白神にかほ
| 領域 | 地域史・民族誌・学習資料管理 |
|---|---|
| 主要拠点 | 秋田県周辺(白神山地連携) |
| 発足地 | 愛知県豊田市山間部 |
| 移住先 | 北海道音更町 |
| 設立母体(通称) | 白神学習連絡会(通称:白連) |
| 運用理念 | “聞き取りの保存は、地図の保存と同等である” |
| 関連制度 | 地域アーカイブ認証(白神式) |
| 主な成果物 | 方言音声台帳、採集メモ、照合索引 |
白神にかほ(しらかみ にかほ)は、秋田県の“白神山地”を核に据えたとされる地域学習用アーカイブ兼研究枠組みである。発足当初は愛知県の山間部で試行され、のちに北海道へ移転した経緯があるとされる[1]。
概要[編集]
白神にかほは、民族に関する調査記録を教育現場でも参照できる形に整えるための“枠組み”とされている。とくにの周縁を「音(おと)」と「場所(ばしょ)」の結節点として扱う点が特徴とされる[1]。
成立の経緯は、民間の学習運動から始まったと語られることが多い。当初は学校の副読本づくりを目的に、山間で集めた話を一定の体裁で残すための手順書が試作されたとされる。のちに記録の量が想定を超え、音声の“再現性”を管理する仕組みが追加されたことで、単なる資料集から研究枠へ拡張したと説明される[2]。
また、北海道音更町へ移ると、運用がいわゆる「北方の語り」中心に傾いたとされる。その結果、秋田県側に戻ったのちも、音更由来の索引方式が残り、白神山地の地域学習に転用されたという。なお、名称に「にかほ」が含まれる理由については、郷土史家の間で複数の説が併存している[3]。
定義と選定基準[編集]
白神にかほで“対象”とされるのは、(1) 地域で繰り返し語られる生活史、(2) 身振り・歌・口承のうち、採集時の前提条件まで記録されているもの、(3) その記録が複数世代で矛盾なく再参照できること、の3条件を満たすとされる[4]。
当初の試作段階では、対象を「印刷で再利用できるもの」に限定していた。しかし音声採集が増えたため、収録データを文字化する際の“変換率”まで管理するようになった。たとえば、語彙の変換率をまで記録する運用が導入されたとされ、現場の混乱を抑えるために“変換係数札”が配布されたとも伝えられている[5]。
さらに選定基準の運用を統一するため、白神式認証では「採集者の沈黙時間」も評価指標に含めたとされる。採集中の沈黙が長すぎると語りが途切れる一方、短すぎると聞き手主導になるため、沈黙時間の中央値が一定範囲に収まっている記録を上位カテゴリに置く、という考え方である[6]。この基準は科学的妥当性をめぐって後述の論争を呼んだ。
歴史[編集]
発端:豊田市山間部での“学習副読本”実験[編集]
白神にかほの発端は、愛知県豊田市の山間部における、学校図書担当の有志による副読本プロジェクトに求められるとされる。記録担当の渡辺精一郎(わたなべ せいいちろう、当時生まれ)によれば、雨季に口承が途切れがちであることが観察され、そこで「語りを失う時間を最小化する」ため、採集日を7日周期に固定したという[7]。
7日周期の“根拠”は奇妙に具体的だったとされ、当時の記録には「台帳の糊付け乾燥に必要な時間:46時間±3」「書き起こし初稿の着手:乾燥完了の翌日」といった実務値が並んだと記されている[8]。この細かさが、後に“研究枠組み”へ育つ素地になったと考えられる。
なお、豊田側では、採集メモを地域の地形図に直結させるため、紙の角に方位を記す“針路印(しんろいん)”の運用が導入された。これが、のちに北海道へ移転した際の索引体系「針路符号」へ発展したとする説がある[9]。
移住:音更町での“北方索引”の確立[編集]
次の転機として語られるのが、北海道音更町への移転である。移転の理由は、豊田市での採集が地域内に閉じすぎており、比較可能性が不足したためだと説明されることが多い。そこで白神学習連絡会(通称:白連)は、人口移動が比較的多い音更町を“比較用フィールド”として選定したとされる[10]。
音更町では、聞き取りの記録に加え、語りが始まるまでの「呼称の立ち上がり」を測る運用が導入された。運用者の阿部ルイカ(あべ るいか、音更町教育委員会社会教育係とされる)は「語りが立ち上がるまでの平均:13分22秒、最頻:12分10秒」と報告したと伝えられている[11]。もっとも、この数値は後年、記録のサンプルが18件に過ぎなかった点から批判されることになった。
それでも音更式索引は合理的だったと評価され、採集メモと地名の接続において「針路印」を“縮尺の違いに頑健”な符号として再設計したとされる。結果として、後に秋田県へ返還される際、索引方式がそのまま移植されたとされる[12]。
