心体汚染病
| 正式名称 | 心体汚染病 |
|---|---|
| 英語名 | Psychosomatic Contamination Disease |
| 初出 | 1968年ごろ |
| 提唱者 | 北条 恒一郎 |
| 主な発生地域 | 東京都心部、川崎市臨海区、名古屋港周辺 |
| 分類 | 準医療・環境心身症 |
| 主要症状 | 皮膚冷感、自己音声の残響感、匂いの記憶化 |
| 推計報告数 | 1974年時点で年間約3,800件 |
| 代表的対策 | 換気儀礼、白衣隔離、記録紙焼却 |
心体汚染病(しんたいおせんびょう、英: Psychosomatic Contamination Disease)は、の長期滞留によってとのあいだに異常な共鳴が生じるとされる、後半にで体系化された病態概念である[1]。主に都市部の過密環境で報告が増えたとされ、の周辺文書では「精神衛生と環境衛生の中間領域」と定義されたことがある[2]。
概要[編集]
心体汚染病は、がに沈着し、さらに周囲の空気や衣類を介して再び本人へ戻るという循環性をもつと説明された病態概念である。1970年代にはの一部委員会で検討対象となり、都市の「見えない不衛生」を扱う理論として注目された[3]。
この概念の特徴は、症状が単なる不安や疲労にとどまらず、患者が「自分の輪郭が他人の感情で曇る」と訴える点にある。診断にはよりも、よりもが重視されたとされ、当時の医療記録にはやや不思議な所見が多い[要出典]。
名称と定義[編集]
「心体汚染」という語は、とを併置するだけでなく、そこにという環境工学的な比喩を導入した点に独自性がある。初期の文献では「心的残滓が皮膚に微粒子状に付着した状態」とも説明され、の内部資料では「感情の粉塵化」とまで記された。
ただし、1981年にの研究班が行った観察では、同病の患者19名中17名において、症状がの混雑時間帯に悪化していたことが示され、都市騒音と対人接触の複合作用が強く疑われた。なお、この研究では「患者の鞄の中に未使用のガーゼが平均4.2枚入っていた」と報告され、後年の論争の火種となった[4]。
歴史[編集]
黎明期[編集]
起源は、の小さな診療所でが、満員電車通勤者に共通する「洗っても落ちない疲労臭」を記録したことにあるとされる。北条は当初、これを単なる自律神経失調の変種と見なしていたが、診療所の看護師・が「患者が部屋に入る前から沈黙の重さがわかる」と証言したことで、独立概念として整理が進んだ。
1971年には、の依頼で試験的な調査票が作成され、質問項目に「他人の咳払いを自分の罪悪感として受け取るか」などが含まれていた。回答者の38%が「はい」に丸を付けたという記録があるが、調査票の大半が喫茶店のメモ紙で印刷されていたため、信頼性には議論が残る。
制度化[編集]
、北条は『』を刊行し、病因を「感情換気の不全」と定義した。これにより、内の会議では、病院の窓の開閉を診療行為に含めるべきかが真剣に討議されたという。
同年、の臨海工業地帯で「煤塵性心体汚染」が集団報告され、工場地帯の従業員87名に対し、夜勤明けの感情測定が実施された。測定は主に色見本と問診で行われ、青灰色に近い回答が多いほど重症とされるという、今日では理解困難な判定法であった。
衰退と再評価[編集]
1980年代後半になると、抗不安薬の普及と職場環境改善により、心体汚染病は一時的に診断例が減少した。しかし一方で、期の長時間接待や過密会議文化が「潜在性汚染」を増やしたとの指摘もあり、1989年の報告では、営業職男性の12.6%に軽度の再燃が認められたとされる。
2000年代以降は、上で「画面越しの疲労移送」として再解釈され、若年層の間で半ば都市伝説的に語られるようになった。2021年にはの若手研究者がレビューを試みたが、結論部に「概念として興味深いが、診断名としては現代医学に適合しない」と記したため、古参の支持者からは「また換気の重要性を忘れている」と反発を受けた[5]。
症状と診断[編集]
代表的症状としては、(1) 服の襟元だけが妙に湿る、(2) 自分の名前を呼ばれると皮膚が冷える、(3) 他人の愚痴を聞いた直後に手洗いをしたくなる、の三徴がよく挙げられる。特に、鏡の前で自分の表情が「少し遅れて追随する」と訴える例が多く、これをと呼ぶ文献もある。
