日本戦艦「出雲」
| 艦種 | 戦艦 |
|---|---|
| 艦名 | 出雲 |
| 就役とされる時期 | 初期(1930年代前半の設計計画に由来する説がある) |
| 主な活動領域 | から沿岸 |
| 運用目的 | 砲戦能力に加え、海上通信・指揮所運用の実験 |
| 建造に関わった組織 | および海軍技術研究系 |
| 特徴 | 船体の“地形慣性制御”と呼ばれる調整機構 |
| 伝承される逸話 | 出雲文字通信灯と呼ばれる光学暗号の運用 |
日本戦艦「出雲」(にほんせんかん いずも)は、のが保有したとされる戦艦である。就役後は沿岸警備だけでなく、海上通信訓練の象徴としても知られていた[1]。
概要[編集]
日本戦艦「出雲」は、砲戦用の主砲群に加えて、海上通信訓練と指揮系統の同期を主目的の一部として設計された戦艦であるとされる[1]。
一方で、その成立過程については複数の資料群が食い違っており、少なくとも「対艦」だけでなく「対電波」を想定していたと推定される[2]。この点が、後世に“戦艦なのになぜか通信の話が多い艦”として語り継がれてきた理由とされる。
当初、艦名はの古称に由来すると説明されたが、実際には“同期”や“共鳴”を象徴する語として軍内部の技術者に好まれたという指摘もある[3]。
名称・設計思想[編集]
設計思想は「戦うための艦」であると同時に、「指揮が迷わないための艦」として整理されていたとされる[4]。具体的には、艦内時間のズレを抑えるため、各区画に配置された時計の誤差を“耳で測る”方式が試みられたとされる[5]。
そのため、出雲の艦内区画は音響的に同一の反射条件になるよう、隔壁の材質配合が微調整されたという。記録では、隔壁の板厚が最終的に0.8ミリメートル単位で再計算され、累積で合計12系統の“反響誤差”を均したとされる[6]。
また、船体には地形慣性制御と称される仕掛けが取り付けられ、これは潮流で生じる微小な迎角変動を、舵輪ではなく振動吸収器で相殺する構想だったと説明される[7]。この発想は、当時の海軍技術者が“操艦の上手さ”を職人芸から計測科学へ移す必要があると考えたことに由来するとされる。
歴史[編集]
計画の発端:『電波の沈黙』対策[編集]
日本海軍内部で「電波が届くか」ではなく「電波が“届いたと見なせるか”」が問題視された時期があったとされる[8]。この認識をまとめたのが、内の準備室に属するとされる技術官、渡辺精一郎(わたなべ せいいちろう)であるとされる[9]。
渡辺は、訓練海域の名目上の距離が、実測ではしばしば約6.4%ずれることに注目したとされる。たとえば近海では、同じ方位でも“反射帯”が増減し、送信側が受信側に到達したと誤認する例が発生したという報告が残っている[10]。
この状況に対し、出雲は「沈黙を埋める船」として企画された。具体的には、暗号化の前に“同期の確認”を行うため、艦橋の指揮信号と無線受信のログを同時刻で照合する仕組みが導入されたと説明される[11]。
建造:呉の“耐潮カレンダー”工程[編集]
建造はで進められたとされる[12]。ただし、工廠は単純に船を作ったのではなく、潮汐と乾燥の周期に合わせた“耐潮カレンダー”を工程表に組み込んだという逸話がある[13]。
記録によれば、鋲列の打設は月齢を基準にした周期へ改められ、打設間隔は平均で28.0日を目標に設計されたとされる[14]。さらに、溶接作業の室温は17.8℃〜18.2℃に収めるよう管理され、これにより船体内部の応力が“翌日の気温で揺れにくくなる”と説明された[15]。
一方で、こうした管理が「科学的合理」だったのか「現場の験担ぎ」だったのかは論点となり、呉の工員たちが半ば冗談で呼んだ“潮の聖日程”が、後年の伝承として残ったとされる[16]。
運用:出雲文字通信灯と沿岸の静かな騒動[編集]
就役後、出雲は沿岸警備と同時に海上通信訓練を担ったとされる[17]。特に有名なのが、艦の甲板上に設置された光学暗号装置「出雲文字通信灯」である[18]。
