戦前のいぶりがっこ
| 分野 | 食品加工(発酵・燻製) |
|---|---|
| 主原料 | 大根(品種は「兼春白」系とされる) |
| 地域 | (特に周辺の乾燥施設) |
| 成立の背景 | 非常食需要と地域産業の補助金 |
| 製法の特徴 | 燻煙量の「度量衡」化と熟成温湿度の段階管理 |
| 保存性 | 通常保管で数週間、適切な乾燥で数か月とされる |
| 評価の論点 | 香味の再現性と検査基準の妥当性 |
戦前のいぶりがっこ(せんぜんのいぶりがっこ)は、で親しまれていたとされる大根の発酵・燻製加工の総称である。とくに末期から初期にかけて、非常食政策と地域の燻煙技術が結びつき、工芸品のように管理された「官製ローカル保存食」として語られている[1]。
概要[編集]
戦前のいぶりがっこは、地域家庭で作られていた大根加工が、いつの間にか「標準化された保存食」として語られるようになった概念である。具体的には、燻製工程だけでなく、塩漬け、脱水、熟成の各段階を、経験則ではなく「計測できるもの」としてまとめ直した呼称とされる[1]。
この名称が広まった経緯については、(当時の表記)内の産業振興団体が、販売用の品質票を統一したことが起点であるとする説がある。これにより、いぶりがっこは単なる郷土食品ではなく、品質検査の対象となる「流通前提の加工食品」として扱われるようになったとされる[2]。ただし、どこまでが実際の制度で、どこからが後年の記憶補正なのかについては異論もある。
なお本記事では、戦前に関する語りとしての「戦前のいぶりがっこ」を扱い、各工程の描写は当時の資料に基づくという体裁を取りつつ、内容は架空の技術史として再構成する。とくに燻煙の「煙指数」や、熟成の「階段温度法」など、細かい数値が多用されるのが特徴である[3]。
概要[編集]
「戦前」と呼ばれる範囲[編集]
「戦前のいぶりがっこ」は、概ね末期から初期にかけての生産・流通の語りを指すとされる。実際には、同じ製法がそれより前後にも存在したと推定されるが、行政文書での用語がこの期間に集中したために、結果として年代が固定されたという説明がよく用いられる[4]。
この年代固定には、の水産・農産物を扱う統計年報で「燻煙大根加工」の欄が突如として現れ、次年度に項目が変わったという、いわば書類上の都合が関係したとされる。もっとも、年報の項目名自体が後年の編者によって補われた可能性も指摘されている[5]。
一覧の選定基準(語りの中身)[編集]
戦前のいぶりがっこは、個々の家庭の味ではなく「同じ手順で作れば同じ香味になるはず」という物語に選別されて語られる。そこでこの概念の評価軸は、(1)燻煙の再現性、(2)塩分の均一性、(3)熟成管理の段階性、(4)販売時の検査票の記載統一、の四点に置かれたとする説がある[6]。
とくに(4)は、の商工会が「煙の強さを数値で書け」という横柄な要請をした結果、工程記録が帳簿化された、という逸話と結びついている[7]。ただし、煙量の測定方法は資料ごとにブレがあり、「測っているようで測っていない」ことが研究者の間で半ば笑い話として扱われることもある。
戦前のいぶりがっこに関する主要な製法・施策(一覧)[編集]
ここでは、戦前のいぶりがっこが「それっぽく制度化された」とされる過程を、関連する製法・施策・組織の体系として整理する。各項目はいずれも、当時の現場が持っていたはずの管理技術を、後年の語りによって“規格”に寄せた結果として理解される[8]。
また、以下の項目は実在の地名・団体名を借りつつ、肝心の技術内容はあくまで架空のものとして記述される。百科事典風の語彙を保つため、各項目に必ず「なぜこの項目が重要視されたのか」という逸話が付される。
一覧[編集]
1. (1919年)- 燻煙を「色」ではなく「指数」で扱う発想である。灯油ランプを燃やす代わりに、炉の隅で白紙がどれだけ茶色くなるかを測り、最終的に“7.3分で紙が飴色になるなら合格”とする運用が記録されたとされる[9]。
2. (1921年)- 熟成温度を一気に上げず、夜ごとに0.8度ずつ刻むという“階段”のような管理法である。仕込み場の床下に小穴を開け、温度計を「二十人の順番」に見立てて回すと、ばらつきが減るとされた[10]。
3. (1923年)- の商工系組織が、販売前の大根に同じ様式の紙票を貼ったとされる。票には「塩分換算 2.41%」「香味指数 88」「熟成日数 19日±1日」といった項目が並んでいたという[11]。
4. (1924年)- 原料の品種を揃えることで味のブレを減らすという方針である。市場で“大根の首の太さが指3本分なら合格”とされたとも語られ、計測がいきなりアナログになる点が特徴である[12]。
5. (1926年)- 炭の積み方を段数で固定する規則である。燃焼室の炭を「六段、各段の厚みは親指二つ分」と定めたとする逸話が残り、なぜ指が出てくるのかについて後年「現場の官僚化の副作用」と笑われたとされる[13]。
6. (1928年)- 塩水を“ゆっくり回す”ことで塩が中心まで到達する時間を均一化したとされる。設備は簡素だが、夜間は循環が止まるため、翌朝の濃度が「平均より0.06だけ薄い」ことが規格に含まれていたという[14]。
7. (1930年)- 脱水の最後に灰汁を薄く塗り、外皮の収縮を抑えるという工程である。結果として香りが“外へ逃げる前に固定される”と説明されたとされるが、同時に手袋が異常に黒くなるという副作用も語られる[15]。
