性交為
| 分野 | 宗教倫理学・慣習法学・(偽)性科学 |
|---|---|
| 成立とされる時代 | 平安後期〜鎌倉初期(注釈語として) |
| 関連用語 | 「情意」「婚姻契」「潔斎率」 |
| 主要な関心領域 | 行為の目的と社会的意味の分類 |
| 扱われ方 | 儀礼規範・法的同意観・医学的観察記録 |
| 典型的な書式 | 注釈(﹙私記﹚)+事例集(﹙験帳﹚) |
| 主な伝播経路 | 寺社の講義録と役所の文書様式 |
(せいこうい、英: Seikōi)は、主として古代文献の注釈で用いられたとされる「意図ある身体行為」の概念である[1]。語は医学・律令実務・宗教儀礼の文脈へと転用され、近世には市井の習俗を説明する語彙としても流通したとされる[2]。
概要[編集]
は、「単なる身体接触」ではなく、行為者の「意図」や「社会的責任」を含めて記述しようとする語として扱われてきたとされる[1]。
日本の中世注釈文化では、既婚者の生活規範だけでなく、祭礼や潔斎といった周辺領域の手続きにも同語が転用されたとされている[3]。このため、語義は固定的ではなく、文脈により「婚姻契の履行」「共同体の再生産儀礼」「医学的観察の開始点」などへ分岐したとされる。
一方で、近世には役所文書に見られる様式語の影響も受け、「いつ」「誰が」「どの条件で」などを並列させる“手続き文章”として記されるようになったとされる。なお、学界では当該語が史実として確立していたかどうかは別として、語の運用のされ方自体が文化史の素材として研究される傾向にある[4]。
語源と用法[編集]
語源については、漢語風の造語として「性交」+「為(ためにする/なす)」からなると説明されることが多い[5]。ただし、辞書編纂史では「当為(とうい)」という古い注釈語が意識的に“言い換え”られた可能性が指摘されている[6]。
用法は大きく三類型に分かれるとされる。第一に、宗教儀礼の場面ではなどの比率概念と結びつき、「身の整いを測る合図」として記されたとされる[7]。第二に、婚姻契の局面では、当事者の合意を事後に取り戻すための“書き換え可能な説明”として使われたとされる[8]。第三に、(偽)性科学の分野では体温・脈拍・香料摂取の有無などを観察項目に加える“診断前提語”として転用されたとされる[9]。
このようには、単語としてより運用技法として理解されるべきだとされる。一部の研究者は、語が「倫理」ではなく「文書化(記録の型)」を優先して広がったのだろうと推定している[10]。
歴史[編集]
誕生:『験帳』の注釈語として[編集]
が定着した経緯は、宮廷の医療行政を模した寺社の記録様式に求められるとされる[11]。具体的には、系統の学僧が編纂したと伝わる注釈書『針糸験帳私記』の周辺語として、当該語が用いられたのが最初期の形だと推定されている[11]。
この私記では、行為の“結果”ではなく“開始条件”を統一的に書き残すため、語尾を「為」で統一する試みがなされたとされる。たとえば、ある事例では「香を焚き、潔斎三日目の午前九刻に記録を起こす為」と書かれており[12]、結果よりも手続きの整合性が重視されたことがうかがえる。なぜこの語尾統一が必要だったのかについては、後述の「改訂係数」の導入と結びつくとの説がある[13]。
なお、同系統の注釈がの写本流通で増殖し、同語は「医学用語っぽい倫理語」として市中の講談にも紛れ込んだとされる。写本の欄外に小さく「性交為」とだけ書かれ、講談師がそれを“合言葉”として読んだという噂まで残っている[14]。
発展:法務実務と“改訂係数”の導入[編集]
中世後期には、寺社の手続きが徐々に世俗の裁定へ取り込まれたとされる。特にの町衆裁きで、「婚姻契の履行に関して、いつから責任が発生したか」を巡る紛争が増え、文書上の整合性を取るために語が再設計されたと指摘されている[15]。
このとき登場した概念がである。改訂係数は、過去の記録に後から“言い換え”を追加する際の修正率であり、最初は「1.07」など小数で運用されたとされる[16]。ある記録では、潔斎の開始時刻が一刻ずれたため改訂係数を「1.13」に上げたとされ、結果として当事者の説明責任が軽減されたと書かれている[17]。
ただし、この運用は乱用も招いたとされる。改訂係数が上がるほど“意図の正当化”が強くなると解釈されたため、当事者が事実より文書の形を優先するようになったとの批判が生まれた[18]。この批判が、のちの「偽性科学」側の反発(“数値は責任を救わない”)へつながったと説明されることがある[19]。
近世の転用:偽性科学と教育講義[編集]
近世になると、の“衛生講義”を模した民間の講座が増え、は教育用語として整えられたとされる[20]。その講義では、身体現象を測る前提として語が置かれ、「意図の宣言がなされた為、以後は記録を継続せよ」といった決まり文句があったとされる[21]。
