瀬戸 祐介
| 氏名 | 瀬戸 祐介 |
|---|---|
| ふりがな | せと ゆうすけ |
| 生年月日 | |
| 出生地 | 愛知県西尾市 |
| 没年月日 | |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗音声学者・即興語り術研究家 |
| 活動期間 | - |
| 主な業績 | 『反復律の方言地図』の編纂、即興語りの公開実験 |
| 受賞歴 | 文化庁特別賞()、慶應義塾学術奨励賞() |
瀬戸 祐介(せと ゆうすけ、 - )は、日本の民俗音声学者。即興語り術の大家として広く知られる[1]。
概要[編集]
瀬戸 祐介は、日本の民俗音声学者である。方言のリズムを「言葉の骨格」とみなし、聞き手の身体反応(拍手頻度、呼吸の律動、目の瞬き)まで含めて採取する研究で知られた[1]。
彼の名が一躍広まったのは、大阪府の工場街で行われた「同音反復テスト」である。作業員が毎分何回“うなずき”を行うかを、語尾の上がり方と結び付けて記録した結果、翌年には全国紙が「方言は産業にも効く」と論じたとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
瀬戸は愛知県西尾市で、天保期から続く廻船宿の帳場係の家に生まれたとされる。父の名は家の古記録に「祐」とだけ記されており、本人も幼少期の数年間は名の読みを二通りにしていたという逸話が残る[3]。
彼は、12歳のときに村の祭礼で口上係を任され、そこで「同じ言い回しでも、息継ぎの位置が変わると人が別の行動をする」ことに気づいたとされる。具体的には、息継ぎを2拍遅らせると露店の売上が“平均12.4%”伸びたと後年に述べているが、当時の帳簿にはその数字が見当たらないとも指摘される[4]。
青年期[編集]
瀬戸は、名古屋市の洋学塾に通い、音叉と記録用の煤紙(ばいし)を用いた実験を始めた。彼が学んだのは主に音響工学というより、方言の聞き分けを「測定可能な技術」として扱う姿勢であった[5]。
特にに師事したと伝わるは、江戸の芝居小屋で使われていた間(ま)の取り方を「学問の対象にする」べきだと説いた人物として語られている。瀬戸は清水から、語りの前に“沈黙を13秒置く”ことを徹底されたという[6]。ただし、同時代の回想では沈黙が「11秒」とも「15秒」とも書かれており、ここが後の研究者の笑いの種になったとされる。
活動期[編集]
瀬戸の活動期はの「反復律研究会」設立に始まるとされる。彼は全国の方言を、アクセントではなく“反復の癖”で分類しようとした。研究の手法は、語り手の発話に含まれる同一音節の再出現回数を“1分あたり何回”で整理するというもので、当初は荒唐無稽と受け止められた[7]。
また、彼はに東京府の郊外で公開実験を行い、参加者の反応を「拍手(A)」「応答(R)」「退出(E)」に分けて統計化した。記録では、語尾の上がり幅が0.8度のときAが“67.2%”、1.3度で“54.9%”に落ち、退出(E)が増えるという結果になった[8]。しかし、当時の測定機器の精度を考えると不自然ではないかという批判も早くから出たとされる。
人物[編集]
瀬戸は、温厚で知られつつも、実験の場では異様に細かい注文が多かったとされる。彼は語りの直前に参加者へ「飲み物は一口目を“必ず右奥歯”で噛み、音を出さないこと」を求めたという。これは当時の医学的根拠が乏しい一方で、彼の周辺では“儀式の一部”として受け止められた[11]。
また、彼は人の言葉を“正しさ”ではなく“再現性”で評価する癖があった。たとえば、同じ文章を明日もう一度同じ速度で語れるかを「才能」と呼び、できない人でも“再現不能の美しさ”があれば学術的価値があると述べたとされる[12]。その一方で、雑誌の取材で一度だけ、記録用に渡されたメモ帳の角を“3回”なでないまま撮影されたことに激怒し、以後その出版社の取材を断ったという逸話が残る[13]。
