんぽ、英: Vale Tudo Honpo)は、後半に大阪府の格闘技用品問屋から派生したとされる、系統の興行・道場・通販部門を一体化した事業体である。として知られる[1]。
概要[編集]
ヴァーリトゥード屋本舗は、を看板語に掲げながら、試合開催、道場経営、通信販売を同一屋号で行った特殊な組織である。格闘家の育成機関というより、という循環を制度化した点に特徴がある。
同団体はの設立以降、の倉庫街を拠点に急拡大したとされる。創業者のは、もとは沿線で巻き売り式のリングロープを扱っていた商人であり、のちに格闘興行の黎明期に「試合の規則そのものを販売物にできる」と気づいた人物として語られている[2]。
歴史[編集]
創業前史[編集]
前史としてしばしば挙げられるのが、1974年にの金物市で行われた「無名挑戦即売会」である。これは、、を同じ台で売る催しで、来場者の一人が「それなら殴り合いも売ればいい」と発言したことが転機になったとされる。この逸話は二次資料でしか確認できず、当時の販売記録にはなぜかとだけが残っている[3]。
本舗時代の成立[編集]
、沢渡はの木造倉庫を改装し、店舗兼道場を開設した。看板には「ヴァーリトゥード屋本舗」と書かれたが、当初は客の多くが玩具屋と勘違いして入店したという。ところが店内で行われる実演試合の評判が広がり、末には月間来客数がを超え、うち約3割が練習見学からそのまま会員登録を行ったとされる。
この時期に導入されたのが、後に業界標準となる「三層売場方式」である。1階で防具と栄養飲料、2階で簡易ルール説明会、地下で実戦形式の稽古を行う構成で、会計処理はの助言によって整備された。なお、地下稽古場の換気能力は当初毎分しかなく、3回目の興行で観客の7人が「妙に熱い」と訴えたという[4]。
全国展開と混迷[編集]
1984年からにかけて、同団体は名古屋市札幌市へ順次進出した。各地の支店は「本舗直営」とされたが、実際には地元の空手道場や興行会社と連携した準加盟制であり、契約書には「勝敗の取り決めは売上に準じて協議する」といった曖昧な条項が含まれていたとされる。
この拡大期には批判も多かった。とくにの大会では、試合中に売店の呼び込みが実況を始めたため、観客の一部が「どこまでが競技でどこからが販促か分からない」と困惑した。もっとも、この混乱がかえって話題を呼び、翌月の通信販売注文数は前年比に達したという。
衰退と継承[編集]
1992年の「大阪ルール改訂騒動」を境に、本舗は急速に求心力を失った。改訂案では、投げ技の回数制限、入場曲の長さ、さらには「購入後30日以内の再試合は交換対象外」といった規定が盛り込まれ、格闘家からも小売業者からも不評であった。
一方で、同団体の通販部門は生き残り、現在もの倉庫を拠点に、旧式の竹刀袋や“実戦向け”と称するスリッパなどを細々と販売しているとされる。2023年時点での登録会員はで、うち現役選手は92人、年1回以上の購入履歴がある休眠会員が約6割を占める。
特徴[編集]
ヴァーリトゥード屋本舗の最大の特徴は、競技、教育、販売の三機能が分離されていない点にある。選手はまず売場で接客を学び、次に稽古場で受け身を覚え、最後に会場で「商品説明付きの試合」を行うことが推奨された。
また、同団体では独自の「値札付き帯制度」が採用され、帯の色ではなく価格帯によって習熟度が示された。たとえばは初心者、は中堅、は「返品不可級」と呼ばれたという。なお、この制度は法的には曖昧であったが、客の理解は非常に早かったと記録されている。
主な人物[編集]
沢渡兼吉[編集]
創業者。元は出身の運送兼卸売業者で、若い頃は祭礼用の綱を扱っていた。強さよりも在庫回転率を重視する経営哲学で知られ、会議では「一本勝ちより、三本売れ」と繰り返したという。なお、彼が本当に格闘技を愛していたかについては、弟子の証言が一致していない。
真鍋リュウ[編集]
初期の主力選手で、のちに海外支店の巡回指導員となった。試合前に必ず売店の釣り銭を確認する癖があり、これが「経済感覚のあるファイター」として支持された。1990年の遠征では、相手陣営のセコンドにまで割引券を配った逸話が残る。
北条ミキ[編集]
広報兼ルールブック編集者。彼女が書いた『本舗式無差別実演心得』は全14版を重ね、説明文の途中に商品番号が混入していることで有名である。編集者としての手腕は高く評価されたが、稀に「赤コーナーの説明が長すぎる」と苦情が寄せられた。
社会的影響[編集]
ヴァーリトゥード屋本舗は、関西圏における格闘興行の大衆化に寄与したとされる。特に、試合観戦を「夜の娯楽」から「週末の買い物の延長」へと変えたことは、1980年代後半のに小さくない影響を与えた。
一方で、自治体や保健所との摩擦も少なくなかった。は1988年に「地下稽古場の湿度管理に関する注意」を発出したとされ、または館内アナウンスが試合進行と商品案内を兼ねていた点を「混同を招く」として一度だけ指導したという。もっとも、これらの出来事がメディア露出を増やし、結果として本舗の知名度を押し上げた。
批判と論争[編集]
批判の中心は、競技の公正性と商業性が過度に接近していた点である。とくに1991年の「計量会場即売会事件」では、選手が計量後に同じ部屋で握力ボールを購入できたため、外部の記者から「実戦の前に気合までレジに通している」と揶揄された。
また、創業初期の文書には、ルール変更が販売戦略に応じて月単位で行われていた痕跡があり、研究者の間では「競技制度の可塑性が高すぎる」と問題視されている。ただし、当事者側は一貫して「その時々の現場に最適化しただけである」と説明している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 沢渡兼吉『本舗興行録 第一巻』近畿棚卸出版部, 1986年.
- ^ 北条ミキ『無差別実演心得とその周辺』本舗文化研究会, 1991年.
- ^ 田所一郎「関西格闘小売業の成立」『スポーツ商業史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 41-67, 2002年.
- ^ Margaret L. Thornton, “Retail Combat and the Osaka Warehouse Scene,” Journal of Martial Commerce, Vol. 4, No. 2, pp. 115-139, 2008.
- ^ 山岡隆之『日本の実戦販売文化』港町出版社, 1998年.
- ^ 渡辺精一『都市倉庫と身体文化の交差』関西大学出版会, 2011年.
- ^ Ichiro Tanaka, “The Price-Tag Belt System in Early Vale Tudo,” Asian Fighting Studies Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-22, 2014.
- ^ 沢渡兼吉・編『ヴァーリトゥード屋本舗 年表 1974-1994』浪速アーカイブズ, 1995年.
- ^ 佐伯美和『地下稽古場の湿度管理史』大阪衛生史研究所, 2016年.
- ^ Robert G. Ellis, “When Announcers Became Salesmen,” Combat Entertainment Quarterly, Vol. 19, No. 4, pp. 201-228, 2020年.
外部リンク
- 本舗アーカイブズ
- 浪速格闘商業史館
- 関西実戦販売研究センター
- 地下道場資料室
- 大阪商業身体文化年報