水死体にもどらないで
| 作品名 | 水死体にもどらないで |
|---|---|
| 原題 | Do Not Return the Drowned Body |
| 画像 | File:Suishitai_modoranaide_poster.jpg |
| 画像サイズ | 250px |
| 監督 | 古関ヨシカツ |
| 脚本 | 古関ヨシカツ |
| 原作 | 古関ヨシカツ『潮の禁句』 |
| 製作 | 潮見映像(製作委員会:潮見・深海・第九スタジオ) |
| 配給 | 東浜配給 |
| 公開 | 1972年10月3日 |
| 上映時間 | 87分 |
『水死体にもどらないで』(すいしたにもどらないで)は、[[1972年の映画|1972年]]10月3日に公開された[[潮見映像]]制作の[[日本]]の[[アニメーション映画]]である。原作・脚本・監督は[[古関ヨシカツ]]。興行収入は7億4300万円で[1]、[[第20回海峡映画賞]]を受賞した[2]。
概要[編集]
『水死体にもどらないで』は、河口に存在する「戻り川」と呼ばれる旧水路を舞台とし、溺水事故の“後処理”をめぐって禁句が伝播していく過程を描いた、退行的な怪談アニメーション映画である。
公開当時は、新聞の映画評欄で「一見すると児童向けの教訓譚だが、終盤で観客の常識が溶ける」と評され、結果として劇場の入替制上映ではなく“夜間固定枠”で異例の長期上映が実施されたとされる。監督の古関ヨシカツは、取材のたびに「言葉には帰巣本能がある」と述べたとされ、作中に登場する手順書のようなテロップ演出が話題になった[3]。
本作は、超常現象を説明するための科学用語風のナレーションを多用した点でも知られる。特に、死体搬送の際に使われるとされる「逆流抑制リール(R-12)」は、設定上は架空でも、当時の技術雑誌に似た体裁で紹介され、のちに都市伝説側の“実在部品”として一人歩きした[4]。
あらすじ[編集]
物語は、の架空ではない自治体に隣接するの河口から始まる。ある春、海霧の夜に若い漁師が転落し、遺体は発見されたが、その翌朝には“発見場所から数十メートル上流”へ戻っているように見えた。
主人公のは、遺体安置所で配布される薄い冊子「潮の禁句」を手にする。冊子には、遺体へ向けて「戻れ」と言わないこと、さらに運搬台車を動かす前に「へそ上の体温計を三回、逆向きに振れ」といった奇妙な手順が、番号付きで細かく記されていた[5]。
やがて、戻り川の存在が“語り返し”によって強まるという理屈が示される。町の人々は事故のたびに禁句を封印しようとするが、噂はラジオ放送のジングルへ混入し、学校の合唱練習の歌詞にも忍び込む。田代は禁句を守るほどに戻り川が静まる一方で、守りの言葉が“別の誰かの記憶を起動する”ことに気づいていく。
終盤、田代は遺体が戻ってしまった原因が「言葉を回収しようとする行為」そのものにあったと推定する。そこで彼は、戻り川へ向かって禁句を破るのではなく、禁句を“意味から切り離す”ための儀式(無音のカウント:1〜30を息だけで数える)を行う。結果として遺体は元の位置に固定されるが、その代償として町から「誰が誰だったか」の呼び名が少しずつ抜け落ちていく、という余韻の強い結末が提示される。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
は、河口の町で文具店を営む青年である。禁句を“守る”ことよりも、禁句が“働く仕組み”を解剖したいという動機が強いとされる。
は、事故記録係の名目で遺体安置所の裏口に出入りする女性である。台車のハンドルに付く指紋のような模様を観察しており、R-12の架空部品図面を持ち歩くことで知られる。
は、町の広報課から派遣された臨時職員である。彼は“正しい言い回し”の統制に執着し、禁止用語のリストを増殖させることで戻り川を呼び込んだとされる。
その他[編集]
は、出入りする海鳥の数を数えることで季節の嘘を見抜く老婆として描かれる。劇中で「濡れた耳は秘密を覚える」と言い残し、観客の解釈を分岐させる役割を担う。
はセリフの少ない存在として扱われ、終盤では同じ声が“別の時間帯”から聞こえる演出がなされる。なお、この係が誰かについては公式パンフが触れていない[6]。
は、禁句の元になったとされる紙片を田代に渡すが、渡す瞬間に紙が三度だけ鳴る(紙鳴り)ことで正体がぼやける。
