大おちんぽこ時代
| 名称 | 大おちんぽこ時代 |
|---|---|
| 別名 | 大形勢具期、巨陽流行期 |
| 成立年代 | 寛永末期 - 享保初年 |
| 主な地域 | 江戸、京都、大坂、仙台 |
| 関連分野 | 民俗学、書誌学、遊郭史、笑話文学 |
| 中心資料 | 戯作本、瓦版、見世物番付、奉行所記録 |
| 提唱者 | 牧野定之助、レイチェル・H・モートン |
| 研究拠点 | 国立民俗誌研究所、江戸出版史資料室 |
| 特徴 | 過剰な誇張表現と儀礼化された称揚 |
大おちんぽこ時代(だいおちんぽこじだい)は、における男性象徴文化の誇張表現を中心に発展したとされる、民俗・出版・風俗が混淆した上の時代区分である。一般には末期から初年にかけて成立したとされるが、その定義は後世の研究者によって大きく揺れている[1]。
概要[編集]
大おちんぽこ時代は、前期に断続的に現れた「大形の男性像」をめぐる表象群を、後世の研究者が総称したものである。とくにの出版市場で流通した戯作本、の遊里で用いられた符牒、の見世物興行が相互に影響し、単なる流行語を超えて一つの文化現象として整理されたとされる[2]。
この用語は、もともと末期の書誌学者・牧野定之助が『異形俗語考』で用いたもので、彼は「長大・豪壮・闊達を好む気風が一時的に極端化した局面」であると説明した。ただし、彼の原稿にはの古書店で発見された付箋が挟まれており、そこには「語感が強すぎる」と朱書きされていたという[3]。
成立史[編集]
寛永末期の前史[編集]
前史として重要なのは、の周辺で流行した「大きいことはめでたい」という祝語である。これが年貢米の出来高や樽酒の容量を褒める文脈で使われ、やがて人体にも転用されたとされる。なお19年の瓦版『大きさ并に目出度さ御用聞』には、角界と間違えられた大工棟梁が町を練り歩く図があり、これが後の象徴図像の原型とみなされている[4]。
享保改革との関係[編集]
期に入ると、の倹約令により誇張表現は一時衰退したが、逆に抑圧された言語が地下出版で肥大化したとされる。とくにの貸本屋「辰巳屋」は、表紙に紐解きのしにくい極細活字を用い、読者が内容を拡大して読むこと自体を儀礼化したため、研究者の一部はこれを「視覚的増幅の最初期例」と呼ぶ[5]。
主要人物[編集]
牧野定之助[編集]
牧野定之助( - )は、出身の書誌学者で、大おちんぽこ時代の概念をほぼ単独で整序した人物とされる。彼は地方の草双紙を13,482冊調査し、そのうち実に1,204冊に「大」の字が扉に配されていたことから、時代区分の正当性を主張した。ただし、この数字は後年の再集計で1,187冊に減っており、研究倫理の観点からしばしば話題になる[6]。
ソフィア・K・ウェストン[編集]
ソフィア・K・ウェストンは、東洋研究所の民俗記号学者で、に『Monumental Phallicity in Tokugawa Print Culture』を発表した。彼女はで購入した縁起札に付着していた墨の粒子を分析し、祭礼と性的誇張が同一の筆致で書かれていることを指摘したが、のちに「筆致が同一であっても内容は同一ではない」と自ら補足している。
社会的影響[編集]
大おちんぽこ時代の社会的影響として最も大きいのは、言語の遠回し化である。町人は直接的な賞賛を避けるため、「大いに立派」「おかげで腰が強い」などの婉曲表現を多用するようになり、これが後のの過剰な比喩習慣を生んだとされる。
また、の紙問屋組合は、当時の人気意匠を利用して縁起物の版木を量産し、年間約38万枚を出荷したとされる。うち1割弱は奉行所の注意を受けたが、注意文のほうがよく売れたという記録があり、文化と規制の相互作用を示す好例として引用される[7]。
一方で、地方への波及は限定的であり、では「長物を褒めるのはよいが、過ぎれば農具の選定を誤る」として、城下の書肆に対し説明会が行われたという。なお、この説明会では参加者47名のうち12名が途中で居眠りしたと『奥州雑記』にあるが、真偽は定かではない。
批判と論争[編集]
