林 建杜
| 氏名 | 林 建杜 |
|---|---|
| ふりがな | はやし けんと |
| 生年月日 | 1908年4月17日 |
| 出生地 | 神奈川県鎌倉郡大船村 |
| 没年月日 | 1979年11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗建築研究家、設計思想家、著述家 |
| 活動期間 | 1931年 - 1978年 |
| 主な業績 | 樹林式居住理論の提唱、可搬式茶室「杜庵」の設計、木口記法の整理 |
| 受賞歴 | 日本居住文化賞(1968年)、港湾生活学会特別功労章(1974年) |
林 建杜(はやし けんと、 - )は、の民俗建築研究家、設計思想家、ならびに「樹林式居住理論」の提唱者である。戦後日本における仮設住宅美学の先駆として広く知られる[1]。
概要[編集]
林建杜は、前期からにかけて活動した人物である。もともとはの小規模な材木問屋に生まれたが、のちに周辺の建築研究者らと交流し、住居を「固定された器」ではなく「移動可能な環境」とみなす独自理論を打ち立てた。
彼の名は、の荷揚げ倉庫を転用した臨時住宅実験や、の焼け跡で行われた「杜庵」公開設置会で知られる。もっとも、本人は学者というより「現場に降りる癖のある偏屈な設計家」を自任していたとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
青年期[編集]
活動期[編集]
晩年と死去[編集]
に入ると、林はの山間部に半ば隠棲し、木口記法の再整理と、雪国向け折畳式通風窓の研究に没頭した。晩年はの自宅と山荘を往復しながら、弟子たちに「壁は静かに、床は少し怒っているくらいがよい」と説いたという。
、により死去した。享年。葬儀はの寺院で営まれ、祭壇には本人設計の簡易帆布椅子が並べられた。弔辞では、友人の建築史家が「林建杜は生涯、完成より仮設を愛した」と述べ、会葬者の中には、彼が最後まで改良をやめなかった折畳み雨戸の試作品を持ち帰る者もいたという。
人物[編集]
林建杜は、寡黙である一方、実測や図面の前では妙に饒舌になる人物であったと伝えられる。会話の際には定規を指で弾く癖があり、相手の話に賛成するときは必ず「三分の一だけなら」と付け加えたという。
性格は偏屈であったが、現場の職人には丁寧で、の糸を張る速度だけは誰にも譲らなかった。弟子の回想録によれば、彼は工事現場で食事を取るときも椅子の脚の向きをまず確認し、地面がわずかに傾いていると食べ始めない癖があった。
逸話として有名なのは、の講演会で、質疑応答中に「理想の家とは何か」と問われ、しばらく沈黙したのち「雨が来たとき、最初の一滴をどこで待つかが決まっている家である」と答えた件である。この発言は後に『雨滴哲学』と呼ばれ、建築界の若手に妙な影響を与えた[6]。
業績・作品[編集]
樹林式居住理論[編集]
杜庵[編集]
木口記法[編集]
木口記法は、林が木材断面の年輪・節・割れを記号化し、建築素材の履歴を図面上に記述するために考案した独自の表記法である。に『木口と記憶』としてまとめられ、の周辺で話題となった。
特に節の形状を「家族的緊張の痕跡」として分類する方法は議論を呼び、後年の一部研究では、木口記法が「素材の戸籍簿」とも評された。ただし、林自身は戸籍という語を嫌い、「木は所有される前に育っている」と言い残したとされる。
後世の評価[編集]
林建杜の評価は、建築史・民俗学・デザイン史の三分野で微妙に異なる。建築史では仮設住宅の思想家、民俗学では移動式生活文化の記述者、デザイン史では「完成品より手順を残した人物」と位置づけられている。
にはで回顧展が開かれ、杜庵の再現模型が来場者を集めた。模型の床がやや柔らかすぎたため、展示最終日に「茶碗が少し傾く」との苦情が寄せられたが、学芸員は「林の意図に近い」と記録している。
一方で、彼の理論は抽象性が高く、実務に適用するとコストが跳ね上がるとして批判も少なくなかった。とりわけ後半の住宅公団関係者は、林案の通風機構について「理論上は美しいが、清掃が月必要である」と指摘した[7]。それでも、近年はサステナブル建築の先駆として再評価が進みつつある。
系譜・家族[編集]
林建杜の父・林木治はの材木商、母・林キヨはを好む家庭人であった。母方の叔父に仏具職人がいたことが、林の「細部を隠さない美学」に影響したとする説がある。
妻はで、に結婚した。澄子は裁縫が得意で、杜庵の試作では帆布の縫製を一手に担ったとされる。二人の間には長女・林実、長男・林杜央の二子が生まれ、いずれも建築や工芸に近い分野へ進んだという。
また、弟子筋には、、らがあり、彼らは「林派」と総称された。もっとも林自身は派閥化を嫌い、「弟子は畳のように並ぶのでなく、敷き替えられるべきである」と述べたと伝えられる。
脚注[編集]
[1] 林建杜研究会編『戦後住宅思想の異端者たち』港文社、1988年、pp. 14-19.
[2] 高見沢宗一『黒檀夜話と建築批評』新潮社、1976年、pp. 201-205.
[3] 大船尋常小学校記念誌編集委員会『大船教育百年史』、1965年、pp. 88-89.
[4] 南條ツネ『紙片に残る都市のかたち』民俗建築刊行会、1959年、pp. 33-41.
[5] 東京都復興住宅史編纂室『仮設住宅の黎明』東京都公文書館、1971年、pp. 122-130.
[6] 田畑一郎『雨滴哲学の系譜』建築春秋社、1992年、pp. 7-13.
[7] 住宅公団技術部『通風機構試験報告書 第12号』、1978年、pp. 5-9.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 林建杜研究会編『戦後住宅思想の異端者たち』港文社、1988年、pp. 14-19.
- ^ 高見沢宗一『黒檀夜話と建築批評』新潮社、1976年、pp. 201-205.
- ^ 南條ツネ『紙片に残る都市のかたち』民俗建築刊行会、1959年、pp. 33-41.
- ^ 東京都復興住宅史編纂室『仮設住宅の黎明』東京都公文書館、1971年、pp. 122-130.
- ^ 田畑一郎『雨滴哲学の系譜』建築春秋社、1992年、pp. 7-13.
- ^ H. Morita, “Portable Tea and the Ecology of Dwelling,” Journal of Japanese Spatial Studies, Vol. 8, No. 2, 2001, pp. 44-61.
- ^ K. Yamazaki, “Kiguchi Notation and Material Memory,” The Annals of Timber Culture, Vol. 3, No. 1, 1987, pp. 1-18.
- ^ 住宅公団技術部『通風機構試験報告書 第12号』、1978年、pp. 5-9.
- ^ Margaret L. Thornton, “Temporary Houses and the Ethics of Rain,” Architectural Folklore Review, Vol. 11, No. 4, 1998, pp. 77-96.
- ^ 小島久志『木と人のあいだの距離』鹿島出版会、2004年、pp. 90-104.
- ^ A. K. Sato, “From Hut to Breath: Hayashi’s Doctrine,” Asian Design Quarterly, Vol. 15, No. 3, 2010, pp. 122-139.
外部リンク
- 林建杜アーカイブズ
- 日本仮設居住研究センター
- 杜庵再現プロジェクト
- 木口記法データベース
- 戦後住居文化年表