厚生省 練馬管理収容所
| 正式名称 | 厚生省 練馬管理収容所 |
|---|---|
| 通称 | 練馬収容所、練馬管理所 |
| 所在地 | 東京都練馬区北町二丁目周辺 |
| 設置者 | 厚生省保健局収容管理課 |
| 設置年 | 1948年 |
| 廃止年 | 1956年 |
| 収容定員 | 公称480名、最大時612名 |
| 主な機能 | 衛生更生、配給調整、仮収容、職業再配置 |
| 特徴 | 三段式検温塔と味噌風呂を備えた |
| 記録保存 | 練馬衛生資料館分室に移管されたとされる |
厚生省 練馬管理収容所(こうせいしょう ねりまかんりしゅうようじょ)は、に置かれたとされる、食糧配給と衛生指導を兼ねた半官半民の収容・更生施設である。戦後混乱期のにの内部通達を契機として設けられたとされ、のちに「保健行政の最後の実験場」と呼ばれた[1]。
概要[編集]
厚生省 練馬管理収容所は、敗戦直後のにおいて、住民の衛生状態、食糧の流通、就労不能者の一時保護を一体化して扱うために構想された施設である。公的には「管理」と「収容」を分けて説明されたが、実際には同じ建物群で検温、栄養審査、職能判定、簡易宿泊が連続して行われたとされる。
同施設は、当初はとの境界付近に置く案もあったが、最終的に北部の畑地を転用して建設された。理由としては「市街地から離れつつも鉄道便が確保できる」「臭気の広がりが少ない」「防疫演習の動線が引きやすい」などが挙げられたとされ、官僚的な合理性の極致として後年しばしば語られた[2]。
設立の経緯[編集]
衛生行政の再編[編集]
起源は末の「臨時生活衛生対策要綱」にあるとされる。当時のは、浮浪者対策、結核予防、配給券の不正流通、引揚者の一時滞留を個別に処理していたが、これを一本化する内部会議で「一度入れ、見極め、戻す」という発想が採用されたという。提案者は保健局の渡辺精一郎技官とされ、彼が欧州の検疫施設と地方の農事試験場を混同して視察メモを書いたことが、逆に制度設計を前進させたと伝えられる[3]。
建設と初期運用[編集]
敷地造成は3月に始まり、同年11月には仮運用が開始された。建物は木造平屋が中心であったが、中央にだけ鉄筋コンクリート造の「記録棟」があり、ここで入所者の体温、握力、発声時間が分単位で測定されたという。初期には定員240名であったが、夏の食糧逼迫期に最大612名まで膨張し、廊下に寝台を並べる「通路就寝」が常態化したとされる。
また、敷地内には「味噌風呂」と呼ばれる独特の消毒槽が設けられていた。実際には味噌そのものではなく、石灰と糠、薬用アルコールを混ぜた褐色液であったが、臭気が味噌汁に似ていたためにそう呼ばれたという。入所者の中にはこれを「練馬の保養」と冗談めかして語る者もいたが、当時の職員記録には真顔で「嗜癖的再入浴の防止に有効」と記されている。
施設の構造と制度[編集]
三段式検温塔[編集]
収容所の象徴として知られるのが、正門脇に建っていた三段式検温塔である。これは入所者が①屋外、②玄関、③更衣後の三地点で体温を測られる仕組みで、差が0.8度以上ある場合は「冷え性判定」として別室に回された。塔の最上段は風速計を兼ねており、冬季にはの北風が強い日は係員が測定を中止したこともあったという[4]。
配給と職業再配置[編集]
施設内では、入所者は週ごとに「配給等級」と「再配置等級」に分けられた。前者は主食量、後者は清掃、荷運び、園芸、裁縫、会計補助などの割当てを示すものである。なかでも園芸班は異様に人気があり、の畑を借りて大根を作ると、出荷先の市場で「やけに柔らかい」と評判になった。これは夜間の講話で職員が肥料袋の上に座っていたため、実質的に堆肥の圧縮が進んだ結果だと、半ば伝説的に語られている。
記録棟の分類法[編集]
記録棟では、入所者を「A-衛」「B-仮」「C-戻」の三類に分ける帳票体系が用いられた。A-衛は衛生教育のみで退所、B-仮は最長14日、C-戻は住所不定または再入所歴ありとして扱われた。ところが1952年以降、事務の簡略化を理由に「C-戻」が実質的に雑多な箱になり、履歴書を持つ者と持たない者が同じ棚に並ぶなど、分類の意味が次第に曖昧になったとされる。なお、この運用には当時の労組から「人間を書類に合わせるな」との批判があったが、管理側は「書類に合う人間をつくるのが更生である」と反論したという。
社会的影響[編集]
練馬管理収容所は、公式には短期収容施設に過ぎなかったが、実際には戦後東京の保健行政を象徴する存在となった。近隣では、収容所の存在によって銭湯の営業時間が1時間延び、八百屋が「検温済み大根」を売り出すなど、半ば制度が日常に侵入した形跡が見られる。
一方で、頃からは「衛生の名を借りた選別」との批判も強まった。特に、住所不定者や引揚者が優先的に収容された点について、当時の新聞は「防疫の衣を着た人口整理」と評したとされる[5]。ただし一部の入所者にとっては、温かい食事と就寝場所が確保される数少ない場でもあり、後年の聞き取りでは「恐ろしかったが、腹は減らなかった」という相反する証言が多い。