現在:秋田での民族研究と教育アーカイブ化[編集]
白神にかほは最終的に秋田県に戻り、白神山地周縁を中心に「民族に関する研究」を運用するとされる。中心となるのは、方言音声台帳と採集メモの照合索引であり、これらが授業準備にも使えるよう整備されているという[13]。
もっとも、現在の運用では“分類”が先にありきではない点が強調される。まず記録の入り口で、語りの前提条件(誰が・いつ・どの話者が・どの季節に)が評価され、その後に分類が付与されると説明される。白連側はこれを「後置分類(こうちぶんるい)」と呼び、教育現場での混乱を抑える工夫だとした[14]。
ただし、研究者の間では、後置分類が便利である反面、後から分類が“整って見える”危険性を内包すると指摘されている[15]。この危惧が、記録の透明性をめぐる論争の材料になっている。
社会的影響[編集]
白神にかほは、地域教育に「採集そのもの」を組み込ませることで、授業の作法を変えたとされる。従来は“できあがった郷土史”を読むことが中心だったが、白神にかほでは「聞き取り・書き起こし・照合」の手順を学習評価の一部にしたと説明される[16]。
また、音更式索引の普及により、遠隔地でも同じ手順で記録が扱えるようになったとされる。教育機関向けの配布資料には、照合のためのチェックリストが細かく盛り込まれ、「転記の際は行番号を必ず付す」「同名地名は“微縮尺コード”で判別する」などのルールが並んだとされる[17]。
さらに、白神式認証の影響で、民間団体が自発的に台帳整備を始めた事例が複数報告されている。もっとも、その動きは研究倫理の整備と同時には進まなかったとされ、現場では“正しそうな体裁”が先行する問題も指摘された[18]。
批判と論争[編集]
最大の批判は、沈黙時間や変換係数といった指標が、文化を数値化しすぎる点に向けられた。とくに「採集中の沈黙時間中央値が一定範囲に収まっている記録を上位」とする運用は、話者の心理や状況を無視しているのではないかと論じられた[19]。
また、豊田市から音更町への移転過程で、データの取り扱いが一度“簡略化”された可能性が指摘されている。白連の内部報告書とされる文書では、統一フォーマットへ移す際に「旧台帳からの情報欠落:最大で0.7%」と記されているが、欠落がどの項目に集中したかは明らかにされていないとされる[20]。
さらに、名称の由来である「にかほ」部分について、研究者の一部は「地名の由来と語りの由来が混ざっている」と指摘している。一方で、白連は“混ざることで再現性が上がる”と反論したとされ、解釈の揺れ自体が研究素材になっている面もある[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『白神式記録法の手引き(針路印編)』白神学習連絡会, 1967.
- ^ 阿部ルイカ『音更式索引と教育現場の実装』北海道社会教育研究所, 1974.
- ^ 山田克巳『口承資料の保存と変換係数』第3巻第1号, 民俗記録学会誌, 1981, pp. 12-29.
- ^ Margaret A. Thornton『Quantifying Silence in Oral Histories』Vol. 18 No. 4, Journal of Field Ethnography, 1992, pp. 201-239.
- ^ 佐藤美咲『後置分類が可能にする再参照性』民族情報学研究, 第6巻第2号, 2003, pp. 77-95.
- ^ 白神学習連絡会『地域アーカイブ認証(白神式)規約解説書』白連出版部, 2008.
- ^ Kiyoshi Tanaka『Index Robustness and Map Compression Codes』Vol. 9, Proceedings of the International Mapping Education Forum, 2011, pp. 55-68.
- ^ 鈴木春菜『沈黙時間の中央値と語りの持続性』秋田文化資料学会『白神にかほ通信』第2号, 2015, pp. 3-21.
- ^ Olivier Marchand『Learning Archives: A Comparative Study』Presses Universitaires de Lune, 2019, pp. 140-173.
- ^ (タイトルが微妙に誤植されている)『白神にかほの起源:豊田から北へ』白神山地叢書, 1962.
外部リンク
- 白神にかほアーカイブ・ポータル
- 白神学習連絡会(白連)公式資料室
- 音更式索引サンプル集
- 針路印デジタル図面庫
- 地域アーカイブ認証ガイド(白神式)