西熊本中央製鋼大学
| 正式名称 | 西熊本中央製鋼大学 |
|---|---|
| 略称 | 西熊鋼大 |
| 英語名称 | Nishikumamoto Central Steel University |
| 設立 | 1948年 |
| 創立母体 | 西熊本臨海製鋼研究会 |
| 種別 | 私立 |
| 本部所在地 | 熊本県熊本市西熊本臨港区 |
| 学部 | 製鋼学部、熱処理工学部、都市材料学部 |
| 大学紋章 | 三重の鋼輪とカモメ |
| 校訓 | 鉄を学び、街を支える |
西熊本中央製鋼大学(にしくまもとちゅうおうせいこうだいがく、英: Nishikumamoto Central Steel University)は、熊本県南西部の製鋼試験都市構想を母体として設立された私立大学である[1]。冶金学、都市工学、応用焼入れ学の三分野を柱とし、通称「西熊鋼大」と呼ばれている[2]。
概要[編集]
西熊本中央製鋼大学は、戦後の熊本市沿岸部における復興資材不足を背景として、民間の製鋼試験場を改組して誕生したとされる大学である。建築用鋼材の研究だけでなく、錆の進行を予測する「潮風応力学」や、工場夜景を都市景観として扱う「夜間製鋼美学」でも知られている[3]。
同大学は、地元の中小製鉄所、港湾労働組合、旧九州帝国工業専門学校出身者の三者が奇妙に一致して支えたことで拡大したとされる。なお、創立当初は学内に高炉が二基あり、試験運転の日には授業の出席より炉の圧力管理が優先されたという逸話が残る[4]。
歴史[編集]
創設期[編集]
1947年、西熊本臨海製鋼研究会の事務局長であった渡辺精三郎は、戦災で破損した橋梁の鉄材を再利用するため、港湾倉庫を講堂兼精錬室に転用する案を提示した。翌1948年、これが私立大学設置認可の審査に通過し、西熊本中央製鋼大学が発足したとされる[5]。
創設当初の教授陣には、元軍需省技官、釜山からの引揚者、そして鹿児島県の農村から転身した炉前職人が含まれていた。学内では「理論は午前、溶解は午後」という時間割が採用され、実験失敗の際には失敗鋳塊に学籍番号を刻む習慣があったという。
学風[編集]
同大学の学風は「現場第一、理論第二、礼儀は第三」と要約されることが多い。学生は入学直後に安全靴の選定試験を受け、サイズよりも「火花の跳ね返り方」で適性が判定されたという[8]。
また、実習文化が非常に強く、卒業論文は通常の論文に加えて、最終ページへ自作の鋳型図を付けることが慣例化していた。教授会では、難しい理論よりも「この数字は炉の機嫌に合うか」が重視されたとされ、他大学からは半ば敬遠、半ば尊敬されていた。
一方で、文学や音楽との接点も意外に深く、学内軽音楽部が制作した「焼鈍ブルース」は九州の工業系大学祭の定番曲となった。歌詞に「温度は裏切らないが、湿度は裏切る」という一節があることで知られる。
研究と産業連携[編集]
西熊本中央製鋼大学の研究は、耐海水鋼、低コスト防錆塗料、港湾クレーンの疲労寿命予測など、実用性の高い分野に集中していた。とりわけ1978年に開発された「NCS-17型耐潮鋼」は、有明海沿岸の防波堤工事で採用され、標準鋼材より平均で12.4%長持ちしたとされる[9]。
また、同大学は地元企業との共同研究を通じて、製鋼過程で出る副産物をレンガ、歩道ブロック、さらには駅のベンチに再利用する「都市化スラグ循環計画」を推進した。この計画により、熊本駅周辺の一部歩道には、細かな鉄粉が雨の日に磁石へ反応する舗装が施されたが、磁気財布を持つ観光客が小銭を落としやすくなるとして後に改善された[10]。
キャンパス[編集]
キャンパスは熊本市西部の埋立地に広がり、海風対策として建物がすべて少しだけ高床式になっている。中央部には炉心広場があり、その周囲を第一高炉館、第二高炉館、材料分析塔、学生食堂「スラグ」が環状に取り囲む構造であった[11]。
特筆すべきは図書館で、閲覧席の背後に金属試料棚が並ぶため、静寂の中で微かな金属音が響く設計になっていた。学生の間では、試験前に試料棚の前で参考書を読むと記憶が定着しやすいという俗説があったが、学内保健室は「気分の問題である」としている。
なお、1990年代に建てられた学長館は、台風対策として屋根がわずかに船型に設計されており、遠目には「港に係留された鋼鉄の客船」に見えることから、近隣では観光案内の目印にもなっている。
社会的影響[編集]
同大学は単なる工学教育機関にとどまらず、戦後復興期の地方都市が「鉄を学ぶこと」を通じて自尊心を回復していく象徴とみなされてきた。卒業生の多くが九州各地の製鉄所、造船所、公共事業会社へ就職し、特に港湾補修の現場では「西熊鋼大出身なら図面が汚れていても実物を見抜く」と評されたという。
他方で、学内で培われた実験文化が過剰に地域へ浸透し、近隣の中学校で金属バットの曲げ試験が理科実験として半ば非公式に行われたことがある。これについては教育委員会から注意があり、大学側は「科学への関心を育てる副作用である」とコメントしたが、記録は現在も要出典とされる。
批判と論争[編集]
西熊本中央製鋼大学には、製鋼偏重と軍需技術の継承をめぐる批判がたびたび寄せられてきた。とくに1983年の内部文書流出では、学内の耐熱研究室が「理論より火力」を標語としていたことが明らかになり、識者の間で教育理念の是非が議論された[12]。
また、1997年には学食で提供された「鉄分強化みそ汁」の鉄含有量表示をめぐり、消費者団体から景品表示法上の疑義が示された。大学側は「鉄鍋で煮たので鉄分が増えた」と説明したが、実際には鍋の底の削れ片が溶け込んでいただけであったとされる。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精三郎『西熊本臨海製鋼史』西熊本教育出版, 1952年.
- ^ 荒木洋一『港湾都市における鋼材教育の成立』九州学術書房, 1961年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Tide-Resistant Alloys in Postwar Kyushu", Journal of Coastal Metallurgy, Vol. 8, No. 3, pp. 114-139, 1979.
- ^ 西熊本中央製鋼大学史編纂委員会『西熊鋼大五十年誌』同大学出版会, 1998年.
- ^ 佐々木恒男「炉心広場占拠運動の社会史」『地方大学研究』第12巻第4号, pp. 41-66, 1974年.
- ^ Kenji Uemura, "Slag Architecture and Urban Memory", Transactions of the Japanese Society of Industrial Aesthetics, Vol. 15, No. 1, pp. 7-28, 1986.
- ^ 高橋良子『潮風応力学入門』港湾技術新書, 1981年.
- ^ 西川真理子「都市化スラグ循環計画の実証」『環境材料レビュー』第6巻第2号, pp. 201-223, 1992年.
- ^ Pierre Delacroix, "Iron Pedagogy and the Southern Japanese Campus", Revue Internationale des Études Techniques, Vol. 22, No. 4, pp. 55-79, 2001.
- ^ 『鉄分強化みそ汁と表示規制をめぐる覚書』熊本消費文化研究センター, 1998年.
- ^ 中村鋼太郎『夜間製鋼美学の理論と実践』港の書房, 2007年.
外部リンク
- 西熊本中央製鋼大学公式資料室
- 西熊鋼大同窓会アーカイブ
- 熊本工業史デジタル年表
- 南九州製鋼文化研究ネット
- 炉心広場保存会