伊豆大島
| 名称 | 伊豆大島 |
|---|---|
| 種類 | 火山観光複合施設(防潮・眺望・学習区画) |
| 所在地 | |
| 設立 | 41年(1966年) |
| 高さ | 最高展望櫓:海面上 128.4m |
| 構造 | 玄武岩模擬殻体+RC免震基礎(学習用トンネル併設) |
| 設計者 | 渡辺精一郎建築設計事務所 ほか |
伊豆大島(いずおおしま、英: Izu-Oshima)は、にある[1]である。現在では、港湾防潮技術と周辺都市計画を体感する「島都」モデルとして知られている[1]。
概要[編集]
は、火山地形を模した屋内外複合の観光・防災学習施設として所在する建造物である。現在では、「溶岩の記憶」をテーマにした常設展示と、気象・地震の疑似体験区画が一体化して運用されている。
施設はの沿岸都市計画の一環として計画され、観光目的でありながら防潮の考え方が体感できるよう設計されたとされる。特に、台風時の避難導線を「3層螺旋」と呼ぶ独自の動線で再現する点が特徴として挙げられている[1]。
名称[編集]
名称の「伊豆大島」は、当初計画段階で用いられた仮称が定着したものとされる。もともとは、火山文化の再編集を狙った「伊豆—大島文化軸」構想に由来する呼称であり、設計審査会資料では「I-0島型」とも記載されていた[2]。
一方で、住民団体側は「大島」を単なる地名ではなく、住民教育の“島”として捉えるべきだと主張したとされる[3]。このため、施設入口には「島は隔てではない」という標語が、石材プレートに刻まれている。
なお、音響学的には名称の子音が来訪動機に影響する可能性があるとして、企画担当がローマ字表記の「IZU-OSHIMA」を数パターン試験した記録が残るとされる[4]。この試験は来場者の反応を「笑い声指数」で測定したとも言われている。
沿革/歴史[編集]
計画の発端(“溶岩講習”計画)[編集]
34年(1959年)頃、沿岸部で防災教育の実地訓練が不足しているという指摘が(当時の仮称)から出されたとされる[5]。それを受け、学習施設を「自然現象の代替」ではなく「理解のための装置」として整備する方針が立てられた。
この方針の下、渡辺精一郎建築設計事務所が、溶岩が冷える工程を見立てて温度制御する“講習炉”を提案したとされる。資料には、炉の到達温度を「外気より 37.6℃高い条件」とするなど、やけに具体的な数値が見られる[6]。
建立と拡張(3層螺旋の完成)[編集]
施設は41年(1966年)に着工され、完成は44年(1969年)とされる。ただし、展望櫓の最終階段は台風の影響で遅延し、竣工式が 9日だけ前倒しされたという記録がある[7]。この前倒しは、工事計画が「月齢カレンダー」に連動していたためだと説明される。
拡張工事では、学習区画の天井に「反響レンガ」を採用した。反響レンガは、通常のモルタルよりも乾燥収縮を抑え、避難アナウンスが聞き取りやすくなるとされた[8]。なお、この性能が高すぎたために、展示室のガイド音声が数秒間だけ“詠唱”のように響いたという噂が残っている。
運用の転換(“島都”コンセプト)[編集]
期に入ると、観光客の増加を背景に、施設を単なる見学対象から都市型教育装置へ転換する動きが強まった。そこで、近隣の架空区画に「島都管理棟」が新設され、来訪者の導線が季節ごとに自動調整される仕組みが導入されたとされる[9]。
この運用変更の目玉は、混雑時に音声案内と視覚案内を切り替える「二重合図」方式である。資料では切替基準が「歩行密度 1.8人/㎡以上」と定められており、かなり細密な数式が併記されていた[10]。
施設[編集]
は複数の区画から構成され、中心には海面上 128.4mの最高展望櫓が所在する。櫓は玄武岩模擬殻体の外観を持ち、内側はRC免震基礎で支えられているとされる[11]。また、観光導線の核には「3層螺旋」と呼ばれる回遊動線が組み込まれている。
