熊本高校放送部
| 正式名称 | 熊本高校放送部 |
|---|---|
| 略称 | KHB |
| 設立 | 1958年頃 |
| 本拠地 | 熊本県熊本市 |
| 活動内容 | アナウンス、朗読、番組制作、校内電波管理 |
| 主要施設 | 旧放送室、音声調整卓、地下試験室 |
| 関係組織 | 熊本県高等学校放送連盟、九州学生電波協議会 |
| 通称 | 青いマイクの部 |
| 特色 | 無音区間の美学と定時チャイムの精密さ |
熊本高校放送部(くまもとこうこうほうそうぶ)は、の県立高等学校における放送活動を統括するとされる部活動であり、特にとの運用で知られている[1]。その起源はにの旧校舎地下で行われた録音実験にさかのぼるとされ、のちにの放送文化に独自の影響を与えたといわれる[2]。
概要[編集]
熊本高校放送部は、内でもっとも古い部活動の一つとして扱われることが多く、系のアナウンス技法と、独自に発達した「低音抑制読み」を併用する点に特徴がある[3]。部員は毎年おおむね12人から18人で推移しているが、前には臨時協力員が増え、最大で31人規模になった記録が残るとされる。
この部の特殊性は、単なる校内放送にとどまらず、1960年代初頭から方面の気象情報を暗号化して伝える「霧報システム」を運用したとされる点にある。なお、この仕組みは後年、地元の農家や内の商店街にも影響を与えたとされるが、当時の記録の一部は放送機材の熱で焼損したため、詳細は不明である[4]。
歴史[編集]
創設期[編集]
創設は、当時の理科教諭・が、校内の集会連絡を効率化する目的で真空管式増幅器を持ち込んだことに始まるとされる。最初の放送は、昼休みに流された「本日は食パンの配給に遅れがありません」という連絡だったというが、この表現があまりに軍隊的であったため、校内で一時的な静寂が生じたと伝えられる[5]。
には、部員のが録音した雨音を逆再生し、校庭の雑音を消す実験を行った。これが後の「逆位相朗読法」の原型になったとされ、九州の放送研究会では長く模倣の対象になったという。ただし、この技法が実際に効果を持ったのかは、現在も意見が分かれている。
発展期[編集]
、熊本高校放送部はの協力を得て、校内イベント専用の移動型送信機「K-74」を導入した。出力は公称0.7ワットであったが、校舎の構造上、沿いの一部商店まで内容が聞こえたため、事実上の地域放送局として扱われた。
また、のでは、台風接近に伴う競技中止を伝える特別放送が異様に感情豊かな抑揚で行われ、当日参加していた保護者が数名泣いたとされる。この放送録音は後に「熊本語りの黄金音源」と呼ばれ、県内の朗読部門の審査基準に影響を与えた[6]。
現代[編集]
以降はデジタル化が進み、部内では世代と世代の対立がしばしば語られる。特にに導入された自動ミキサーは、発言者の息継ぎを検出して無音を補う機能を備えていたが、部員の一人が「人間味が消える」と主張し、敢えて手動フェーダーに戻したため、現在でも古い機材が一部残る。
には、部室の壁から未整理のカセットテープ23本が見つかり、その中に「防災訓練用・訛り強化版」「遅刻者呼出し専用・三拍子仕様」などの異様なラベルが付いた音源が含まれていた。これらは保存委員会により整理されたが、1本だけ再生すると校歌ではなく鳥の鳴き声が流れるものがあり、現在も用途が判明していない[7]。
活動内容[編集]
活動の中心は、、、番組制作、そして定時放送の運用である。特に昼休みの放送では、原稿の句読点ごとに0.3秒の間を置く「熊本式ポーズ」が重視され、これにより聞き手が内容を理解する前に心構えを整えられるとされる。
また、番組制作ではや、などの地名を必ず一度は差し込む慣習があり、県外審査員からは「地理への愛着が強い」と評された。なお、部員は毎年、雨の日に限って玄関で天気予報を自作し、実際の降水確率と3%以内で一致させることを目標にしているが、この記録は担当顧問しか検証していない[8]。
組織と人員[編集]
