交奏曲第5番「放射線」
| 作曲者 | シルヴェスター・スミス |
|---|---|
| 作曲年 | 1958年 |
| ジャンル | 交奏曲 |
| 編成 | 弦楽四重奏+打楽器(ガイガーカウンター等) |
| 初演地 | (ハイド・パーク音楽ホール) |
| 代表的技法 | 測定ノイズの音楽化(計数率の割当) |
| 主題 | 放射線という現象の“確率的リズム” |
| 所要時間 | 約19分12秒(全6楽章) |
交奏曲第5番「放射線」(こうそうきょくだいごばん ほうしゃせん)は、にシルヴェスター・スミスが作曲した交奏曲である。楽器としてを用いる点が特徴とされ、を体現した作品として国際的に評価されている[1]。
概要[編集]
は、音響的には弦楽の旋律が支配しつつ、打楽器群の一部にを組み込むことで、計測値の揺らぎを“拍”として聴かせる交奏曲とされる。作曲者はシルヴェスター・スミスで、の原子政策ブームの空気を、楽譜に落とし込んだ作品として紹介されることが多い。[2]
成立の経緯としては、スミスが研究施設の公開見学で聞いた「カチカチ」という音を、通常のクリック音としてではなく“確率の発音”として捉えたことが契機である、と説明される。ただし、当時の楽譜作成資料には複数の草稿が存在し、どのメーターをどの距離に置いたかについて記録の食い違いも指摘されている。なお、世界初演当夜の照明の色温度がであったという細目まで残っている点は、後年の研究者により“史料として異常に手厚い”と評価されることがある。[3]
構成[編集]
本作は全6楽章からなり、楽章ごとにガイガーカウンターの「検出条件」が異なるよう設計されたとされる。第1楽章では装置の感度を控えめにし、弦が規則的な主題を提示した後に、低頻度の“クリック”が隙間を埋める。第2楽章では拍の間隔が短くなるよう指示が入り、第3楽章以降は計数の揺らぎが和声進行に干渉するように作曲されたと説明される。[4]
演奏上の要点として、スミスはガイガーカウンターの読み取り値を“音価換算”するための計算表を付した。例えば、第4楽章では1分あたりの計数率を(1分間計数)から開始し、演奏者が指定された手順で条件を調整することで、クリックが相当の密度に寄るよう求められた、とされる。[5]
また、終楽章では弦楽が緩やかに下降し、打楽器部が“過剰な自己主張”に見えるほど頻繁にクリックを置く。その結果、作品全体が放射線そのものを説明するのではなく、「測ることによって世界が変わる」という感覚を聴衆に与えるものとして位置づけられている。実際、楽章タイトルには物理用語がそのまま使われていたとされるが、当時の出版社の校正版では表記が一部ぼかされたことが知られている。[6]
発展と受容[編集]
原子時代の音楽としての拡散[編集]
交奏曲第5番「放射線」は、の象徴として語られ、1950年代末から1960年代にかけて欧米の複数の学術・演奏団体に取り上げられたとされる。とりわけの音楽新聞が「測定のリズムは未来の様式になる」と書いたことで、技術者・作曲家・放射線審査官の三者が同じ舞台の文脈で語られる現象が起きた。[7]
一方で、同作品を“実験音楽”として扱う動きもあった。当時、英国のある演奏会では、舞台袖に置かれた測定器の校正値を変えるたびに音の密度が変わる様子が、観客の拍手のタイミングと同期するように工夫されたと報告されている。ただし、この逸話は同時期の異なる会場記録と照合すると時系列が逆転しており、編集者が後から脚色した可能性があるとして、研究史の議論材料にもなった。[8]
放射線の“危うさ”をめぐる解釈[編集]
本作の受容には、技術のロマン化と危険性の見えにくさが同時に存在した。スミス自身は「放射線は恐怖ではなく、時間の統計である」という趣旨の談話を残したとされるが、その談話が書き起こされた日時は資料によっての初演前とする説と、初演後の再取材とする説に分かれる。[9]
また、作品に対しては“測定器を鳴らしているだけではないか”という批判が早くからあった。その反論として支持派は、クリック音が“偶然の効果音”ではなく、和声の統計形として設計されている点を強調した。たとえば第5楽章では、計数率を段階的にずつ増やす指示があり、その変化量がそのまま弦の移調幅へ反映されるよう書かれている、と解説されることが多い。[10]
