真利悪島

この記事はAIが生成したフィクションです。実在の人物・団体・事象とは一切関係ありません。
真利悪島
名称真利悪島
別名逆潮島、マリヤク島
所在地日本近海・紀伊半島南方沖とされる
海域熊野灘外縁海域
面積約12.4平方キロメートル
最高標高183メートル
人口定住者0人、季節滞在者最大37人
成立1838年の海図誤記に由来するとされる
主な機能潮流観測、避難港、通信中継

真利悪島(まりあくじま)は、日本近海に存在するとされる孤島であり、古くは海運密貿易の境界を見張るための「逆潮観測地」として知られている[1]。その名は真利の二語から来ると伝えられるが、実際には江戸時代後期の測量誤記が定着したものとする説が有力である[2]

目次
1概要
2名称の由来
3歴史
3.1発見と測量
3.2軍事利用と放棄
3.3観測島への転換
4地理
5社会的影響
6批判と論争
7脚注
8関連項目

概要[編集]

真利悪島は、和歌山県新宮市沖の海上にあるとされる島で、行政上は長く「未確定自然地形」に分類されていた。島の存在は国土地理院の旧海図に断続的に記載されていたが、1949年海上保安庁調査で一度は削除され、その後1967年の再測量で復活した経緯がある。

この島が広く知られるようになったのは、戦後の漁業無線において「真利悪島の東で潮が反転すると小型船が三日早く帰れる」と語られたことによる。もっとも、実際には海底地形と黒潮の支流が複雑に絡むため、島そのものよりも周辺海域の逆潮現象が目立ったと考えられている。

名称の由来[編集]

名称はしばしば「まりあく」と読まれるが、地元では「まりあく」ではなく「まいらく」と崩して発音されることもある。由来については、天保年間にこの海域を訪れた紀州藩の船頭・牧野甚左衛門が、航海日誌に「まるで利を得て悪を返すがごとし」と記したことから、漢字二字が当てられたという説がある。

一方で、1882年内務省地理局が作成した「沿岸地名整理簿」には、同島の名が「真理悪嶋」と誤植されており、その後の新聞各紙がこの表記を競って採用したことで現在の字形に落ち着いたとされる。なお、近隣の串本町では「悪」の字を嫌い、祭礼の際には墨を薄めて書く慣習があったという[要出典]。

歴史[編集]

発見と測量[編集]

島の初見は1838年紀伊水道で座礁を避けるための夜間測量中に、英国海軍の測量艦が「干潮時のみ見える岩礁帯」を島として記したことに始まる。艦長Edward J. Pembrokeは本国への報告書で、面積を「three square miles, possibly more」と記したが、後にこの「possibly more」が独り歩きし、島が潮汐で膨張・収縮するという伝承につながった。

1906年には東京帝国大学の地理学者矢野徳三郎が実地調査を行い、岩礁・砂州・小丘の三要素から成る複合地形であると結論した。ところが同時期の写真乾板8枚のうち3枚が海鳥に奪われ、残る5枚しか現存しないため、現在でも「本当に島があるのか」という議論が続いている。

軍事利用と放棄[編集]

太平洋戦争末期、大日本帝国海軍は真利悪島に簡易の聴音所を設け、紀伊半島沿岸の潜水艦接近を監視した。施設は地下壕2本、木造観測小屋1棟、発電機1台から成り、常駐要員は最大6名であったとされる。

戦後は放置されたが、1958年の台風第21号で施設跡が一度海没した際、島の輪郭が「消えた」と報じられたことがある。その後、地元の漁師が毎年旧暦8月に灯明を流す習俗を始め、これが結果的に夜間航行の目印として定着した。島の軍事利用は短命であったが、この時期に設置された鉄製標柱が1984年まで残っていたという。

観測島への転換[編集]

1972年運輸省(当時)と気象庁は真利悪島を「潮流・風向・海霧の複合観測点」に指定し、自動気象装置潮位計を設置した。観測開始から3年で、周辺海域の潮位変化が通常の沿岸部より平均18分早いことが判明し、これが漁業界で広く利用されるようになった。

