大阪芸術大学ユニフォーム研究会
| 正式名称 | 大阪芸術大学ユニフォーム研究会 |
|---|---|
| 設立年 | (同会の成立として扱われる) |
| 活動拠点 | 周辺(旧図案室) |
| 主な研究対象 | 学生服・劇場制服・イベントスタッフの被服 |
| 活動形態 | 採寸、復元裁断、記録映像のアーカイブ |
| 関連組織 | 学生課、学外の縫製組合(非公開協力) |
| 代表的成果物 | 『制服史料綴り(暫定版)』 |
| 公式刊行頻度 | 年2回(会誌と展示カタログ) |
大阪芸術大学ユニフォーム研究会(おおさかげいじゅつだいがくユニフォームけんきゅうかい)は、内の衣服文化と制服運用を調査・記録する学生サークルである。学内外の関係者により、舞台衣装と行政制服の「接続」研究が進められたとされる[1]。
概要[編集]
大阪芸術大学ユニフォーム研究会は、の学生を中心に組織されるとされる研究団体である。衣服を「着る物」としてだけでなく、社会の役割配分を可視化する技術として扱う点に特徴がある[1]。
同会は、制服の設計思想を現場運用(着用者の動線、着脱の時間、洗濯耐性、照明下での色再現)と結びつけて記述することを重視する。なお、初期には「ユニフォーム=制服」だと誤解されがちであったが、次第に舞台衣装や救護・警備の被服へも対象が拡張されたとされる[2]。
会の名称がやや硬い一方、活動は実験的で、採寸データをもとに“擬似制服”を試作し、学内の動線(体育館→講義棟→図書室)で着用テストを行ったという。特にの旧図案室で行われた夜間計測は、内部報告書でも「採寸より先に計測されていた」と記されている[3]。
歴史[編集]
「制服は通信だ」という理論の誕生[編集]
同会の学術的起点は、春に発表された「制服は通信である」という講義ノートに遡るとされる。ノートを作成したのは、当時で服飾史を担当していた(架空の人物として記録され、実在の有無は不明とされる)である[4]。
講義では、制服の規格が“視認性”だけでなく、“責任の所在”を身体に転写する仕組みとして説明された。さらに同ノートは、ボタンの直径、襟の角度、肩章の幅を「受信者の脳内プロトコル」に対応させるという、当時としては過度に細密な数表を含んでいたとされる[5]。
その後、同会はこの理論を検証するため、キャンパス内の複数地点で同一デザインを着用し、学生の行動変化をタイムスタンプで記録した。もっとも有名な内部データでは、着用開始から最初の質問(最短)までが平均で、最長がと報告されている[6]。単なる“早い遅い”ではなく、「制服の線が質問の方向を決めた」という結論が添えられた点が、後年の笑いどころになったとされる。
展示会『線の責任』と、非公式協力網の形成[編集]
同会はに、学外の縫製組合との“非公開協力”を得て、展示会『』を開催した。会場はの元小規模劇場だったとされ、当時のスタッフは“被服は舞台装置である”という言葉を合言葉にしたと記録されている[7]。
展示では、警備員用コートと舞台用ローブを並置し、同じ布地でも光源の違いで色が二度変わることを来場者が体験できるようにした。その際、布地の測定には温度計と湿度計を同時に使い、湿度で色再現が最大化されたとする報告が掲載された[8]。
また同会は、行政制服の“運用上の癖”を収集するため、匿名のアンケートを〜にかけて回した。回収数はで、そのうち回答が“半分だけ役に立つ”と判定されたものがあったという。このだけがなぜ残されたのかは不明だが、最終的に「現場の嘘を含むから」という理由で採用されたとされる[9]。
社会への波及:規格化への抵抗と、逆に規格化される皮肉[編集]
同会の活動は次第に学外へも知られるようになり、内の複数イベントで“着心地の違い”を前提にしたスタッフ支給が検討されたとされる。ただし同会は、画一化(誰でも同じ制服)に反対し、むしろ「微差の許容」を研究対象にすると宣言していた[10]。
ところが皮肉にも、同会が公開した採寸手順書が、短期間のうちに外部業者の発注仕様へ転用されたという指摘がある。内部資料には、転用された項目として「袖ぐりのゆとり(実測で)」「名札の視認距離()」などが挙げられている[11]。
この転用の結果、同会は“ユニフォームを柔らかくする研究”を目指したはずが、“ユニフォームを硬くする文書”として読まれることになった、と一部で批評された。とはいえ同会自身は、柔らかさは仕様ではなく行為に宿ると反論しており、議論は現在も小さく続いている。なお、反論文の末尾にある謎の数列「2-9-13-21」は、議事録のどこにも説明がない。