声の出演またはキャスト[編集]
声の出演は、当時の深夜ラジオ番組に出演していた声優陣が多く起用されたとされる。公式に近い情報として、役は、役は、役はが担当したとされる[7]。
また、戻り川の“水音”を演じたキャストとしてがクレジットされており、彼は実際に海辺で採取した環境音の切り貼りを行ったと説明された。テレビ放送版では、音圧の調整が後から変更され、視聴者の一部が「水音が別の言葉に聞こえる」と苦情を出したという逸話が残っている[8]。
特別出演として、館内アナウンス係の声がの元職員の音声を加工したものだとする誤解も広がったが、制作側は「現場の“間”を採った」とだけ説明したとされる。
スタッフ[編集]
映像制作[編集]
映像制作はが中心となって行われ、背景美術はの実景調査を基に再現されたとされる。監督の古関ヨシカツは、背景の色調を“潮の引き”のタイムテーブルに同期させる提案を行ったと述べられている。
特殊技術としては、紙芝居的な反復をアニメーションに落とし込むためのフレーム折返し処理が採用された。制作資料では、同一カットが平均で18.4回複製され、そのうち7回だけ縮尺がわずかに変えられていると記録されている[9]。
製作委員会/製作過程[編集]
製作は潮見映像の製作委員会方式で進行し、委員会の構成には架空気味な名称の企業が含まれていたとされる。具体的には、潮見・深海・第九スタジオのほか、社名に“塩”を冠する流通会社が関与したと噂された。
美術の面では、禁句の冊子が毎回微妙にページ構成を変える仕掛けになっていた。監督は「同じ内容を見ているのに、目が覚えてしまう」と語り、編集ではページめくりの間に0.7秒の無音を挿入したとされる[10]。
音楽は、打楽器中心のミニマル構成であり、主題歌では“水死体”という語が直接には出てこないように配慮された。とはいえ観客の間では、サビのメロディが禁止語を連想させると評された。
製作[編集]
企画段階では、古関ヨシカツが「戻ることが罪なら、言うことは誰の罪か」という問いから着想を得たと説明される。彼は、海難事故の報道で“遺体は発見当初から変わらない”という説明が繰り返される構造に着目したとされる。
また、当初案では本作は実写の予定だったが、撮影の安全面からアニメーションへ変更されたという説がある。一方で別の資料では、「実写では水が“嘘の材料”になりやすい」ため、手描きのほうが制御できるとされている。どちらも制作関係者の記録として流通しているが、矛盾している点が指摘されている[11]。
美術では、禁句の冊子表紙にだけ見える“目盛り線”が再現の鍵となり、スタッフは表紙の目盛り間隔を0.83センチメートル単位で管理したとする。なお、興行の直前に一部ポスターだけ目盛り線がズレて配布され、回収騒ぎになったという伝聞もある[12]。
音楽面では、主題歌の歌詞を完成させるために“ラジオの天気予報”の語尾だけを採取したという逸話がある。歌手は「言葉が戻る感じがした」と語ったとされ、これがのちの批評で“言語恐怖映画”と呼ばれる遠因になった。
興行[編集]
本作はにより全国一斉ではなく、潮の満ち引きが大きい地域を優先して段階的に公開されたとされる。公開劇場の決定には、事前の行列データよりも「夜間の館内騒音の平均周波数」が重視されたと、当時の配給担当者が述べたとされる[13]。
宣伝では、劇場入口に“戻り川”を模した水槽模型が置かれた。水槽は一見透明だが、見る角度によっては濁って見えるよう調整されており、パンフでは「写真に写らないほうが正しい」と注意書きがついたという。
初動成績としては、公開初週の興行収入が約2億1千万円に達したとされるが、これは“第1回深夜固定枠”の延長が奏功した結果だと説明された。なお、舞台挨拶のためにで一度だけ行われたリバイバル上映では、来場者が水音のシーンで拍手をしそうになることが観察され、スタッフが急遽アナウンスを差し替えたとされる[14]。
ホームメディア化では、DVDの色調問題が発生し、禁句の冊子の文字が薄くなる不具合が複数報告された。制作側はソフトの再編集版を配布し、回収数は「全国で約4万枚」とされるが、数字の根拠は明確でないとも指摘されている。
反響[編集]
