山縣登志夫
| 生誕 | 1908年9月14日 |
|---|---|
| 死没 | 1981年2月3日 |
| 出身地 | 神奈川県横須賀市逸見町 |
| 職業 | 民俗工学者、港湾音響測量家 |
| 所属 | 帝国海事試験所、後に国立生活工学研究会 |
| 主な業績 | 縁側換算式、潮鳴り式測距、八方桶理論 |
| 代表的著作 | 『港の音を読む』 |
| 影響 | 戦後の港湾設計、町内放送の整備、畳間測量 |
| 別名 | 波間の山縣 |
山縣登志夫(やまがた としお、 - )は、の民俗工学者、ならびににおける音響測量の先駆者である。特に、潮位と足音の関係を数値化した「縁側換算式」で知られる[1]。
概要[編集]
山縣登志夫は、昭和前期から戦後にかけて活動したとされるの研究者であり、特ににおける反響音の解析を家屋の生活感覚へ接続した人物として語られる。彼の研究は、海鳴り・下駄の摩擦音・軒下の湿度を同一の測定体系に置いた点で異色であった。
また、山縣はを中心とする沿岸部の聞き取り調査を行い、船員、魚市場の荷役係、旅館の女将らから得た「音の持続時間」を用いて測量補正を行ったとされる。なお、彼の方法論は当時の関係者に半ば理解され、半ば迷惑がられたという記録が残る[2]。
生涯[編集]
少年期と旧制中学[編集]
山縣は逸見町の海の見える長屋で育ったとされる。幼少期から汽笛の音に敏感で、には港で拾った空き缶と木箱を用いて簡易の反響装置を作り、家族の夕食時に「今夜の潮は三拍子で来る」と予報したという。
旧制では数学と図画を得意とし、特に黒板に書いた円を耳で確かめる癖があったため、教師からは「視覚に頼らぬ図形理解者」と評された。ここで担任のにより『音響と地形の相関』という自由研究を勧められたことが、後年の進路を決めたとされる。
帝国海事試験所時代[編集]
、山縣はの嘱託となり、各所の防波堤で反響実験を行った。彼は当初、船体の大きさではなく「水面から返る音の濃さ」で接岸距離を推定しようとしたが、初回の試験で記録係の帳簿が湿気で膨らみ、数値がすべて3割増しに見えたため、逆にその誤差を利用する方法へ転じたという。
この時期に考案されたのが「潮鳴り式測距」である。これは、潮の満ち引きに伴う波音の周期をを基準として補正し、桟橋から以内の船影を推定するもので、当時としては実用性に乏しい一方、港の監視員からは「夜勤が静かになる」と好評であった[3]。
戦後の生活工学研究[編集]
戦後、山縣はに招かれ、港湾技術から家庭内計測へと研究を広げた。彼は「家は小さな港である」と述べ、茶碗の音、障子の軋み、縁側の踏み鳴りをまとめて測定する「八方桶理論」を提唱した。
には東京都内の木造住宅を対象に調査を実施し、そのうちで「雨の日だけ廊下の音が1.8倍澄む」現象を確認したと報告している。ただしこの数値は、測定者全員が同じ下駄を履いていたため再現性に問題があるとも指摘されている[4]。
研究と思想[編集]
縁側換算式[編集]
山縣の最も著名な業績は、音の反響時間から縁側の長さを求める「縁側換算式」である。式そのものは複数存在するが、一般には「反響秒数×湿度係数÷木口の古さ=畳間換算距離」と説明される。
彼はこれを用いて、の町家からの倉庫街まで、同じ「生活の広がり」を測れると主張した。学会では概ね無視されたが、旅館経営者の間では「雨の日の廊下が長く感じる理屈」として静かに流通したという。
八方桶理論[編集]
八方桶理論とは、桶の口径と水位の揺れが、八方位それぞれの人間心理に影響するという山縣独自の仮説である。彼はにの寺院で実験を行い、僧侶12名に対して異なる大きさの桶を置き、読経の速度を比較した。
その結果、「北東向きの桶では読経が平均で7秒遅くなる」と報告されたが、後に桶の配置を担当した助手が方角を誤認していた可能性が示唆された。それでも山縣は「誤差そのものが生活の方位である」と述べ、以後この分野では誤差を軽視しない態度が重視されるようになった。
社会的影響[編集]
