丸山樹
| 分類 | 都市景観装置、環状植栽、準宗教的緑化技法 |
|---|---|
| 提唱者 | 丸山 樹太郎 |
| 初出 | 1927年頃 |
| 中心地域 | 東京府芝区、のちの東京都港区 |
| 用途 | 街路樹配置、風向調整、視線誘導 |
| 主要機関 | 東京市公園課、内務省都市改良係 |
| 関連理論 | 回転樹冠論、三分割陰影法 |
| 現存記録 | 図面38点、写真14点、口述記録7件 |
丸山樹(まるやまじゅ、英: Maruyama Tree)は、日本の都市景観史において、樹木を「立つもの」ではなく「回るもの」として設計したとされる概念である。大正末期の東京府で成立したとされ、のちに東京都港区を中心に普及した[1]。
概要[編集]
丸山樹は、一本の樹木を中心に円環状の歩行空間と植栽帯を組み合わせ、周囲の人流・風向・視線の流れを調整する都市設計の一種である。名称は提唱者とされる丸山樹太郎の姓と名をそのまま併せたものだが、後年には「丸山式の樹木配置」を意味する一般名詞としても用いられたとされる[2]。
この技法は、単なる庭園意匠ではなく、関東大震災後の復興計画で問題となった狭隘道路、煤塵、立ち話の滞留を同時に解消するために考案されたと説明されることが多い。ただし、当時の行政文書には「樹冠の回転による心理安定効果」という極めて曖昧な表現が見られ、後世の研究者からは要出典の代表例として扱われている[3]。
歴史[編集]
成立と初期の試行[編集]
最初の実験は1927年、東京府芝区三田四国町の旧官舎跡で行われたとされる。丸山樹太郎は、東京帝国大学の造園研究会に出入りしていた土木技師で、当初は街路の並木が風で傾く問題に悩まされていたという[4]。
そこで彼は、幹を中央に据え、その周囲に半径1.8メートルの土盛りを円形に配置し、毎月15日に職員が北回りでひっくり返す「樹勢補正」を提案した。これにより樹木があたかも方位を学習するかのように成長したと記録されているが、実際には単に剪定が過剰だったのではないかとの指摘がある。
東京市への採用[編集]
1931年、東京市公園課は丸山樹を「試験的景観衛生設備」として採用し、芝麻布牛込の3区画に計17基を設置した。配備計画には、樹木の北側に「静思帯」、南側に「通話帯」を置く細かい指定があり、通行人が自然に小声になる現象が観察されたという[5]。
また、当時の広報誌『市政と樹木』では、丸山樹のある交差点では自転車の停車時間が平均で11.4秒延びる一方、立ち話は26秒短くなると報告された。計測方法が不明であるうえ、サンプル数が14人と少ないため、のちに「統計のふりをした文学」と評されている。
構造と運用[編集]
丸山樹は、幹部・樹冠・受け皿状の土壌帯からなる三層構造を標準とし、中央の樹木を取り巻く環状石材が特徴である。石材は茨城県産の凝灰岩が好まれ、表面には方位を示す刻印が入れられたとされる[8]。
運用は厳密で、春分と秋分の前後3日間に「位相合わせ」と呼ばれる作業が行われた。職員は左回りに2周、右回りに1周歩いてから剪定し、その後に練馬式の竹箒で落葉を外周へ掃き出したという。もっとも、この手順は自治体ごとにかなり差があり、名古屋市では逆に歩行者の迷走を招いたため、1年で中止されたとの記録がある。
社会的影響[編集]
丸山樹は都市計画だけでなく、礼儀作法にも影響したとされる。設置区域では人々が樹を避けるため、自然と道の中央を空けて歩くようになり、結果として「譲り合いの道徳」が生まれたという説がある[9]。
一方で、商店街からは売店前の滞留が減るとして反発もあった。とくに上野の果物店主・佐伯善次郎は「客が木を見て満足して帰る」と抗議し、東京商工会議所に対して撤去嘆願書を提出した。これが逆に新聞で報じられ、丸山樹の知名度が上がったというのは有名な逸話である。
また、戦前の女性雑誌『緑の生活』では、丸山樹の周辺は「気圧がやわらぐ」と紹介され、婚礼写真の背景として人気を博した。実際には照明の都合によるものとみられるが、当時の広告文は非常に説得力があり、保存会でも半ば伝説として扱われている。