作曲者と制作の舞台裏[編集]
シルヴェスター・スミスは、作曲家であると同時に、機器の扱いに異様な几帳面さがある人物として語られている。伝記的には、彼がメロディを決めるより先に「装置が誤作動しない条件」を執拗に詰めたことが、複数の証言から確認されたとされる。特に、近郊の倉庫で行われた試運転では、周囲の騒音レベルをに抑えないとクリックが弦の倍音に紛れ、楽譜の意図が崩れると指摘した、という記録が残っている。[11]
制作の中心組織としては、のプロジェクト室が挙げられる。スミスは同所の技官だったカイエン・バルブリックと協働し、ガイガーカウンターの信号を直接鳴らすのではなく、計数値をトリガーにして舞台上の打楽器へ分配する“回路の二重化”が検討されたとされる。[12]
ただし、当初案では「本物の放射線源を用いて計測を成立させる」計画が強く検討されていたとも伝えられている。その後、スポンサー側の慎重論に押されて、実用上は別の擬似条件(遮蔽材・距離調整・散乱板)で計数率を稼ぐ方式へ移行した、と説明されることがある。ここに、解釈が割れやすい“安全の物語”が混在し、後年の評伝では『何が本当に鳴ったのか』が論点になったとされる。[13]
批判と論争[編集]
交奏曲第5番「放射線」は、芸術として評価される一方で、測定器の象徴性が強すぎる点が批判対象になった。とくに、作品を“原子の礼賛”として受け取る解釈が一部で広がり、演奏会の場で政治的文脈を読み込まれることで、主催側が説明責任を負わされたという出来事があったとされる。[14]
また、ガイガーカウンターを音楽に転用したことで、純粋な聴覚体験が損なわれるのではないか、という論点も存在した。音響学者の一部は、クリックが“偶然”を代表するなら、作曲の必然性と相性が悪いと指摘したとされる。一方で、擁護側はクリックを偶然ではなくモデルとして扱っている、と反論した。[15]
さらに、もっともよく知られた論争として「初演時の計数率が本当に記録通りだったか」という点がある。1970年代の再調査では、当時の舞台記録にあると、現存する草稿にあるの差が問題視された。これに関して、校正段階での誤記説が挙げられたが、他方で“当夜だけ意図的にズラした”とする証言もあり、結論は出ていないとされる。[16]
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ M.リンド『放射線と拍:1950年代後半の音楽史料』アトラス音楽出版, 1963.
- ^ A.ハルブリッジ『ガイガーカウンターの音響化と楽譜設計』音響工学叢書, 第4巻第2号, 1961, pp. 33-58.
- ^ C.ヴェッセル『交奏曲の形式と機械的トリガー』ロンドン・リズム研究会, Vol. 12, No. 1, 1966, pp. 101-144.
- ^ S.ノール『原子時代の象徴としての測定ノイズ』国際美学誌, 第7巻第3号, 1970, pp. 201-228.
- ^ E.マルチェロ『舞台照明の色温度がクリック密度に与える影響』照明音響研究, 1968, pp. 7-19.
- ^ T.ベーレン『計数率の音価換算:スミス作品の復元研究』確率音楽学会紀要, 1982, pp. 45-73.
- ^ J.ローレンス『測ることが作曲になる:放射線を用いた稀少編成』ニュー・オーケストラ学, 第9巻第4号, 1991, pp. 12-39.
- ^ R.キルデア『ハイド・パーク音楽ホールの公演台帳(1958年)』公演記録アーカイブ, 2004, pp. 88-96.
- ^ S.スミス『交奏曲第5番「放射線」作曲覚書』英国音楽出版社, 1959, pp. 1-62.
- ^ H.サトウ『クリック音楽の倫理:放射線表象の議論』Journal of Experimental Ethics, Vol. 3, No. 2, 2011, pp. 77-99.
外部リンク
- Quantitative Listening Archive
- Radiation Music Manuscripts
- Royal Quantitative Acoustics Institute Records
- London Hayd Park Concert Ledger
- Probabilistic Rhythm Reference