我孫子南高校
| 正式名称 | 我孫子南高等学校 |
|---|---|
| 略称 | 我南高、南高 |
| 設立 | 1949年3月(校史上) |
| 創立者 | 千葉県教育庁南方学務班 |
| 所在地 | 千葉県我孫子市南新田二丁目 |
| 学区 | 手賀沼周辺特別学区 |
| 校訓 | 静観・遠望・反省 |
| 特色 | 湿度管理型授業、沼辺実習、風向別HR |
| 部活動数 | 31団体(2023年度) |
我孫子南高校(あびこみなみこうこう)は、南部に所在するとされる公立高等学校である。校名の「南」は水系の湿地帯を守るために設けられた「南方教育実験区」に由来すると伝えられている[1]。
概要[編集]
我孫子南高校は、間もないにおいて、周辺の農業復興と通学圏拡張を兼ねて設置されたとされる高等学校である。県内では比較的小規模ながら、沼霧を利用した視認訓練と、・を横断する「環境観測教育」で知られている[2]。
同校の制度上の特徴は、普通科でありながら「湿地研究」「地域史聞取」「土木見学」の三系統選択が早くから導入されていた点にある。これは当時のが推進した「郊外定着型教育」の一環とされ、のちにやの一部学校にも模倣されたとされる[3]。
歴史[編集]
創設期[編集]
1949年、旧の南端にあった干拓予定地を転用して開校したとされる。初代校長のは、で地形学を学んだ人物で、校舎の配置を「風の抜け方」で決めたと伝えられている。実際、第一校舎は廊下が南北に74メートルも伸び、冬季における逆風率が高いことから、早くも生徒の間で「風に学ぶ学校」と呼ばれたという。
開校式では、から採取した水を校庭四隅に撒く「定水の儀」が行われたとされるが、この習俗は戦後の衛生行政と整合しないため、後年の同窓会誌では「事実上の伝説」と注記されている。もっとも、創立記念日に小瓶の水を持参する習慣だけは現在まで残っている。
学制改革と拡張[編集]
には家庭科棟が増築され、地域の婦人会が運営する「味噌と潮風の講習」が授業に組み込まれた。これにより同校は、県教育委員会から「生活技術教育の先駆」と評された一方、当時の保健所が「潮風で味噌は熟成しない」として注意喚起を行った記録が残る。
またには、沼辺の鳥類観測を目的とした屋上観測台が設置され、千葉支部の協力で年4回の渡り鳥調査が始まった。生徒が記録したデータは、後に『手賀沼鳥相年報』としてまとめられたが、その中には「白鳥3,100羽、ただし目視困難のため推定」といった、きわめて南高らしい曖昧さが見られる[4]。
校地移転問題[編集]
、周辺の宅地化に伴い校地移転計画が持ち上がったが、地域住民の強い反対により全面移転は回避された。代わりに、旧校舎の背後に「第二湿地棟」が建てられ、雨天時のみ使用される教室が7室増設されたという。
なお、この時期に同校で導入された「風速による出席率補正」は、一定以上の強風で遅刻扱いを取り消す制度として話題となった。県教委は制度の存在を正式には認めていないが、卒業生の証言によれば、時に限って皆勤者が急増したとされる。
近年の動向[編集]
以降はに力を入れ、電子黒板の代わりに湿度計を全教室へ配備した。これは「画面は乾くが空気は残る」という当時の校内標語に由来するといわれる。
またには、地域連携事業「沼と学ぶ」がの公共施設で開催され、卒業生・保護者・近隣農家が参加した。ここで配布された教材『手賀沼の一日』は全48頁のうち31頁が気象記録で占められており、教育資料というより準観測報告書に近い内容であった。
教育内容[編集]
我孫子南高校の教育課程は、普通科の枠内に収まりながらも、地域性を前面に出した独特の編成で知られている。1年次には「地図の読み方」と「沼の匂いの記憶」を同時に扱う導入講座があり、2年次以降は選択制で「環境観測」「地域史」「生活技術」に分かれる。
特に有名なのが、との合同授業である「水際総合」で、雨量計の設置位置をめぐって毎年8月に議論が起こる。担当教員は平均して3人おり、うち1人が必ず室の鍵を失くすため、授業が野外実習に変更されることが多かったとされる。
また、同校では「反省ノート」が独自に発達しており、1行目に事実、2行目に気圧、3行目に感想を書く形式が長く維持された。2020年度の調査では、提出率92.4%に対して「気圧欄のみ空白」が11.7%存在し、教務部が「本校教育の精神は守られている」とコメントした記録がある。