批判と論争[編集]
丸山樹に対する最大の批判は、科学的根拠が不明瞭である点である。特に1938年の『都市改良評論』掲載論文では、樹木の回転方向と住民の幸福度に相関があるとされたが、肝心のデータ表が丸ごと抜け落ちていた[10]。
また、保存運動の一部では、丸山樹の起源を京都の寺院庭園に求める説、あるいはロシアの園芸家ミハイル・チェルネンコが先に類似装置を考案していたとする説が唱えられた。しかし、いずれも決定的証拠はなく、現在では「複数の誤解が互いを補強した結果、ひとつの制度になった」と理解されることが多い。
なお、1978年にNHKが放送した特集番組では、復元模型の樹冠が収録中に勝手に回転したように見えたため、番組後半がほぼ編集で飛ばされた。これを機に「丸山樹は映像に映すと真面目に見えすぎる」という逆説が語られるようになった。
現代の扱い[編集]
現代では実用技術としてよりも、戦前都市文化の珍事例として保存されている。東京都内では数か所に復元基があり、毎年10月の「環状緑化の日」に公開されるが、参加者の多くは写真を撮ったあと普通のベンチとして利用している[11]。
また、造園学の講義では、丸山樹は「都市が自らを飾ろうとしたときに生まれる過剰な優雅さ」の例として紹介される。近年はデジタル庁の一部職員が、会議室の観葉植物を円形に並べて「リモート丸山樹」と呼んでいるとの報告もあるが、庁内資料に正式な記載はない。
脚注[編集]
1. ^ 伝承上の初出については、丸山樹太郎の回想録に依拠するが、原本未確認である。 2. ^ 『東京市公園課年報』の記述は写本のみが残る。 3. ^ 「心理安定効果」は当時の行政文書にのみ現れる表現である。 4. ^ 東京帝国大学造園研究会の会員名簿には丸山の名が見当たらない。 5. ^ 計測条件は「曇天、微風」とだけある。 6. ^ 米軍住宅地との関係は保存会資料で強調されている。 7. ^ 1960年代の普及数は自治体報告の合算値とされる。 8. ^ 断面図の石材産地は、後年の修復時に推定された可能性がある。 9. ^ 道徳効果の因果関係は確認されていない。 10. ^ 原論文は図版番号が本文より多い。 11. ^ 現地では「触れると少しだけ左へ寄る」と案内される。
脚注
- ^ 丸山樹太郎『環状樹木配置論』東京市公園課資料室, 1932年.
- ^ 佐伯 恒一『都市の木はなぜ回るのか』日本造園学会誌 第18巻第4号, 1959年, pp. 44-61.
- ^ Margaret L. Thornton, "Rotational Arboriculture in Prewar Tokyo", Journal of Urban Folklore Vol. 7 No. 2, 1971, pp. 103-128.
- ^ 田所 恒一『丸山樹と市民の歩調』建設省都市計画研究所, 1964年.
- ^ Mikhail Chernenko, "On Circular Shade Devices", Proceedings of the Imperial Horticultural Society Vol. 12, 1939, pp. 211-219.
- ^ 『市政と樹木』東京市公園課 第3巻第1号, 1931年, pp. 2-9.
- ^ 藤井 千鶴『緑化儀礼の社会史』岩波書店, 1987年.
- ^ Harold E. Westrup, "The Maruyama Tree and Civic Silence", The Eastern Architectural Review Vol. 4 No. 1, 1962, pp. 17-30.
- ^ 『都市改良評論』第11巻第3号, 1938年, pp. 77-84.
- ^ 中村 祥一『丸山樹標準断面図 研究ノート』港区郷土資料館, 2004年.
- ^ 加藤 いづみ『回る木、止まる町』青潮社, 1998年.
外部リンク
- 丸山樹保存会
- 東京環状緑化アーカイブ
- 都市景観装置研究所
- 港区郷土資料館デジタル展示
- 市政と樹木電子版