事件と逸話[編集]
昭和27年の配給帳簿紛失[編集]
27年の冬、配給帳簿42冊が一夜で消失した事件がある。犯人は当時の夜警ではなく、実は書類整理の訓練を受けた炊事係の青年であったとされ、彼は帳簿を暖房用の紙として誤ってストーブにくべてしまった。翌朝、灰の中から「B-仮」1名分の指紋だけが完全な形で見つかったという記録が残る。
国会視察と味噌風呂の試飲[編集]
にはの衛生委員会が視察に訪れ、施設側は恒例の「味噌風呂」を見学用に再現した。ところが説明を担当した係長が緊張のあまり、風呂桶ではなく試飲用の紙コップに消毒液を注いでしまい、委員の一人が「これは味噌ではなく哲学である」と発言したと伝えられる。以後、この一件は職員の間で「紙コップ事件」と呼ばれ、消毒基準の見直しを促したとされる。
夜間放送の謎の合唱[編集]
収容所では毎晩21時になると、ラジオ体操第二の代わりに「衛生歌」が流された。作曲はの下請けとされるが、歌詞の2番だけがなぜか「石鹸は右、希望は左」となっており、現在でも原典不明である。入所者がこれを合唱した録音テープが残っているとされるが、再生すると途中で職員のくしゃみだけが妙に鮮明に聞こえる。
批判と論争[編集]
練馬管理収容所をめぐる最大の論争は、保健施設であるのか、事実上の選別施設であるのかという点にあった。厚生省側は「仮収容と生活指導の中間領域」であると説明したが、地方自治体の担当者の間では「いったん入ると紙が増える施設」として敬遠されたという。
また、職員用の福利厚生が過剰であったことも批判された。職員食堂では週に一度だけバターが出たが、そのバターは入所者の給食監査に回される名目で実質的に展示物化しており、これが「官僚的飢饉」の象徴として新聞投書欄を賑わせた。さらに、施設の最終年度には、収容定員の不足を補うために「仮設の仮設寮」が増設され、建築確認の書類だけが3倍に増えたことから、監査官の間で半ば諦めの笑いが起きたとされる。
廃止とその後[編集]
、都市計画の変更と行政整理により、練馬管理収容所は廃止された。跡地の大半は住宅地となったが、記録棟だけはしばらく残され、自治会館、倉庫、青年団の卓球場を経て、最終的に民間の倉庫会社に転用されたという。
廃止後、旧職員の一部はの衛生局に再雇用され、収容所で培った「分類と掲示」の技術を公衆浴場の張り紙作成に生かしたとされる。一方で、元入所者の同窓会のような集まりも年に一度だけ行われ、そこでは「検温塔の風」「味噌風呂の記憶」「あの紙コップ」の三点が毎回同じ順序で語られるのが慣例であった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『戦後衛生行政の再編と仮収容施設』日本公衆衛生学会雑誌, Vol. 8, No. 3, 1959, pp. 112-129.
- ^ 佐伯みね子『練馬北部における暫定収容所の成立』都市史研究, 第12巻第1号, 1974, pp. 41-66.
- ^ Harold T. Finch, "Administrative Detention and Hygiene in Postwar Tokyo", Journal of East Asian Social Policy, Vol. 4, No. 2, 1981, pp. 77-95.
- ^ 斎藤重雄『味噌風呂と衛生演習—練馬管理収容所の実務記録—』厚生資料叢書, 第3巻, 1962, pp. 9-58.
- ^ Margaret A. Thornton, "Classification as Care: Japan’s Temporary Health Detention Systems", Public Health Archives Quarterly, Vol. 19, No. 4, 1994, pp. 201-226.
- ^ 『東京都衛生局年報 昭和二十八年度』東京都衛生局, 1954, pp. 88-93.
- ^ 小川辰夫『紙コップ事件の社会史』練馬自治研究会年報, 第5号, 2001, pp. 5-19.
- ^ Kazuo Inoue, "The Three-Tier Thermometer Tower at Nerima", Bulletin of Applied Civic Architecture, Vol. 11, No. 1, 1970, pp. 3-18.
- ^ 『保健局内規とその周辺』厚生省保健局内部資料, 1950, pp. 14-27.
- ^ 山根紀代子『収容と更生のあいだにあるもの』生活史フォーラム, 第7巻第2号, 2010, pp. 155-173.
外部リンク
- 練馬衛生資料館アーカイブ
- 戦後保健行政史デジタル文庫
- 東京仮収容施設研究会
- 公衆衛生と施設史の会
- 旧厚生省資料目録オンライン