施設内部には、溶岩冷却を学習するための“温度回廊”がある。回廊では、触れることはできないが温度差だけを体感できるよう、通路幅が 1.1m、壁面の熱保持材の厚さが 22.5cmと説明されている[12]。来訪者の間で「冷えてるのに熱い気がする」という声が上がり、笑いを誘う演出として定着したとされる。
さらに、疑似地震体験のための「揺れ文字展示」では、プレートに 60文字相当の溝を刻み、揺れの度合いで文字の可読性が変化する仕組みが採用されたとされる[13]。この方式は、子ども向けに“災害を読めるようにする”教育効果を狙ったものだと説明されている。
交通アクセス[編集]
交通はの路線計画に基づき整理されている。主要導線は、の中央桟橋から出る周遊連絡船で、所要時間は 19分とされる[14]。
また、施設内の移動は徒歩中心であるが、混雑期には「免震カート」と呼ばれる低速モビリティが運行される。免震カートは急加速を避けるため、速度制御が 0→15km/hまで 6.2秒で到達する仕様とされる[15]。なお、制御が丁寧すぎて利用者が“ゆっくり怖い”と言った逸話がある。
鉄道接続については、実在路線との直接連結は行われず、徒歩圏の「島都前連絡広場」から徒歩 9分の取り回しとされている。案内板には方位に加えて“迷子の確率”が併記された時期があり、その数値が「約 0.07」だったとして話題になった[16]。
文化財[編集]
は文化財として、景観要素が段階的に登録された経緯がある。まず、46年(1971年)に“反響レンガの外装意匠”が技術史的価値として登録されたとされる[17]。その後、7年(1995年)には、3層螺旋動線の設計原理が「避難教育の建築的工夫」として追加認定されたとされる[18]。
また、展望櫓の内部に保存されている「講習炉の制御盤」は、部品の一部が交換されたにもかかわらず、当初の配線色が残る点が評価されている[19]。一方で、当該制御盤の“当時の仕様値”が 3系統同時稼働の前提で設定されていたとする記述は、利用実績との整合が難しいとして、専門家の間で疑義が呈されたとされる[20]。
なお、施設内の展示では、登録文化財を“押して回すスタンプ”で理解できるように工夫されたという。これは学習アクセシビリティの観点から導入されたと説明されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「火山観光施設における3層螺旋動線の可読性改善」『防災教育建築年報』第12巻第2号, pp.31-58, 1970.
- ^ 内務再編総合研究庁編『沿岸都市の学習装置化に関する基礎調査報告』創友社, 1961.
- ^ 高橋静子「命名が来訪動機に与える音韻的影響:Izu-Oshima表記試験」『観光言語学研究』Vol.4 No.1, pp.11-24, 1982.
- ^ 佐伯元昭「反響レンガの乾燥収縮抑制設計と避難アナウンスの聞き取り」『建材工学技術誌』第8巻第3号, pp.77-102, 1973.
- ^ 架空港湾交通局「周遊連絡船の運行時間最適化(19分モデル)」『海上交通計画研究』第21号, pp.5-19, 1968.
- ^ 島都管理棟運用委員会「二重合図方式による混雑時案内の切替閾値」『都市アメニティ工学論叢』Vol.9 No.4, pp.141-165, 2001.
- ^ 北村玲子「温度回廊における体感温度の設計パラメータ:1.1m通路と22.5cm材」『環境学習施設レビュー』第3巻第1号, pp.50-69, 1999.
- ^ 伊東学「揺れ文字展示の運動学的可読性」『舞台計測と防災演出』第15巻第2号, pp.203-231, 2006.
- ^ 渡辺精一郎建築設計事務所「伊豆大島施設実施設計概要」渡辺精一郎事務所, 1966.
- ^ 『東京沿岸景観登録記録(追加分)』東京都景観局, 1995.
外部リンク
- 島都管理棟公式アーカイブ
- 反響レンガ資料館
- 免震カート運行ダッシュボード(過去版)
- 伊豆—大島文化軸研究会
- 揺れ文字展示の学習ガイド