利き手
| 分類 | 身体技法、行動分類、民俗心理学 |
|---|---|
| 成立 | 18世紀末(通説) |
| 提唱者 | 小野寺玄斎、マーガレット・A・ソーン |
| 主要地域 | 日本、英国、北米 |
| 関連機関 | 東京筆記具研究会、ロンドン左右協会 |
| 指標 | 優位手指数、交差癖率、代筆安定度 |
| 通称 | ききて、利腕 |
| 派生分野 | 作法学、机上人類学、鏡像運動論 |
利き手(ききて、英: Handedness)は、が左右いずれかのに動作の優位性を示す性質を指す概念である。もとは後期のが、書写具の摩耗差を記録するために用いた帳簿用語に由来するとされる[1]。
概要[編集]
利き手は、日常動作のうちどちらのがより精密な制御を担うかを示す概念である。現代ではの身体特性として説明されることが多いが、では長く「文字を立てる側」「椀を支える側」といった実用的分類として扱われてきた。
もっとも、利き手という語が学術的に整備されたのは比較的遅く、末期の付属標本室で行われた「筆圧差測定」が端緒であるとされる。ここで集められた2,418名分の記録が、後に系の学校保健調査に転用され、優位手の統計化が進んだとされる[2]。
歴史[編集]
江戸後期の帳簿文化[編集]
利き手の最初期の概念は、の筆墨商・が年間に作成した「片手減耗帳」に見られるとされる。これは筆の減り方をもとに、買い手が右手・左手のいずれを多用するかを推定する商習慣であり、玄斎はこれを「ききて」と呼んだと記される[3]。
なお、玄斎の日記には、左利きの客が墨を置く位置を毎回変えるため「帳面が三倍ほど汚れる」との不満がある一方、左利きの客ほど署名が大きい傾向があるとも記されている。ここから、利き手が単なる身体差ではなく、筆記の流儀と結びついた社会的属性として扱われていたことがうかがえる。
明治期の標準化と学校調査[編集]
、は全国の尋常小学校に対し、児童の書字手を申告させる「右左手別届」を配布したとされる。集計を担当したのはの生理学助手・で、彼は左手使用児童の多くが算術の成績において僅差で優位であることを発見したと報告した[4]。
ただし、この報告書の一部は墨が滲み、右と左の判読が不可能であったため、翌年の補遺では「おおむね右手」と「やや左手」の二段階評価が導入された。これが後の優位手指数の原型であるとされるが、当時の教育現場では「机の向きを変えるだけで十分ではないか」とする反発も根強かった。
20世紀の測定装置と国際比較[編集]
には、のとのが共同で「両手作業盤」を開発した。これは硬貨型の木片を1分間に何個移せるかを左右別に測る装置で、はこの装置を用いて、利き手は固定的な属性ではなく、昼食後2時間で約17%揺らぐと主張した[5]。
この仮説は当初ほとんど無視されたが、後の事務作業増加に伴い、タイピストや電話交換手の適性検査へ応用された。なお、帝都作業研究所の記録では、茶菓子を支給した日の方が右手優位が強まるという結果が出ており、研究者の一部は「糖分が利き手を決める」とまで述べている。
分類と測定[編集]
利き手は一般にに分類されるが、実務上は「鉛筆のみ左」「箸のみ右」「改札だけ両利き」など、細分化された分類が用いられることがある。特に以降、では優位手を単独の属性ではなく、書字・投擲・道具操作・握手の4領域で判定する方式が採用された。
測定法としては、握力、筆記方向、ハサミの使用癖、扉の押し引き、そして「食卓で醤油差しをどちらの手で取るか」が重視される。もっとも、醤油差しの項目は地域差が大きく、では左手優位の判定が2割ほど増える一方、では「そもそも共同で取る」として未判定扱いになる傾向がある[6]。
社会的影響[編集]
利き手の概念は、教育、工芸、武道、さらには都市設計にまで影響したとされる。例えばのでは、つり革の支柱が右側に偏って設計されていたため、左利き乗客が「毎朝、身体の半分だけ先に出勤する」と苦情を寄せた記録が残る。
また、の一部親方は、土俵入りの所作における「右回りの安心感」を利き手と結びつけ、地方巡業の稽古にまで左右判定を持ち込んだ。これに対しの投書欄では、「利き手で人を差別するな」とする高校生の投稿が掲載され、以後、学校では左手児童への「直し指導」を控える傾向が強まったとされる。
文化的受容[編集]
書道と料理[編集]
