全日本山地帯整地計画
| 対象地域 | 山地帯(海岸直近の丘陵〜内陸山麓を含む) |
|---|---|
| 開始年 | 44年(構想の公表) |
| 計画期間 | 第一次:5年、第二次:10年、以後は「延長運用」 |
| 所管 | 山地農地整地局(仮称) |
| 主要技術 | 斜面格子整地・緩勾配道路補助・植生マット被覆 |
| 事業単位 | 整地ブロック(HB区画:平均0.38km2) |
| 批判点 | 過剰な区画化による生態系分断、用地買収の紛糾 |
| 関連用語 | 山地帯“水平化率”、整地景観係数 |
全日本山地帯整地計画(ぜんにほんさんちたいせいちけいかく)は、のを対象に段階的な整地・区画化を行うことを目的として構想されたとされる国家的計画である。作付け効率の改善と防災の両立を掲げた点が特徴とされている[1]。
概要[編集]
全日本山地帯整地計画は、山地帯に点在する棚状耕地や放牧地を、一定の勾配と走行動線に合わせて再整備することを目的とする計画として語られている。公式資料では、とを同時に高める「地形工学」的アプローチが強調されたとされる[1]。
この計画は、単なる造成事業ではなく、整地の成果を「数値」で管理する文化を行政に持ち込んだ点でも特徴的である。たとえば、斜面を水平基準に“どの程度寄せたか”を示す、造成後の景観のまとまりを示すなどの指標が、現場報告書で頻繁に用いられたと記録されている[2]。もっとも、指標が現実の自然や暮らしと必ずしも噛み合わなかったことも、後年になって指摘された[3]。
成立の経緯は、戦後の食料供給不安が続く中で、山地に残る“取りこぼし”の耕作可能地を一括で掘り起こしたいという行政側の発想にあるとされる。一方で、現場には「道路を作る前に、まず水が来るか」の問いがあり、計画はその衝突を吸収する形で段階化されたと説明されている[4]。
概要[編集]
選定基準と掲載範囲(“山地帯”の定義)[編集]
選定基準は、地形の傾斜そのものよりも、一定の降雨パターン下で土砂が“動き出すまでの猶予”を推定する指標に寄せられたとされる。具体的には、ハザード評価のための疑似雨量実験(小規模散水)を行い、観測された表層変位がに達するまでの時間を「猶予指数」として記録したとされる[5]。なお、この「1.7mm」という閾値は、当時の予算査定の都合で丸められたのではないか、との噂も残っている[6]。
また、対象の範囲は行政の地図上で自動抽出された「HB帯(Highland Belt)」として整理された。HB帯は、海抜〜に加え、盆地周縁の山麓を“等価斜面”として含めるという、やや技巧的な拡張が行われたとされる。このため、実際には山村の中心部が計画圏に入り、逆に一部の林業地が外れるなどの“ズレ”が生じたと報告された[7]。
整地ブロックと評価指標[編集]
事業単位は整地ブロックである。整地ブロックはHB区画(平均面積)として設定され、境界線は主に農道予定線と用水路線に沿って引かれたとされる[8]。さらに、整地の結果は「水平化率(%)」「走行距離短縮率(%)」「植生復元潜力点(PP点)」の三種類で監査されたと記されている。
ただし監査の現場では、水平化率が高いほど“成果”として扱われるため、指標を満たすために一時的な土の盛り替えが行われることがあったと指摘された。後年の検証記事では、PP点が伸びていないのに水平化率だけが上がっている区画が見つかり、結果として「見た目は整っているのに、時間が経つと落ち着かない」地域が生じたとされる[9]。
この計画は、工事の説明責任を果たす目的で成果の見える化を徹底したという評価もある。一方で、見える指標が強すぎることで、見えない価値(生態系や季節の流れ)が置き去りになったとも論じられた[10]。
歴史[編集]
構想の誕生と最初の“斜面革命”[編集]
全日本山地帯整地計画の源流は、1960年代前半のに関する内部検討会に求められるとされる。特に有名なのが、当時の農業技術官僚が持ち込んだ“地形を工場の棚のように扱うべきだ”という比喩である。この比喩は半ば冗談として語られたが、のちに整地技術の発想に転換されたとされる[11]。
構想の公表は44年、内の政策勉強会「山地帯生産性研究会」で行われた。資料では「斜面を水平にするのではない。水平“っぽく”見せることで、人間の作業導線を水平化する」といった説明が採用されたとされる[12]。また、翌年には「HB区画の最適境界は、用水路交点からずらした線である」という暫定指針が出たとされ、なぜ73mなのかは当時も曖昧だったという[13]。
この最初の“斜面革命”では、道路の付替えと整地をセットにする方式が採られた。現場では、重機の搬入が可能な範囲を先に切り出し、その後に耕地面積を“追いかける”やり方が徹底されたとされる。その結果、住民側の体感としては「道が先、畑が後」という順番が定着し、計画への理解が進んだと記録されている[14]。
第二次計画と“水平化率監査”の拡大[編集]
第一次が一定の成果を示したとされる一方で、各地で工事品質のばらつきが問題になった。そこで55年頃から、整地の監査を強化する方針が示され、「水平化率監査」が制度化されたとされる[15]。監査では、各区画の代表点を固定し、半年ごとにレーザー測距で再計測したと記されている。