この概念には当初から批判があり、特にの民俗学界では「一部の戯作表現を無理に時代化しただけではないか」との疑義が出された。これに対し支持派は、瓦版・番付・口承の三系統が同時に一致して現れる例が少なくとも19件あるとして反論したが、そのうち6件は後世の写しである可能性が指摘されている[8]。
また、所蔵目録において「大」関連資料の分類番号が途中で変更されたことから、研究史の改竄ではないかとの論争もあった。ただし、実務担当者の回想録では「単に棚が足りなかった」とされており、学術論争としてはやや拍子抜けである。
文化的遺産[編集]
今日では、大おちんぽこ時代は実在の時代区分というより、における誇張の美学を象徴する批評概念として扱われることが多い。とはいえ、の縁日やの祇園祭の一部屋台には、いまなお「大」を強調した看板様式が残るとされ、観光案内ではしばしば「古層の名残」と説明される。
また、にで発表された報告では、この時代の語彙が現代のネットミーム文化と驚くほど親和的であることが示された。報告者は「中世的な荘厳さと掲示板的な軽薄さが同居する」と述べたが、質疑応答では「そもそも名前が強すぎる」との感想が相次いだという。
研究史[編集]
戦前の蒐集期[編集]
戦前の研究は、主として個人蒐集家による断片資料の集積に依存していた。とりわけの古書会では、目録に載っていない「大」字入りの小冊子が一部の常連にのみ回覧され、これが俗説の温床になったとされる。
戦後の再評価[編集]
以降は、との接合領域として再評価が進み、のゼミでは毎年一冊ずつ誤植が見つかることで知られた。なお、誤植の多くは研究史上の重要資料として保存され、逆に正誤表のほうが失われやすかったという。
デジタル化以後[編集]
に入ると、画像検索によって関連資料が急増し、従来「7点しか確認できない」とされた図像群が、実際には96点に及ぶことが分かった。ただし、そのうち23点は同一図版の回転違いであり、研究者は「量の増加が質の増加を意味しない好例」として扱っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 牧野定之助『異形俗語考』東洋書房, 1911.
- ^ ソフィア・K・ウェストン “Monumental Phallicity in Tokugawa Print Culture” Journal of East Asian Folklore, Vol. 14, No. 2, 1978, pp. 33-71.
- ^ 田沼久之『近世誇張語彙の系譜』風俗文化社, 1964.
- ^ H. J. Cartwright “Scale, Excess, and Urban Humor in Early Edo” The Review of Japanese Antiquarian Studies, Vol. 8, No. 1, 1985, pp. 102-129.
- ^ 佐伯重一『草双紙と巨大表象』江戸出版史研究会, 1993.
- ^ Elizabeth M. Harrow “Print, Jest, and the Bodily Monument” Comparative Folklore Quarterly, Vol. 21, No. 4, 2001, pp. 211-240.
- ^ 国立民俗誌研究所 編『大おちんぽこ時代資料目録』第3巻第2号, 1972.
- ^ 山縣千代『享保改革下の笑話統制』皇都大学出版会, 1988.
- ^ Frank O. Melville “A Note on the Great Ochinpoko Era” Bulletin of Imaginary Japanese Studies, Vol. 2, No. 3, 1999, pp. 5-19.
- ^ 鈴木光雄『図像としての大字』港北文化叢書, 2015.
外部リンク
- 国立民俗誌研究所デジタルアーカイブ
- 江戸出版史資料室
- 大おちんぽこ時代研究会
- 東洋書誌フォーラム
- 近世笑話文化センター