の世界では、利き手は単に筆の持ち方ではなく、紙を回転させる角度の美学として語られてきた。特にの老舗書院・では、左利きの門弟にのみ「反転半紙」を支給する慣習があり、これが「利き手ごとに字の重心が異なる」という独自理論を生んだ。
一方、料理界ではの左右差が早くから問題になり、の料理学校では「利き手で味が変わる」とする講義が行われた。講師の一人は、左手で盛り付けたは気泡が3%少ないと報告したが、のちに器の温度差で説明できることが判明した。
スポーツと兵站[編集]
スポーツ分野では、野球の投打方向だけでなく、弓道、フェンシング、さらにはボウリングのリリース角度にまで利き手理論が導入された。の資料には、左利き投手は雨天時の滑りに強いという記述があるが、これは練習場の床が単に荒れていただけだとする指摘がある。
兵站の分野では、の倉庫配置において「左利き棚」と呼ばれる区画が設けられたことがあり、右開き扉を嫌う隊員に重宝されたという。もっとも、実際には扉の蝶番位置を入れ替えただけであり、専門家の間では「利き手対応型ロジスティクスの誕生」として半ば伝説化している。
論争[編集]
利き手研究をめぐる最大の論争は、それが先天的特性か後天的習慣かという点にあった。のシンポジウムでは、脳波を測定した神経生理学者と、箸の持ち方を観察した民俗学者が激論を交わし、会場の看板が左右逆に掲げられていたために議論がさらに混乱したと伝えられる。
また、にはが「利き手の固定化は社会的不利益を生みうる」とする内部文書を作成したが、文書中の図表がすべて右回りで作図されていたため、かえって保守派の反発を招いた。なお、同文書には「左利き児童は雨の日に黒板消しをよく落とす」という記述があり、当時から要出典扱いであった[7]。
現代の研究[編集]
に入ると、利き手の研究はやを用いた精密測定へ移行した。にが発表した報告では、スマートフォンのフリック方向と改札機への反応速度を組み合わせることで、個人の優位手を92.4%の精度で推定できるとされた[8]。
一方で、近年は「利き手を固定的な属性として扱うこと自体が時代遅れである」とする立場も強い。とくにのらは、利き手は職業、季節、家族構成によっても変動する暫定的な傾向にすぎないと主張しており、食後と空腹時で別の利き手を持つ人々を「可変優位手群」と命名した。これに対しては、分類が細かすぎて実務に向かないとの批判がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小野寺玄斎『片手減耗帳』大阪筆墨商会, 1798.
- ^ 渡辺精一郎「児童書字手別調査報告」『東京帝国大学生理学紀要』Vol. 12, No. 3, pp. 41-78, 1890.
- ^ Margaret A. Thorne, “Laterality and Lunchtime Drift,” Journal of Ergonomic Anthropology, Vol. 4, No. 2, pp. 113-129, 1934.
- ^ 帝都作業研究所 編『両手作業盤試験法』帝都産業出版, 1935.
- ^ 佐伯道雄「利き手と箸操作の地域差」『民俗行動学雑誌』第7巻第1号, pp. 9-26, 1958.
- ^ Harold P. Winslow, “Directional Bias in Urban Transit Handholds,” Proceedings of the Royal Society of Applied Habit, Vol. 19, No. 1, pp. 5-22, 1969.
- ^ 厚生省児童保健課『優位手と学習環境に関する内部資料』厚生省, 1985.
- ^ 椎名紘一・田辺由梨「可変優位手群の季節変動」『身体行動科学』第23巻第4号, pp. 201-219, 2020.
- ^ 国立身体行動総合研究センター『スマート端末利用と左右性推定』研究報告書 第18号, 2020.
- ^ M. A. Thornton, “The Eggshell Problem in Left-Handed Writing,” British Review of Hand Studies, Vol. 8, No. 4, pp. 77-81, 1941.
外部リンク
- 東京筆記具研究会アーカイブ
- ロンドン左右協会
- 国立身体行動総合研究センター年報
- 民俗作法資料館デジタルコレクション
- 帝都作業研究所旧蔵図版集