しかし、この監査が強まるほど現場には“数字のための整地”が増えたという反省も出た。たとえば、山口県のある整地ブロックでは、降雨後に一度だけ水平化率が跳ね上がる現象が観測され、原因は「砂利の上に薄く土をかぶせる」臨時措置だったと説明されたとされる[16]。この逸話は、監査官が帰路に立ち寄った居酒屋で偶然聞かれた、という形で回覧されたとも言われている[17]。
さらに、第二次計画では植生マットの採用が進んだ。植生マットは、表層の流亡を抑えながら“復元力”を上げるとされる技術で、PP点を引き上げるために導入されたと説明されている[18]。ただし、マットの種類が多すぎて調達が混乱し、結果として一部地域では同じ色のマットが一斉に敷かれてしまい、遠目には「人工芝の畑のようだ」と揶揄されたと記録されている[19]。
終盤の混乱と「延長運用」への移行[編集]
計画後半には、予算の伸縮が農村の工期に直撃した。整地ブロックは本来“連続工事”が望ましいとされるが、年度内の支出上限の都合で、重機の入る日程が細切れになったとされる[20]。その結果、造成面が雨に晒される期間が増え、崩落寸前の区画が複数確認されたと報告された。
この頃、整地の成果に対する評価の軸が揺れた。水平化率が高い区画ほど“成功”とされがちだったが、実際には排水の設計が甘いと土が流れて値が下がる。そこで行政は、指標の重みを「導線→排水→植生」の順に組み替える方針を示したとされる[21]。ただし現場の資料では、重み換算の式が地域ごとに違った可能性があり、「誰がどの版を使ったか不明」との注記が残ったとも言われる[22]。
このような経緯から、全日本山地帯整地計画は明確な終了年を持たず、延長運用として継続したとされる。延長運用では、整地済み区画の“再水平化”や、道路の維持管理が中心になり、山村の景観は少しずつ均されていった。もっとも、その均し方が自然の周期とズレたことが、のちの批判につながったと説明されている[23]。
批判と論争[編集]
全日本山地帯整地計画は、防災や生産性の名目で進められた一方、環境面での懸念が繰り返し指摘された。とりわけ、区画境界に沿って植生が分断され、昆虫の移動経路が断たれる可能性があるとして、地元の自然観察グループが異議を唱えたとされる[24]。
また、用地の確保をめぐる紛争も起きた。整地ブロックの境界は道路予定線と用水路線に沿って設定されたが、実際の土地所有や管理形態は複雑であったため、交渉が長期化したと記録されている[25]。この際、行政側は「整地景観係数の均質化が、地域の“共通の見通し”を作る」と説明したとされるが、住民の感覚ではそれが“自分たちの境界感覚を奪う”ことに映ったという[26]。
さらに、数字の扱いに関する論争がある。水平化率が監査で高く評価されることで、土の動きが季節的・偶発的な要因で一時的に改善してしまう区画が“成功扱い”される可能性がある、といった懐疑が提起された[27]。この議論は、ある元監査官が「結局、レーザーは嘘をつかないが、現場のやり方が嘘をつく」と漏らしたという伝聞として広まったとされる[28]。
ただし、計画の支持者は「山地の危険を減らすことは、単なる工事の成果ではなく公共の安全の成果である」と主張した。実際、土砂流出の記録が減った地域もあるとされる。一方で、減少の要因が整地だけでなく植生管理の並行実施によるものだった可能性もあり、評価は単純化できないとする見方が残っている[29]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 林穂積『山地帯政策の数値化—水平化率監査の実務』青鷺出版, 1983.
- ^ カタリナ・ヴァルデス『Terraced Intuition: Measuring Slopes in Postwar Japan』Cambridge Quay Press, 1991.
- ^ 大原澄弥『斜面革命と行政工学』山村文化研究所, 1977.
- ^ 鈴木栄次『HB区画設計指針集(改訂第3版)』農林政策技術協会, 1980.
- ^ 中条美沙『植生マット導入の効果と誤差—PP点の設計思想』Vol.12 No.4, 灌漑土壌学会誌, 1988.
- ^ Osei Nakamura『Landscape Homogenization and Rural Conflict in Highland Belts』Journal of Comparative Rural Studies, Vol.7 No.1, 2002.
- ^ 山元克巳『レーザー測距が変える現場—整地ブロック監査の光と影』山岳測量研究会, 1986.
- ^ 田辺慎一『整地景観係数の社会史』筑紫学術叢書, 1995.
- ^ Marta Klein『Public Metrics and Local Ecologies: A Quantitative Chronicle』Springleaf Academic, 2008.
- ^ (参考)佐伯和泉『全日本山地帯整地計画の達成度報告(第2次)』農林水産省統計年報, 1981.
外部リンク
- 山地帯整地計画アーカイブ
- 水平化率監査データ閲覧室
- HB区画現場日誌コレクション
- 植生マット品目試験場
- 斜面格子整地フォーラム