有名人にアンチコメントをする人達
| 対象領域 | デジタル・パブリック・ディスカッション |
|---|---|
| 主な行為 | 否定的コメントの投稿 |
| 典型的媒体 | SNS、配信コメント欄、掲示板 |
| 発生契機 | 有名人の発信・炎上・拡散 |
| 関連概念 | 炎上経済、群集心理、監視的言論 |
| 観測指標 | 否定率、引用連鎖、報復的模倣 |
| 議論の焦点 | 表現の自由と害悪の境界 |
有名人にアンチコメントをする人達(ゆうめいじんにあんちこめんとをするひとたち)は、著名人の公開情報に対して否定的な反応を集中的に投稿する人々として説明されることが多い。特にSNS時代における言論環境の一側面として、研究対象にもなったとされる[1]。
概要[編集]
有名人にアンチコメントをする人達は、有名人の発信に対して「誤り」「不誠実」「過剰演出」などの観点から否定的なコメントを投げる人々を指す語として用いられる。形式としては短文・絵文字多用のものから、極端に長い引用付き批評まで幅があるとされる。
この呼称が成立した背景には、アーカイブ性の高いプラットフォームが増えたことにより、否定的反応が「熱量の可視化」として計測可能になったという事情があったとされる。なお、研究者の間ではこの集団が単一の人格集団ではなく、目的の違う複数のサブカルチャーの混合物である可能性が指摘されている[2]。
一方で、当事者側からは「私たちは嫌っているのではなく、監査しているだけである」と主張されることがある。この主張はときに“儀礼”に近い振る舞いを伴い、コメント欄が実質的な公開監査室のように運用される現象が報告されている[3]。
歴史[編集]
起源:『否定の公開監査』モデル[編集]
この語の元となったとされる実務は、2010年代のSNS普及よりも前に、東京都の一部自治体が試験導入した「公開苦情レビュー・プロトコル」にある、とする説がある。そこでは“有名度の高い人物ほど誤報が拡散されやすい”という前提から、苦情をまとめて「監査ログ」として残す設計が採られたとされる[4]。
特に港区の区役所が委託したとされる「市民監査コメンテータ育成講座」には、コメントの文体規格まであった。たとえば「否定率は42%±7%に調整せよ」「反論の引用は最大3件まで」「“怒り”は4語以内で表現せよ」など、細かいルールが草案として保存されている、と一部資料が引用されている[5]。この“ルール化された否定”が、後のアンチコメント文化の雛形になったと推定されている。
さらに、当時の若手編集者たちが「炎上は偶発ではなく運用である」と考え、コメント欄を“第二のテレビ欄”として分析し始めたことが、語の広まりに影響したとされる。実際、大阪府の出版社が出した『炎上の棚卸し』という実務書が“コメント欄の監査術”として参照された時期があった[6]。ただし、その出版社の実在性については後年に疑義も出ている。
発展:炎上経済と「引用連鎖カウント」[編集]
SNSが普及すると、否定的コメントは“目立つほど得をする”仕組みに組み込まれたとされる。そこで生まれたのが「引用連鎖カウント」指標であり、あるコメントが引用されるたびに“監査の通貨”が増えるように振る舞ったとされる[7]。
京都市のデジタル広告関連企業が、架空の研究助成を受けて開発したとされる「反証広告連動モデル」では、有名人の投稿が伸びると同時に、アンチコメントの投稿も伸びる“連動曲線”が観測された。ある報告書では、投稿から最初の20分で否定率が約38.4%に達し、次の2時間で約61.2%に収束したとされる[8]。この数値は、分析者がコメント欄を“温度計”として扱ったことを示す例とされている。
もっとも、この指標化は反作用も生んだ。否定の“ゲーム性”が強調されると、監査の名を借りた模倣が増え、コメントが「上達する」どころか「儀礼化」したという批判も出た。結果として、アンチコメントが社会的な議論ではなく、可視化された対立の製造機構として扱われるようになったと説明されている[9]。
実態:誰が、何を、どう書くのか[編集]
有名人にアンチコメントをする人達は、必ずしも同じ動機で動いているとは限らない。調査に基づくと、動機は(1)事実確認型(誤りを指摘する目的)、(2)価値監査型(品位や態度を評価する目的)、(3)視聴者交換型(関心を集める目的)の3類型に大別されるとされる[10]。
文体の傾向としては、「“たしかに”から始める否定」が多いと報告されている。たとえば「たしかに好きな人はいると思う。でも私は…」という導入が、読者の防衛本能を遅らせるために有効だとされる。さらに、絵文字と改行の割合が“熱量の偽装”に使われ、改行が7回を超えると、相手が反論に回りやすいという仮説が語られることもある[11]。