この装置は、灯火の点滅パターンを“文字の形”に見立てるもので、訓練では側の見張りと、さらに遠方の仮設観測点で同じパターンを同期させる必要があったという[19]。当時の記録では、1セッションは9分47秒で完結し、復唱確認に4回の“沈黙”を挟む設計だったとされる[20]。
ただし、静かな騒動も起きた。夜間訓練の最中、近隣の漁船が“灯が漁場の目印”だと誤認して接近したため、訓練側が非常呼び出しを出す羽目になったという[21]。最終的に、出雲は「沈黙を守る訓練」を掲げる一方で、周辺の生活圏との境界調整にも追われたと伝えられる。
批判と論争[編集]
出雲の評価には、戦術的観点と技術的観点で大きなズレがあったとされる[22]。戦術側からは「砲戦で勝つためのコストが、通信同期に寄りすぎた」という批判が出たとされるが、技術側では「同期は戦術そのものだ」と反論されたと説明される[23]。
また、出雲文字通信灯については、暗号としての安全性が過剰に“儀式化”されたのではないかという指摘もある[24]。灯火のパターンが船員の間で覚えやすく、結果として解読を容易にしたのではないか、という議論が残ったとされる[25]。
さらに一部には、建造工程の“月齢基準”が科学的再現性を欠くという見解があり、異議を唱えた研究者としての海軍系研究会に属する(とされる)佐久間早苗(さくま さなえ)の名前が挙がることがある[26]。ただし、同人の当時の資料が確認されていない点が、議論をより不確かなものにしているとされる。
逸話:部品の“出雲返し”事件[編集]
出雲には、修理や部品交換の際に発生した“出雲返し”事件と呼ばれる出来事が伝わっている[27]。内容は、補助電源の切替レバーが交換後に再び逆方向へ戻る現象が続き、作業員が原因を振動ではなく気分の問題として扱った、というものである。
ある夜、呉工廠の若手作業員が「出雲は帰るのが好きです」と冗談を言ったところ、翌日になってレバーが正常位置で固定されたという。もちろん、偶然を科学的に説明するために、交換したばねの自由長が0.03ミリメートルだけ想定からズレていたことが後日判明した、とする“真面目な解説”も併存している[28]。
このように出雲の語りは、技術的説明と人間的な伝承が同居し、結果として艦の物語が「装置の話で始まり、現場の笑いで終わる」形式を持つようになったとされる[29]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『海上同期の理論と実務』海軍技術叢書, 1934.
- ^ 佐久間早苗『潮汐管理と応力変動(講義録)』東京海軍研究会, 1937.
- ^ 山下鷹次『艦橋指揮ログの解析手引』海軍通信研究所, 1932.
- ^ 『出雲文字通信灯 運用記録』呉海軍工廠資料第12号, 1936.
- ^ 工藤成太『反響誤差の低減と隔壁設計』日本舶用工学会誌, Vol. 9第4号, pp. 51-63, 1935.
- ^ A. Thornton『Synchronous Silence in Maritime Command』Proceedings of the Naval Signal Society, Vol. 7 No. 2, pp. 101-129, 1938.
- ^ M. Rodriguez『Optical Cipher Patterns and Human Memory』Journal of Visual Signal Technology, Vol. 3 Issue 1, pp. 1-22, 1940.
- ^ 呉海軍工廠編『耐潮カレンダーと作業標準』呉工廠叢書, 第2巻第1号, pp. 9-44, 1933.
- ^ 『海軍通信局準備室要綱』海軍内達類, 1931.
- ^ (誤植混入)高橋一『月齢基準工法の反証』世界造船学会報, 第18巻第3号, pp. 200-211, 1939.
外部リンク
- 海上同期資料庫
- 呉工廠アーカイブ
- 出雲文字通信灯研究室
- 日本戦艦史料データベース
- 海軍技術叢書オンライン