研究手法と代表的成果[編集]
同会の調査は、採寸・色再現・耐用の3系統に分かれると整理されている。まず採寸では、身体計測を行うだけでなく、着用者が椅子から立ち上がるまでの「布の遅れ」を観察する。観察記録では、布の遅れが見えるのが平均で、見えないと判断されるのがとされる[12]。
次に色再現では、照明条件を意図的に“厳しめ”にする。具体的には、展示当日の照度をに合わせ、来場者の目が慣れる前に色評価を完了させる運用が採られたとされる[13]。この手順は厳格に見える一方、内部では「人の目は光源に慣れるのが仕事」だと笑いながら言われていたという。
耐用の研究では、洗濯回数ではなく“汗の種類”を変える。学外の協力者からは、運動直後の汗は塩分が多く、縫い目の硬化が早いとする報告が寄せられた。こうした条件で、会は縫い目の硬化を指で触ったときの反発(硬化指数)としてまで上がったと記した[14]。
成果は会誌『制服史料綴り(暫定版)』としてまとめられ、ページ数が年によって微妙に揺れることでも知られる。特に版はのはずが、最終的にになり、編集担当が「1頁は布の余り」と語ったと伝わる。
批判と論争[編集]
同会には、研究が“衣服マニア”の域を超えていないのではないか、という批判も存在する。とりわけ、採寸や数値の多さに対して「社会を測っているのか、ただの服を測っているのか分からない」との意見があった[15]。
また、行政制服や警備被服の運用に踏み込みすぎた結果、守秘・契約の問題が生じた可能性が指摘された。会内では「秘密は守るが、数字は守らない」という方針が語られたとも伝わるが、当該方針がどこまで実態に即していたかは確認されていない[16]。
一方で擁護側は、制服の運用は当事者の倫理と切り離せず、研究はその理解を促すものだと主張する。実際、同会が示した“微差の許容”は現場の混乱を減らしたという証言もある。ただし、その証言は誰の、どの現場のものかが書誌情報に残っておらず、出典としては「口頭で得た」と記されているという[17]。
さらに最大の論争は、展示会『』において来場者のアンケートが回収されなかった点にある。回収率を計算できないのに成功と宣言したことが問題視されたとされるが、同会は「測定しないことで測定の嘘を減らした」と説明したとされる[18]。この反論が説得力を持つかどうかは、読む者の美意識に委ねられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山根律子「制服は通信である:大阪芸術大学ノートの再解釈」『繊維記号論研究』第12巻第3号, pp. 41-63, 2000.
- ^ 渡辺精一郎『線の責任:ユニフォーム運用の身体化』大阪: 南雲美術出版, 2001.
- ^ Claire A. Morgan『The Visibility Protocol: Uniforms as Behavioral Interfaces』Vol. 7, No. 2, pp. 112-138, 2004.
- ^ 田中誠司「袖ぐりの遅れは制度の遅れである」『日本服飾計測学会誌』第19巻第1号, pp. 9-27, 2006.
- ^ S. Nwankwo「Light Conditions and Perceived Fabric Color: Field Notes from Kansai」『International Journal of Costume Studies』Vol. 21, pp. 201-219, 2007.
- ^ 【要出典】岡部和也「汗の種類と縫い目硬化指数(仮説)」『関西衣服材料月報』第5巻第4号, pp. 55-74, 2008.
- ^ 橋本真由「非公開協力網はなぜできるか:大学サークルと外部発注のねじれ」『地域デザイン史研究』第3巻第2号, pp. 77-96, 2010.
- ^ Mina K. Rodriguez『Protocol Drift in Standardized Apparel』Vol. 12, No. 1, pp. 1-18, 2013.
- ^ 林あすか「“微差の許容”を測る:擬似制服試験の統計」『服装社会学論叢』第28巻第6号, pp. 301-326, 2015.
- ^ 佐々木幹「布の余りはページになる:編集実務の数理」『書誌学通信』第41巻第1号, pp. 15-22, 2017.
外部リンク
- 大阪芸術大学資料室ユニフォーム閲覧室
- 制服史料綴りアーカイブ(仮)
- 線の責任 展示ログサイト
- 被服計測プロトコル研究会
- 天王寺区ナイト採寸記録