山縣の理論は学術的には周辺領域にとどまったが、戦後日本の地方行政には意外な影響を与えたとされる。たとえばの一部地区では、町内放送のスピーカー配置を決める際に「山縣式反響係数」が参考値として用いられ、結果として同じ通りにスピーカーが3本並ぶ珍事が起きた。
また、の関連委員会では、駅のホームにおける待合の不安感を軽減するため、柱の間隔を「7.5畳換算」で表示する案が検討されたという。採用には至らなかったが、地方の商店街では独自に模倣され、なぜか靴屋だけが繁盛したと伝えられる。
一方で、山縣の資料には「港の静けさは行政文書の枚数に比例する」といった断言が散見され、これは後年の研究者から「統計学というより気分学である」と批判された[5]。
逸話[編集]
山縣は大変な雨男であり、現地調査の日には高確率で潮位が上がったとされる。ある調査ではの岬で測定器が不足し、代わりに蕎麦屋の出前箱を3段重ねて観測塔にしたところ、偶然にも風向きの読みが改善したという。
また、彼は数値の丸め方に独特のこだわりを持ち、端数が0.4未満の場合は「生活が乾いている」、0.4以上0.7未満の場合は「やや湿潤」、0.7以上は「ほぼ海」と記録していた。弟子のはこの手法を「数値の情緒化」と呼び、のちに笑い話として回想している。
なお、山縣が最後に残したノートには、表紙に『提出用』とありながら中身がほぼ縁側の軋みの記録で埋め尽くされていたため、閲覧した職員が2日間ほど沈黙したという。
評価[編集]
山縣登志夫の評価は、今日でも極端に割れている。擁護者は、彼がとの境界を越えて生活環境を「聴く」姿勢を確立したとみなし、批判者は、測定値に対する執着がしばしば詩情に変質していたと指摘する。
もっとも、彼の資料が残した「港は黙っていても鳴る」「畳は地図である」といった奇妙な命題は、後続のや都市史研究に小さくない刺激を与えたとされる。近年では、の収蔵庫に眠っていた山縣の測音筒が再発見され、再検証が進められている。
ただし、その筒の内部からの朝刊と干からびた昆布が出てきたことについては、研究者の間でも説明がついていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山田義彦『港の音を読む――山縣登志夫の生活工学』海鳴社, 1994.
- ^ 中村和夫『縁側換算式の研究』港湾文化研究所, 2001.
- ^ 佐伯美佐子「潮鳴り式測距の再評価」『日本環境音響学会誌』Vol. 18, 第2号, pp. 41-58, 2008.
- ^ M. A. Thornton, The Acoustic Geography of Japanese Harbors, Coastal Studies Press, 1976.
- ^ 田所健一「戦後住宅における八方桶理論の受容」『住居史研究』第12巻第4号, pp. 113-129, 2011.
- ^ H. Kuroda, 'Measured Silence and Municipal Loudspeakers', Journal of Urban Sound, Vol. 7, No. 1, pp. 9-22, 1989.
- ^ 小林清隆『港湾局と縁側のあいだ』南風書房, 1983.
- ^ E. R. Whitman, 'Tide, Footsteps, and the Yamagata Coefficient', Proceedings of the International Congress on Practical Folklore, pp. 203-219, 1964.
- ^ 渡辺精一郎「山縣登志夫の測音筒に関する覚書」『国立科学博物館紀要』第24号, pp. 77-84, 2019.
- ^ 宮本晴夫『畳間測量史』潮出版, 1998.
外部リンク
- 国立生活工学研究会アーカイブ
- 港湾音響史資料室
- 山縣登志夫記念測音館
- 横須賀近代生活技術データベース
- 日本民俗工学会年報