油揚げの踊り食い
| 名称 | 油揚げの踊り食い |
|---|---|
| 別名 | 踊り揚げ、揚げ豆腐活け造り |
| 起源 | 19世紀末の寺社精進料理説 |
| 主な伝承地 | 新潟県中越地方、京都府洛西、石川県能登南部 |
| 主材料 | 油揚げ、湯、醤油、山椒 |
| 成立年 | 1898年ごろ |
| 代表的儀礼 | 三回返し、袖口拭い、初跳ねの確認 |
| 保護団体 | 全国油揚げ踊食保存協会 |
| 文化財指定 | 未指定 |
油揚げの踊り食い(あぶらあげのおどりぐい)は、揚げた加工品を卓上で温めながら、内部の油膜が収縮して起こす微細な跳ね返りを「踊り」と見立てて食す日本の食習俗である。特に中越地方との一部で発達したとされ、後期には一種の郷土芸能として紹介された[1]。
概要[編集]
油揚げの踊り食いは、油揚げを熱い汁や蒸気の上でわずかに震わせ、その動きを見届けてから食するの食習俗である。単なる食べ方ではなく、作法・所作・合図を含む小規模な民俗芸能として扱われることが多い[2]。
起源については、末期にの門徒集落で、法要の精進料理が冷めないよう試したのが始まりとする説が有力である。ただし、後年の聞き取りでは「豆腐屋が余りものの油揚げを子どもに見せて遊ばせた」という話もあり、学界では両説が併存している[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
最古の記録はに近郊の末寺で記されたとされる覚書であり、「揚げの身、湯気にて三たび鳴る」とある。ここでいう「鳴る」は、油膜が高温で弾ける微かな音を指すと解されているが、文脈上は法要における読経の節回しを示す可能性もある。
にはの料理見本市で、精進料理研究家のが「踊り揚げ」として再現展示を行った。来場者は1日平均で、うち約3割が「食べる前に見物するだけで満足した」と記録されている。
普及と変容[編集]
10年代に入ると、の前身番組で地域食として短く紹介され、ここで初めて「踊り食い」の表現が確認できるとされる。戦時下では油の配給統制により沈滞したが、代用として車麩を用いる「麩揚げの踊り食い」が一部地域で生まれた[4]。
にはの旅館組合が観光客向けに「舞い揚げ膳」を考案し、年間を提供した。もっとも、提供数の多くは団体客用の演出付き定食であり、実際に踊っていたのは油揚げではなく配膳係であったという証言がある。
現代の再評価[編集]
以降は、料理番組や地域振興イベントで「音と湯気を楽しむ食文化」として再評価された。のある料亭では、客が箸を入れる前に油揚げを三度返す作法が復元され、には週末限定で予約待ちが最長に達したという。
一方で、保存団体の内部では、温度管理を厳格化した「静止型」と、あくまで跳ねを重視する「動態型」が対立している。両派はの総会で同席したが、議論は2時間17分に及び、最終的には「揚げの機嫌を損ねない範囲で自由」とする曖昧な決議に落ち着いた。
作法[編集]
油揚げの踊り食いには、地域差はあるものの共通する所作がある。第一に、油揚げを器に盛ったのち、の湯または薄い出汁を注ぎ、表面の油膜が小さく波打つまで待つ。第二に、客は箸先で端を軽く支え、最初の跳ねを「初跳ね」と呼んで確認する。
第三に、食す際には「三回返し」といって、片面ずつ計三度向きを変える。これは熱の均一化のためとされるが、保存会の説明では「舞台上の踊りが左右で終わるのを待つ所作」でもあるという。なお、の一部では、箸置きに白い布を敷くと格が上がるとされ、婚礼や地鎮祭でのみ許される家もある[5]。
社会的影響[編集]
油揚げの踊り食いは、戦後の食糧事情の中で「安価な豆製品に儀礼性を与えた」例として文化人類学者に注目された。のは、これを「貧しさを見えなくする高度な演出ではなく、むしろ貧しさを正面から祝う技法」と評している[6]。
また、地域振興の文脈では、駅弁・物産展・温泉旅館の三者が連携しやすい題材として重宝された。特に系の土産物キャンペーンでは、売上が前年同期比増となった年があり、広報担当者は「豆腐より先に企画会議が踊った」と述べたとされる。
他方で、若年層には「映えるが地味に熱い」として敬遠される面もある。SNS上では、湯気越しに撮影した写真が一見地味であるにもかかわらず、説明文だけが妙に長くなる現象が観察され、これを編集者のあいだで「油揚げ長文化」と呼ぶ向きがある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、踊りの解釈が過剰であるという点にある。民俗学者の一部は「本来は単なる温め方であり、芸能化は後代の観光的再構成にすぎない」とする。また、油揚げが跳ねる様子を「生命感」と表現する保存会の説明については、食材擬人化が行き過ぎているとの指摘もある。
さらに、に内の学校給食研究会が試験導入を検討した際、「児童が踊る前に食べてしまう」「熱さに対する危険認識を誤る」として見送られた。もっとも、反対意見の資料には、試食会で1名が「本当に小さく踊っていた」と記しており、要出典とされながらも長く引用され続けている[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三宅静子『踊り揚げ試作録』京都食文化研究所, 1908.
- ^ 桑原理一『豆製品儀礼論』東京大学出版会, 1964.
- ^ 佐伯弘一「中越門徒集落における揚げ物の反復所作」『民俗学雑誌』Vol. 38, No. 2, pp. 114-129, 1972.
- ^ Margaret L. Henson, “Performative Frying and Rural Identity in Postwar Japan,” Journal of East Asian Foodways, Vol. 11, No. 4, pp. 201-228, 1989.
- ^ 山崎清二『油揚げ文化史ノート』新潮社, 1991.
- ^ 小田切奈々『温度と所作のあいだ』日本料理学会叢書, 第4巻第1号, pp. 33-61, 2003.
- ^ 田村重雄「踊り食いの語義変遷に関する一考察」『食文化史研究』第17巻第3号, pp. 7-22, 2009.
- ^ Eleanor V. Pritchard, “Steam, Oil, and Ceremony: An Ethnography of Tofu Skins,” The Pacific Review of Anthropology, Vol. 22, No. 1, pp. 55-80, 2015.
- ^ 全国油揚げ踊食保存協会編『三回返しの手引き』同協会出版部, 2018.
- ^ 渡辺一馬『舞う油、鳴る豆』北國書房, 2020.
- ^ 北沢明子「学校給食における跳ね表現の安全基準」『教育食学年報』第6巻第2号, pp. 88-97, 2021.
外部リンク
- 全国油揚げ踊食保存協会
- 中越食文化アーカイブ
- 京都精進料理資料館
- 舞い揚げ膳研究会
- 豆製品民俗事典