ただし、同年の記録には「装置がカモメの営巣により3週間停止」とあり、以後は観測小屋の屋根にトゲ状の金具が付けられた。これに対して野鳥保護団体が抗議したが、島がそもそも行政上は無人であったため、議論は「誰が屋根を守るのか」という奇妙な方向に進んだ。

地理[編集]

島は南北約4.8キロメートル、東西約3.1キロメートルで、中央に標高183メートルの真利岳がある。北岸は玄武岩質の断崖、南岸は砂礫浜で、潮の干満により浜幅が最大で27メートル変動するとされる。

島の周囲には「三つの返し瀬」と呼ばれる危険水域があり、特に西ノ潮門では毎時5ノットの逆流が生じることがある。このため、島の南西沖には1979年から灯浮標が8基並べられ、漁船の安全航行に利用されている。なお、島中央の小湿地では夏季に青い苔が発光し、住民はこれを「夜鳴き苔」と呼ぶが、成分分析の正式報告書は未公表である。

社会的影響[編集]

真利悪島は、実際の居住人口がほぼ存在しないにもかかわらず、近隣沿岸の経済に意外な影響を与えた。とくに勝浦漁港では、島の潮見表をもとにした出漁計画が普及し、1989年にはマグロ延縄船の帰港遅延が年間で14%減少したとされる。

また、島名の語感から演劇怪談の題材としても好まれ、昭和後期の深夜ラジオでは「真利悪島で受信すると雑音が逆順に入る」という投稿が人気を博した。これを受けてNHK大阪放送局が実験的に島内で受信試験を行ったところ、通常のAM放送よりも海鳴りの成分が強調されたという。

一方で、島の名が「悪」を含むことから、地元商工会は観光振興の際に表記を「真利亜久島」に改める案を検討したが、看板制作費が通常の1.8倍になったため見送られた。

批判と論争[編集]

真利悪島をめぐっては、そもそも「島として独立した地形なのか、それとも巨大な岩礁群の呼称なのか」という点で学説が割れている。1978年京都大学調査班は「島は潮位により面積が極端に変動する半島状構造」と報告したが、1979年の別班は「島の中心部に淡水源がある以上、島である」と反論した。

また、国土交通省の内部文書には、同島の実在確認に要した予算が4年間で総額2億7,400万円に達したと記されているが、これは観測機器のほかに「カモメ対策」「灯明更新」「案内板の補修」が含まれていたためである。島の存在を疑う研究者の一部は、毎年1回だけ現れる海霧の中に島影が見えると主張するが、反対派はそれを「集団的な航海疲れ」と呼んでいる。

脚注[編集]

脚注

  1. ^ 牧野甚左衛門『紀州沿海航行録』紀州藩海事史料刊行会, 1841年.
  2. ^ Edward J. Pembroke, “Survey Notes on the Kumano Outer Reefs,” Journal of Pacific Hydrography, Vol. 7, No. 2, 1840, pp. 113-129.
  3. ^ 矢野徳三郎『紀伊水道地形考』東京帝国大学地理学教室, 1908年.
  4. ^ 内務省地理局編『沿岸地名整理簿 第二輯』内務省, 1882年.
  5. ^ 海上保安庁海洋測地部『熊野灘外縁測量報告書』海上保安庁, 1949年.
  6. ^ 気象庁海洋気象研究室『逆潮現象に関する観測試験』気象庁技術報告, 第12巻第4号, 1974年.
  7. ^ 林田光一『真利悪島と沿岸民俗』南紀民俗叢書刊行会, 1981年.
  8. ^ Margaret L. Sweeney, “Island or Reef? The Maria-kujima Problem,” Coastal Cartography Review, Vol. 19, No. 1, 1992, pp. 44-61.
  9. ^ 新宮港振興会『真利悪島観測小屋改修記録』新宮港振興会資料集, 2003年.
  10. ^ 佐伯信吾『真利悪島の夜鳴き苔に関する予備報告』和歌山海洋学会誌, 第31巻第2号, 2016年.
  11. ^ 中村四郎『島影の政治学』北斗出版, 2018年.
  12. ^ 田島ユリ『海霧の中の地名たち』風媒社, 2020年.

外部リンク

  • 真利悪島海域観測協会
  • 紀伊沿岸地名アーカイブ
  • 南紀海霧研究センター
  • 和歌山県海洋文化資料室
  • 逆潮航法データベース
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