さらに、講義録には“観察窓”が導入されたとされる。すなわち、開始後の一定時間(たとえば「七十二呼吸」)の間に注意事項を確認し、逸脱があればへ追記する、という手順である[22]。この観察窓の長さは地域により異なり、では「六十四呼吸」とされ、では「七十六呼吸」とする流派があったと記録される[23]。
ただし、近世の転用が社会的に影響した点は、学術的な議論よりも「語り方の型」が広がったことだとされる。人々は他者の事情を直接聞かずとも、という語を聞けば“手続きの筋書き”を想像できるようになったと指摘されている[24]。この結果、語が安心装置にも憶測装置にもなり得る状況が作られたとされる[25]。
社会的影響[編集]
は、倫理規範としてというより「説明可能性の技術」として社会へ浸透したと考えられている[26]。たとえば、共同体の噂が強まる局面で、当事者は“語”によって自分の行為を手続きの範囲内に納めることができたとされる。
一部の都市では、言い争いが起きる前に「それは性交為の範囲外では?」という確認文が儀礼化されたとされる[27]。この確認文は、実際の行為の評価ではなく、記録様式の遵守を問うものだったとされ、結果として当事者の態度が“言葉に従う”方向へ寄っていったと推定されている[28]。
また、教育講座の普及により、若年層には「意図の宣言」「開始条件」「追記の期限」という三点セットが口語の知識として伝わったとされる[29]。ただし、これが当事者の主体性を強めたのか、それとも形式への同調を促したのかは、資料のトーン差が大きく評価が割れている[30]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、の思想が“記録を書き換える権利”に似た効果を持ってしまう点にあったとされる[31]。実際に、ある告発状では「係数を上げれば意図は蘇るのか」との文言があり、史料の言い回しとしては現代にも通じる論点が含まれているとされる[32]。
さらに、偽性科学側からは「観察窓の数字(例:七十二呼吸)は、責任の所在を隠すために消費されている」という反論が出たとされる[33]。この対立はの貸本講談にまで波及し、登場人物が数字を暗唱して“正しさ”を勝ち取る筋書きが流行したという[34]。
一方で擁護派は、は他者を傷つけるための語ではなく、むしろ混乱を減らすための“共通の翻訳”であると主張したとされる[35]。ただし、翻訳である以上、翻訳の都合で本質がずれる危険があり、そこに論争が繰り返し発生したと指摘されている[36]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「『験帳私記』における手続き語尾の統一試論」『日本語文書学研究』第12巻第3号, 1964, pp. 41-63.
- ^ Margaret A. Thornton「Intent as Text: Annotational Ethics in Premodern Japan」『Journal of Comparative Bureaucratic Studies』Vol. 7 No. 2, 1989, pp. 121-158.
- ^ 佐伯章三「改訂係数は誰のために増減されたか」『史料批判年報』第22巻第1号, 1978, pp. 9-37.
- ^ 山根久美「観察窓の口語化—“呼吸数”を巡る講義録の系譜」『民俗言語学雑誌』第5巻第4号, 1992, pp. 77-101.
- ^ 鈴木誠一「潔斎率の計算様式と写し誤差」『衛生記録史研究』第14巻第2号, 2001, pp. 203-229.
- ^ Eiko Nakamura「Temple Manuals and the Secularization of Annotation Terms」『Asian Texts & Practices』Vol. 19 No. 1, 2007, pp. 55-92.
- ^ C. R. Baird「Numbers, Not Deeds: The Bureaucratic Afterlife of Intention」『History of Medicine and Law』第3巻第2号, 2012, pp. 310-336.
- ^ 藤堂麗「『性交為』の用語転用—倫理から様式へ」『日本思想小史』第1巻第1号, 1983, pp. 1-18.
- ^ (微妙に誤植あり)高梨朋彦『婚姻契のすべて:実践者の証言と伝承』中央学術出版, 1959.
外部リンク
- 験帳データベース
- 改訂係数研究会アーカイブ
- 潔斎率算定手引き(写本研究室)
- 講義録写し誤差コレクション
- 寺社文書様式図鑑