不忍池
| 所在地 | 東京都台東区上野公園一帯 |
|---|---|
| 成立 | 寛永期に原形整備とされる |
| 水面積 | 約11.8ヘクタール |
| 平均水深 | 0.7メートル前後 |
| 用途 | 景観、養蓮、鳥類保全、記録保管 |
| 管理者 | 台東区公園緑地課・不忍池環境協議会 |
| 別称 | 忍びの池、蓮景池 |
| 関連機構 | 上野湿地文庫 |
不忍池(しのばずのいけ)は、上野にある巨大な複合水域であり、古くはの水利と記録保全を兼ねた「沈黙の貯水池」として整備されたとされる[1]。のちにの栽培、渡り鳥の誘致、ならびにと呼ばれる都市湿地管理の実験場として知られるようになった[2]。
概要[編集]
不忍池は、台地の南縁に広がる浅い池である。一般にはを中心とする景勝地として知られるが、都市史の一部では、近世初期に「音を吸う水面」として設計された特殊な公共空間であったと説明される。
この構想は、戦火や火災で散逸しやすい文書を一時的に湿潤環境へ退避させる目的と、都の南北交通における緩衝帯を形成する目的を兼ねていたとされる。もっとも、後世の研究では「文書退避」は儀礼的名目にすぎず、実際には夏季の熱気を和らげるための実験であったとの指摘もある[3]。
歴史[編集]
寛永整備と「沈黙の水面」[編集]
整備の始まりは年間とされ、の弟子筋にあたる水利奉行・が、上野丘陵の雨水を集める窪地を拡張したことに由来するとされる。池底には当初、焼き物片と瓦礫が大量に敷き詰められ、これが音を拡散させる「消音層」として機能したという。
の記録では、ここが「騒擾をいける場所」として扱われた節があり、年に三度だけ舟の往来が許可された。舟数は最大で17艘、乗員は一艘につき2名までと定められ、違反者には蓮根3貫目の納付が科されたというが、史料の信頼性には疑義がある[4]。
明治期の湿地再編[編集]
に入ると、不忍池は軍用地の調整と公園化のはざまで揺れた。内務省衛生局の技師・は、池を一度完全に干上がらせ、底面にとを交互に敷くことで「都市臭気を吸着する床」に改造しようと提案したが、地元の蓮栽培組合が強く反発した。
この対立の結果、池は完全な排水を免れ、代わりに「浅水・高密度植生方式」が採用された。これがのちの湿地管理の原型であり、1897年には東京府農事試験場で模倣実験が行われたとされる。なお、同年の実験報告書には「カモが想定外に聴診器を好む」との記述があり、要出典とされることが多い[5]。
戦後の観光化と鳥類保護[編集]
30年代以降、周辺のが文化施設の集積地として整備されるなかで、不忍池は観光資源として再定義された。とりわけ、夏季に一斉開花する蓮群落は、写真家の間で「都市の呼吸孔」と呼ばれ、早朝4時台の来訪者数が一時的に1日平均の3.4倍に達したという。
一方で、池に飛来するやをめぐって、1968年には鳥類の滞在許可証をめぐる地域協議が行われた。台東区は鳥類登録制を試みたが、鳥は一羽も申請書を提出しなかったため、制度は6週間で廃止されたとされる。これにより、不忍池は「人間が管理しきれない都市湿地」の象徴となった。
不忍池式都市湿地管理[編集]
管理原理[編集]
不忍池式とは、水位を安定させるのではなく、あえて0.3メートルから1.1メートルの範囲で揺らし続けることで、藻類・水鳥・釣り客の利害を同時に分散させる管理思想である。東京都下水道局の内部文書によれば、これにより悪臭苦情が年間18%減少した一方、蓮の茎が妙に真っ直ぐ育つ副作用が確認されたという。
この方式は、池の中央部を「静域」、外周部を「騒域」とする二層構造を前提とする。静域では舟遊びと撮影会が、騒域では餌やり、ラジオ体操、謎の楽器演奏が許容され、結果として都市住民の行動が自然に分節されたとされる[6]。
上野湿地文庫[編集]
1954年には、池の東岸に非公式の研究集会体「上野湿地文庫」が発足した。中心人物は植物学者の、民俗学者の、そして蓮根卸売商ので、彼らは池周辺で採取された泥を年ごとに封緘し、気象・臭気・鳥類の鳴き声を同時に保存する「泥年鑑」を作成した。
文庫の記録には、1963年の夏に池全域で白い泡が連続発生した際、蓮の葉が「互いに相談しているように見えた」との記述がある。研究会はこれを集団防衛反応と結論づけたが、後年の参加者は「単に洗剤流入だったのでは」と回想している。
文化的影響[編集]
不忍池は、江戸文学においては「忍び」の語感から静謐と逢瀬の場として描かれ、近代以降は「都会に残った半自然」の象徴とみなされた。特に風の耽美表現を模した短文が多く、池を背景にした恋文の写しがの近代書簡コレクションに紛れて保管されているという逸話がある。
また、1980年代以降はテレビ番組のロケ地として重用され、早朝の蓮池を映すだけで番組の格が上がるという俗説まで生まれた。台本作家のあいだでは「不忍池を1カット入れると企画書が通る」と言われ、実際に広告代理店がこれを検証したところ、提案書の採択率が12.6ポイント上昇したとされる。ただし、この数値の母数は8件である。
批判と論争[編集]
不忍池をめぐっては、景観保全と生態系管理のどちらを優先すべきかで長年議論が続いている。とくに蓮の密度を維持するための施肥をめぐり、2001年には周辺住民から「朝の香りが強すぎる」として苦情が寄せられた。
また、池の水位調整を担う自動弁が深夜に不規則作動し、月曜だけ水面が妙に低くなる現象が2009年から報告されている。台東区は「気圧の影響」と説明しているが、地元では弁天堂の影が水位を引いているという説が根強い[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 森川右京『上野台地水系改修記』江戸水利研究会, 1672.
- ^ 高橋静馬「都市臭気と浅水帯の相関」『東京府衛生雑誌』Vol. 14, No. 2, 1898, pp. 41-58.
- ^ 芦田きぬ子「不忍池の蓮根密度と水鳥滞留」『日本湿地学会誌』第7巻第1号, 1956, pp. 12-29.
- ^ 中里玄次『泥年鑑入門』上野湿地文庫刊, 1961.
- ^ 小林徳松「鳥類登録制の運用失敗について」『台東区史料通信』第3号, 1969, pp. 5-11.
- ^ Margaret L. Fenwick, “Adaptive Shallow-Water Governance in Urban Shrines,” Journal of East Asian Landscape Studies, Vol. 22, No. 4, 1987, pp. 201-233.
- ^ 佐伯一郎『蓮景都市論』都政文化叢書, 1994.
- ^ H. P. Wexler, “The Whispering Pond and Acoustic Sediment Layers,” Proceedings of the International Symposium on Metropolitan Wetlands, Vol. 5, 2002, pp. 88-107.
- ^ 台東区公園緑地課編『不忍池管理年報 平成21年度』, 2010.
- ^ 長谷川妙子「弁天堂影水位説の再検討」『都市民俗学研究』第18巻第2号, 2017, pp. 73-91.
外部リンク
- 上野湿地文庫アーカイブ
- 台東区不忍池観測報
- 東京近代景観研究センター
- 弁天堂影水位研究会
- 都市浅水面保存協議会