部の運営は、部長、番組長、アナウンス長、機材長の4役を軸に行われる。歴代の部長は原則として「声の低い順」に選ばれたという伝承があるが、以降は実際には立候補制が導入されている。
特筆すべき人物としては、機材整備を20年以上担当したではなく同姓同名の別人である、および「語尾の落ち方が美しい」と評されたがいる。永田はの県大会で、朗読終了直後にマイクが故障したため、残響のみで最優秀を取ったとされ、部内では今も「無音勝利」と呼ばれている[9]。
文化的影響[編集]
熊本高校放送部の影響は、学校内にとどまらず、の高校放送文化全体に広がったとされる。特に、声を張り上げるのではなく「空気の密度で聞かせる」表現は、後にやの一部高校に継承された。
一方で、部が推進した「無音の間」を尊ぶ姿勢は、商店街のアナウンスにも波及し、の一部店舗では閉店時の挨拶が通常より8秒長くなったという指摘がある。また、地元ラジオの新人研修では、かつてこの部の顧問が書いたとされる『沈黙の1.2秒が街を救う』が半ば教本として扱われたというが、出典は確認されていない[10]。
批判と論争[編集]
熊本高校放送部に対する批判として最も多いのは、機材へのこだわりが過剰であるという点である。特にの新歓放送で、校内のスピーカーをすべて同一メーカーに統一するために一週間の予算が使われ、購買担当の教員がしばらく無言になったと伝えられる。
また、部の一部では「原稿は必ず県産の和紙に印刷すべき」とする古い慣習が残っており、デジタル原稿を認めるべきだという改革派との対立があった。これによりには部内会議が3時間14分に及び、最終的に「紙とUSBは併用する」という非常に曖昧な妥協案で決着した[11]。
受賞歴[編集]
部としての受賞歴は、県大会アナウンス部門優秀賞、朗読部門奨励賞、特別企画部門最長原稿賞など、多岐にわたるとされる。の「白川増水特別番組」は、実際には放送時間の半分が天気予報の朗読であったにもかかわらず、構成の自然さが評価され、審査員特別賞を受けた。
には、3分42秒の校歌紹介番組『校歌は川のように流れて』がで話題になった。なお、この番組は校歌の解説よりも、伴奏の前に入る2秒の息継ぎを8人で分析した点が高く評価されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺辰夫『校内電波の倫理と実践』熊本教育出版, 1963年.
- ^ 坂口ミドリ「逆位相朗読法の初期事例」『九州放送研究』Vol. 8, 第2号, pp. 14-29, 1972年.
- ^ 田中芳樹(機材係)『フェーダーは語る』白川書房, 1988年.
- ^ Marie H. Elwood, "Silence Calibration in Japanese School Broadcasting," Journal of Audio Pedagogy, Vol. 12, No. 4, pp. 201-219, 1991.
- ^ 熊本県高等学校放送連盟編『県大会記録集 1958-2005』県連資料室, 2006年.
- ^ 永田ルミ「無音勝利の美学」『朗読と間』第4巻第1号, pp. 3-11, 2001年.
- ^ 佐藤一郎『地方都市における校内放送文化』港北社, 2014年.
- ^ H. T. Wainwright, "Broadcast Clubs and Civic Weather Lore in Kyushu," East Asia Media Review, Vol. 19, No. 1, pp. 77-95, 2016.
- ^ 熊本高校放送部記念誌編集委員会『青いマイクの部 50年史』校内資料室, 2009年.
- ^ 『沈黙の1.2秒が街を救う』熊本中央メディア研究会, 1998年.
外部リンク
- 熊本高校放送部OB会アーカイブ
- 九州校内放送資料館
- 熊本県高等学校放送連盟 研究ノート集
- 白川音声保存センター
- 青いマイク史料室