また、やり方が儀礼化すると、アンチコメントは“検査票”のようになる。具体例として、名古屋市のある配信アーカイブで、アンチコメントが付いた時間帯にだけ「観測者バッジ」が付与されたとする逸話がある。このバッジが実在したかどうかは不明であるが、少なくとも視聴者の側が「採点されている」という体験を共有したことが、投稿の継続を後押ししたと考えられている[12]。
社会的影響[編集]
アンチコメントが増えると、著名人側は説明責任を強めるように促される場合がある。たとえば、投稿の前に「想定問答」を用意する練習が増え、“誤り探し”に耐える文章設計が一般化したとされる[13]。
一方で、否定が常態化すると、コメント欄が“同意の居場所”ではなく“疑義の通路”になる。その結果として、ファンの肯定的発言が目立ちにくくなり、世論形成が「否定が強い声ほど残る」方向に偏るという指摘がある[14]。この偏りは、批判を必要とする分野ほど顕著になるとされ、政治的発言や医療情報の扱いで特に問題化したと説明されている。
さらに、アンチコメントは経済活動にも接続した。広告主の中には、炎上リスクを下げる目的で「否定コメントの平均語数」を指標化した企業があったとされる。あるコンサルティング報告では、否定コメントの平均語数が12.6語から9.1語へ減ると、閲覧維持率が1.3倍になる可能性が示されたとされる[15]。ただし、この報告の前提条件は一部で誇張ではないかと疑われている。
批判と論争[編集]
批判は大きく二方向に分けられる。第一に、アンチコメントが個人攻撃や差別的表現へ滑り込む危険性がある点である。第二に、否定が“議論”ではなく“採点”として運用されると、相互理解が失われる点である。
特に論争になったのが、日本放送協会(NHK)の一部番組で「コメントは監査である」と扱った企画があったとされる点である。番組スタッフが「観測者が悪意で動く必要はない」と説明した一方で、視聴者からは「監査なら身分を明かせ」との声が上がったと報じられている[16]。
また、研究者側からは“誰でもアンチになれる”という見方が問題とされる。批判が正しいこともあるが、否定が注目のための技術に変わると、誤情報訂正よりも“反応の速さ”が優先されるようになるとされる。さらに要出典扱いのデータとして、ある市民団体が「アンチコメント投稿者のうち約2.7%が実名不使用の専業である」と主張した資料が出回ったことがある[17]。ただし、この数字には出典が明記されておらず、信頼性は十分に検証されていないとされる。
関連項目[編集]
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『公開苦情レビュー・プロトコルの設計史』港湾都市出版, 2012.
- ^ Margaret A. Thornton『The Economics of Negativity in Social Feeds』Cambridge Academic Press, 2018.
- ^ 佐藤光希『炎上の棚卸し:コメント監査の実務』中京書房, 2014.
- ^ 池田律子『可視化される言論:引用連鎖カウントの測定』情報通信学会誌, 第12巻第3号, pp. 44-69, 2016.
- ^ Thomas H. Nguyen『Ritualized Dissent and the Appearance of Scrutiny』Journal of Digital Public Studies, Vol. 7 No. 1, pp. 101-132, 2019.
- ^ 岡部真琴『SNS時代の批評文体:否定開始フレーズの効果』日本文章解析研究会, 第5巻第2号, pp. 13-37, 2020.
- ^ Elena Petrova『Public Moderation as Performance Metrics』Oxford Review of Online Behavior, Vol. 3 No. 4, pp. 250-276, 2021.
- ^ 【要出典】『NHKにおける監査語彙の採用に関する仮説報告』放送倫理研究資料, 第1号, pp. 1-9, 2017.
- ^ 山田昌平『視聴維持率と否定語数の相関』広告経営研究, 第9巻第1号, pp. 77-95, 2022.
- ^ ドミトリー・サメトフ『炎上の通貨化:反証の通貨設計』Kazan University Press, 2015.
外部リンク
- 炎上経済アーカイブ
- 監査ログ研究所
- 否定文体データベース
- 引用連鎖可視化ツール
- デジタル言論の測度研究室