業績・作品[編集]
瀬戸の代表作とされる『反復律の方言地図』は、の語りを収集し、同一音節の再出現パターンを座標化した資料である[14]。彼は地図を紙に描くのではなく、方言の“反復指数”を色分けして、聴覚的に再体験できるよう工夫したと述べた。
次いで『沈黙十三秒の法則』()では、語りの前後に置く無音区間を固定化しようとした。ここでの十三秒は、後の研究者によって「実験条件が変わると変動する」と批判されたが、瀬戸自身は「変動しても、十三秒を探す行為が方法である」と応じたとされる[15]。
さらに彼は、ラジオ向け台本の制作にも関与し、『夜更け反復ラジオ講座』(1941年)では、1回の放送あたり反復パターンを“13種類”だけ許容するという統制を行った。放送後に聴取者から「余白が足りない」と投書が殺到したため、のちの改訂版では“14種類”へ増やされたとされるが、増やした理由が「猫が邪魔をしたから」と書かれていたという(編集部の談)[16]。
後世の評価[編集]
瀬戸は学術界では賛否両論で評価されてきた。肯定的な研究者は、彼が言語を音響工学へ接続しようとした点を重視し、民俗音声学の基礎を築いたと述べる[17]。
一方で批判的な研究者は、彼の数値記録がしばしば検証不能であることを問題にした。とくにの東大阪実験の“拍手率”に関して、会場の規模や測定条件の記録が欠落しているという指摘がある[18]。ただし、ここは「欠落しているからこそ、逆に追試の価値が生まれる」と評価する声もあり、最近ではフィールドワーク研究の「誠実さの教材」として引用されることがある[19]。
なお、一般には“方言の語尾が気分を決める”という俗説が広まり、その元ネタとして瀬戸の理論が持ち出されることがある。ただし瀬戸は、生前「気分を決めるのは反復ではなく、聞き手が反復に見いだす意味である」と書き残したともされる[20]。
系譜・家族[編集]
瀬戸の家系は姓の帳場文化と結び付けて語られることが多い。彼の妻は大阪市の印刷工房出身の(旧姓不明)とされるが、当時の戸籍が戦災で失われたため、名前の空白部分が多いという[21]。
彼らの間には長男の(1919年生)と長女の(生)がいたとされる。洋一郎は研究を継がず、京都市で人形劇の台詞回しを教えたと記録されるが、瀬戸が残したノートの一部から、台詞回しが反復律の研究を下敷きにしている可能性が指摘されている[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 瀬戸祐介『反復律の方言地図』反復社, 1937年.
- ^ 清水稜一『芝居の間と測定可能性』春陽堂, 1912年.
- ^ 山川暁人『民俗音声学の成立条件:沈黙十三秒からの出発』筑波書房, 1956年.
- ^ Martha A. Kline『Repetition Index in Folk Speech』Cambridge Verbal Studies, Vol. 4, No. 2, 1961.
- ^ 井上真理子『方言研究における身体反応の記録法』音声科学叢書, 第3巻第1号, 1964年.
- ^ 田村和則『東大阪実験の再検討:拍手率は再現できるか』日本言語実験学会誌, 第18巻第3号, 1970年.
- ^ 佐伯礼子『ラジオ台本統制の美学と反復律』放送文化研究所, 1951年.
- ^ 『文化庁特別賞受賞者名簿(試験運用版)』文化庁, 1954年.
- ^ 慶應義塾『学術奨励賞選考録:瀬戸祐介の位置づけ』慶應出版, 1962年.
- ^ Elias Roth『Silence as Data: A Field Guide』Oxford Acoustics Press, pp. 210-221, 1978.
外部リンク
- 反復律アーカイブ
- 沈黙十三秒研究会
- 方言地図・リスナー協会
- 東大阪同音反復資料室
- 民俗音声学サミット報告サイト