8. (1932年)- 燻煙設備の改修に対し、内の産業局が補助金を出したとされる。補助金の条件として「煙道の直径は実測で“尺の七掛け”」が要求されたという。もっとも、尺が現場で統一されていなかったという反省も同時に記録されたとされる[16]。
9. (1934年)- 技術者と商人が混ざって議論したとされる勉強会である。議題には「香味の官能評価を点数化するか否か」があり、結論は“点数化しつつ、必ず最後に泣く”だったと伝わる[17]。
10. (1936年)- いぶりがっこを“食べるより前に列車へ乗せる”ための工夫が語られるようになったとされる。側線では保管箱の湿度を「靴下が湿る手前」に設定したという記録が引用され、運送業者がなぜ靴下に言及したのかが論文の脚注に残っている[18]。
11. (1938年)- 燻煙をずっと続けず、途中で二度止めるという制御である。最初の停止は“煙が米粒ほど細くなった瞬間”、二度目は“人が息を白くした直後”と定義され、科学というより季節の読み物になっているという批判がある[19]。
12. (1940年)- 製品に保存の可否を判断する票を添付する運用である。票には「開封後は二日以内に加熱すること」と書かれたとされるが、実際に守られたかどうかは不明で、むしろ“加熱すると香りが立ちすぎて叱られる”という家庭側の伝承が目立つ[20]。
歴史[編集]
由来:燻煙技術が“測れるもの”になっていった[編集]
戦前のいぶりがっこが「制度っぽく」語られるようになった背景には、燻煙という職人的工程を、行政の言語に翻訳する必要が生じたという筋書きがある。たとえばの地方紙では、乾燥・発酵を扱う工場の増加に伴い「検査がないと売れない」という短絡が広まったとされる[21]。
その翻訳の過程で、煙の色・匂いのような曖昧な要素を、指数や段階に置き換える手法が採用された。もっとも、指数は測定しやすい一方で味を固定するには粗すぎるため、現場では「指数通りでも当たり外れはある」との苦言がつきまとったとされる[22]。この不一致こそが、後年に“戦前のいぶりがっこ”というノスタルジーを強化したとも解釈されている。
関係者:産業官庁・商人・家庭の三者が噛み合った[編集]
語りの中心に現れるのは、行政側の担当官と、現場の流通側の商人、そして家庭の技術者である。たとえばでは、机上の理論を持ち込む担当が「香味指数を採点しろ」と迫り、現場は「採点するなら舌ではなく皿で」と対抗したとされる[23]。
このように対立はありつつも、結果として“記録して売る”文化が育ち、いぶりがっこは保存食から小売商品の顔を持つようになった。なお、家庭での微細な調整は帳簿に残らないため、後年の資料では“規格化された一品”だけが残りやすいという偏りも指摘されている[24]。
批判と論争[編集]
戦前のいぶりがっこについては、規格化が進むほど「味の多様性」が失われたのではないかという批判がある。たとえばの採点者が固定されると、点数が高い香りだけが商業的に勝つため、家庭で好まれる“余韻の長さ”が軽視されたとする見方がある[25]。
一方で、規格化は品質事故を減らしたともされる。腐敗や過燻が減ったという主張はあるが、反対に「指数は安全の証明ではなく、記録の都合に過ぎない」という指摘がある。さらに、燻煙工程の説明で靴下や指の感覚が出てくることについては、科学性の欠如を笑う声があり、学術誌の書評欄で“湿度の詩”と評されたことがある[26]。
また、史料の扱いに関しても論争がある。後年に作成された“当時のレシピ集”は、官公庁の文書の言い回しを過剰に模倣しているため、当時の実態より整いすぎているのではないかと推定されている[27]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田路清人『煙の指数学:秋田燻煙工学の仮説整理』第三燻煙出版, 1939.
- ^ 佐伯真砂『発酵の帳簿化と地方市場』秋田農商社, 1942.
- ^ H・R・マール『Measuring Smell: Index Systems in Fermented Foods』Vol. 12, pp. 31-58, Newfield Press, 1951.
- ^ 黒沢綾乃『熟成温度の階段と社会史』北秋田大学出版会, 1978.
- ^ ミナ・カルデラ『Preservation by Bureaucracy』第3巻第2号, pp. 101-147, Lantern & Co., 1986.
- ^ 橋元政信『炭棚段積みの現場記録—尺と指のあいだ』燻煙資料館紀要, 第7巻第1号, pp. 9-44, 1994.
- ^ 小松栄介『国鉄側線における湿度運用の民俗』交通史通信社, 2003.
- ^ デルフィン・クラーク『The Prewar Standardization of Regional Foods』pp. 200-235, Arbor Academic, 2012.
- ^ 阿久津光輝『靴下で測る湿度:検査の比喩と笑い』地方審査学会誌, Vol. 5, No. 4, pp. 77-95, 2016.
- ^ 蛯原文昭『戦前のいぶりがっこ再考:検査票・官営煙道・家庭の調整』秋田史叢書, 第1巻第1号, pp. 1-62, 2020.
外部リンク
- 燻煙指数アーカイブ
- 横手燻煙検査票データベース
- 北国発酵民俗館
- 官営煙道資料室
- 保存食制度史サイト