批評では、奇妙な手順書テロップが“学習教材のように恐ろしい”と評価される一方で、意味不明な呪術のような説明が多い点が批判された。特に、戻り川の説明に登場する「逆流抑制リール(R-12)」は物理学としては成立しないとされ、読者の推測が先行した[15]。
受賞としては、前述のに加えて、脚本賞相当部門でのノミネートも記録されているとされる。売上記録としては、興行収入7億4300万円のうち、夜間固定枠の比率が64.2%だったとする報告もあるが、これは社内資料の抜粋に基づくとされ、のちに“推定値”だと訂正された[16]。
また、観客の間では“観賞後に水を飲みたくなくなる”という反応が広がり、劇場の売店では水が売れないという現象が起きたとされる。劇場が水の代替として温かい茶を置いたことで、結果的に売上の落差が“逆に宣伝になる”という皮肉な循環が生じた。
テレビ放送[編集]
テレビ放送では、系の深夜枠で放送されたとされるが、原音の水音部分が“聴覚刺激の可能性”として審議対象になったという噂がある。放送前の編集では、禁句冊子の文字の一部がモザイク処理されたとされる。
視聴率については諸説があり、ある資料では8.6%を記録したとされる一方で、別資料では7.9%だったとされる。制作局の会議記録では「%よりも、同時刻の視聴離脱が少なかった」と述べられており、数字の確定に手がかりが乏しいとされる[17]。
また、放送時に流れた字幕が誤って一箇所だけ反転していたとの指摘があり、視聴者がそれを“最後のメッセージ”と解釈して投稿する流れが起きた。
関連商品[編集]
関連商品としては、映画の“禁句冊子”を再現したノート型グッズが存在するとされる。販売当初は実用文具として売られたが、購入者の間で「書くと戻る」という迷信が生まれ、返品が増えたとされる。
また、サウンドトラック盤では、主題歌のフルサイズと、作中の無音カウント曲(トラック名:『呼吸の目盛り』)が収録されたとされる。映画ソフト化の際には、DVDの色調問題を補う目的で“背景美術の再構成”が行われたと説明され、特典として制作資料の一部が封入されたとされる。
派生作品として、同じ禁句世界観の短編アニメ『戻れないボタン』が制作され、雑誌掲載企画の一環として出されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 古関ヨシカツ「潮の禁句の編集方針:無音カウントの設計」『海峡映像技法研究』第3巻第1号, 海峡出版, 1972, pp.12-29.
- ^ 東浜配給 編『水死体にもどらないで 公開記録集』東浜配給, 1973, pp.45-61.
- ^ 杉波ミナト「声が戻る瞬間:館内アナウンス係の定位」『日本放送声演研究』Vol.8, 日本放送出版社, 1974, pp.77-88.
- ^ 桐生リツ「ミニマル打楽器と恐怖の間」『映画音響年報』第11巻第2号, 音響学会, 1973, pp.101-119.
- ^ 小笠原ユウト「紙鳴りの演技記録:0.7秒無音の再現」『アニメーション演出の実務』第5巻第4号, 第九スタジオ出版, 1975, pp.33-49.
- ^ 潮見映像製作委員会「制作費内訳(暫定):背景色管理とフレーム折返し」『月刊アニメ史料』第20巻, 月刊書房, 1972, pp.5-18.
- ^ R. M. Caldwell「Language as a Returning Mechanism in Japanese Folklore Films」『Journal of Uncanny Cinema』Vol.2 No.3, 1976, pp.201-219.
- ^ 佐藤寛之「夜間固定枠が興行を変える要因」『交通と映画の交差研究』第1巻第1号, 東北学術図書, 1974, pp.10-26.
- ^ 宮崎監督による解題「古関ヨシカツ『水死体にもどらないで』の読み筋」『宮崎講義ノート 映画と言葉』第7巻, 霧丘書房, 1981, pp.1-40.
- ^ K. Tanaka「Color-Tone Problems in Early Home Video Releases」『International Review of Color Restoration』第9巻第2号, Lantern Press, 1990, pp.55-70.
外部リンク
- 潮端港フィルムアーカイブ
- 海峡映画賞公式リソース
- 第九スタジオ資料閲覧室
- 東浜配給クラシックス
- 日本放送声演研究データベース