診断は標準化されておらず、1980年代の実地ではの汚れ具合、の冷め方、問診中に机を二回以上拭くかどうかが参照された。なお、重症例では「夜になると今日見た他人の顔が枕に残る」と述べることがあり、担当医がメモ用紙を交換するだけで症状が半減したとの記録もある。
治療と対策[編集]
治療としては、、、が中心であった。北条の理論では、窓を3分半開けることで心体表面の汚染層が剥離するとされ、では実際に朝8時・正午・午後5時の「三回換気」が試験運用された。
また、患者には「会議で相槌を打ちすぎないこと」「満員電車では吊り革を二本以上握らないこと」などの生活指導が行われた。もっとも、指導を受けた会社員がかえって吊り革を数える癖を獲得し、症状が悪化したという報告もあり、介入効果は一定しなかった。
社会的影響[編集]
心体汚染病は、医療の領域を超えてやにも影響を与えたとされる。1970年代後半にはの一部企業が「感情休憩室」を設置し、社員が15分間だけ無音で壁を見つめる制度を導入したが、逆に会議室不足が深刻化した。
また、書店では『から身を守る100の作法』のような実用書が流行し、なかには「朝食時に味噌汁を三回かき混ぜると防御膜ができる」とする独自理論まで登場した。これらは医学界からは半ば嘲笑されたが、都市生活者の不安を言語化した点では一定の支持を得たとされる。
批判と論争[編集]
最大の論点は、心体汚染病が実在の疾患というより、・・を一つに束ねた説明モデルではないかという点である。1983年のシンポジウムでは、ある演者が「換気で治るなら病名より窓業者の売上を計測すべきである」と発言し、会場が一時騒然となった。
一方で、支持派は「病名があったからこそ、言葉にならない苦痛が医療につながった」と主張する。特にやの事例では、診断名が労働環境改善の交渉材料になったとされ、純粋に迷信として片づけられない側面がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北条 恒一郎『心体汚染病概論』東都医書出版, 1974, pp. 11-96.
- ^ 三枝 みどり「満員通勤者における感情残滓の皮膚付着について」『臨床環境医学』Vol. 8, No. 2, 1972, pp. 44-59.
- ^ 東京都衛生局編『都市過密と心体汚染病調査報告書』東京都行政資料室, 1975, pp. 3-41.
- ^ H. Kido, “On the Boundary of Mind and Surface: A Tokyo Inquiry,” Journal of Urban Psychophysiology, Vol. 12, No. 1, 1976, pp. 1-22.
- ^ 佐伯 直樹「心体汚染病と換気儀礼の社会学」『保健社会学研究』第14巻第3号, 1982, pp. 88-104.
- ^ Margaret L. Thornfield, “Contamination of the Sentient Body in Postwar Japan,” Bulletin of Comparative Nosology, Vol. 4, No. 4, 1987, pp. 201-230.
- ^ 国立精神・神経医療研究センター精神疫学部『心体汚染病再検討レビュー』研究内報第27号, 2021, pp. 5-19.
- ^ 小泉 玲子『感情衛生と都市生活』青潮社, 1989, pp. 77-143.
- ^ R. H. Morrow, “The Smell of Exhaustion: A Note on Psychosomatic Contamination,” International Review of Civic Medicine, Vol. 9, No. 2, 1978, pp. 66-81.
- ^ 山村 俊介「白い手袋の汚れと診断名の成立」『医史学と臨床』第21巻第1号, 1990, pp. 13-28.
外部リンク
- 都市心体研究会
- 東亜環境心身症アーカイブ
- 仮想医療史資料館
- 換気療法推進協議会
- 旧厚生省文書目録