行事と文化[編集]
文化祭は「南祭」と呼ばれ、最大の名物は2年生有志による「沼霧カフェ」である。これは実際に霧を販売するわけではなく、加湿器とドライアイスを併用して視界3メートル程度の演出を行うもので、来場者の半数が迷子になることから毎年の救護体制が強化されている。
体育祭では「追い風リレー」が実施され、トラックを通常とは逆向きに走る組がある。これは旧校舎時代の風向記録に基づく伝統行事とされるが、記録上はに初めて確認された比較的新しい競技である。なお、優勝旗の先端にはのヨシで編んだ房が付けられている。
卒業式では校歌に続いて、全校生徒が窓の外を見る「遠望三分」が行われる。これは進路指導の一環であると同時に、沼に沈む夕日を見て自分の位置を確認するための儀礼とされ、近隣住民からは「毎年やるのに誰も説明できない式」として親しまれている。
批判と論争[編集]
同校に対しては、教育内容が地域史に偏りすぎているとの批判が以前からある。とりわけの県議会では、ある議員が「高校で渡り鳥の足環を外す技術を教える必要はあるのか」と発言し、これに対して校長は「足環は外さない。観察する」と答弁した[5]。
一方で、同校の進学実績は地元では堅調であり、やへの合格者を毎年一定数出しているとされる。ただし、この数字には通信制課程の在籍者が含まれるかどうかで解釈が分かれており、同窓会と進路指導部の集計が毎年3〜5人分ずれることが知られている。
また、校章に描かれた三本線が「水位」「風向」「成績」を表すとする説明は後付けではないかとの指摘もある。しかし、創立70周年誌では初代生徒会長のが「三本とも気分で決めた」と回想しており、真偽は定かでない。
著名な関係者[編集]
同校の関係者としては、地域博物学者の、湿地保全運動で知られる卒業生の、および校歌改訂に関与した作曲家のが挙げられる。いずれも全国区の知名度は高くないが、周辺では「南高三賢人」として扱われることがある。
また、2000年代後半に在籍した天文部顧問のは、英国からの招聘教員でありながら、我孫子の湿度が星図の見え方に与える影響を研究した。彼女の講義は毎回45分の予定が72分に延び、最後には星ではなく雨雲の説明で終わることが多かったという。
脚注[編集]
[1] 校史資料『我孫子南高校五十年誌』による。
[2] 千葉県教育史編集委員会『戦後郊外校の成立』千葉県教育文化協会, 1988年, pp. 114-119.
[3] ただし、「郊外定着型教育」の公式文書は未確認である。
[4] 『手賀沼鳥相年報 第7号』では推定値の算出方法が明記されていない。
[5] 千葉県議会会議録・教育常任委員会、2016年9月12日。
関連項目[編集]
高校
脚注
- ^ 渡辺精一郎『南方学務と湿地校の設計』東関東教育出版, 1954年.
- ^ 千葉県教育史編集委員会『戦後郊外校の成立』千葉県教育文化協会, 1988年, pp. 114-119.
- ^ 佐藤みどり『校章はなぜ三本線か』我南同窓会叢書, 1979年.
- ^ K. Tanaka and M. A. Thornton, "Fog Index and Classroom Orientation in Abiko", Journal of Regional Pedagogy, Vol. 12, No. 3, 2009, pp. 201-219.
- ^ 平山冬彦『校歌と風向きの関係』北総音楽研究所, 1966年.
- ^ 我孫子南高校百周年準備室『沼辺教育の百年』校内資料, 2049年.
- ^ 小松原玲子『手賀沼と私の進路』緑川書房, 2017年, pp. 33-41.
- ^ R. Williams, "Marsh Schools and Civic Identity", Education Review Quarterly, Vol. 8, No. 1, 1998, pp. 55-62.
- ^ 高橋嘉一『鳥類観測と出席率の相関』南北自然史研究, 第4巻第2号, 1971年, pp. 7-18.
- ^ 『我南高校舎移転計画資料集』千葉県議会図書室, 1985年, pp. 2-9.
外部リンク
- 我孫子南高校同窓会公式記録室
- 手賀沼環境教育アーカイブ
- 千葉県郊外学校史データベース
- 南高文化祭実行委員会年報
- 沼辺教育研究会