競馬のグランドスラム一覧
| 分類 | 競馬史・栄誉記録 |
|---|---|
| 対象 | 主要競走の複数制覇馬 |
| 成立 | 1958年頃 |
| 提唱者 | 日本競馬協会記録整理委員会 |
| 主な舞台 | 東京競馬場、京都競馬場、阪神競馬場 |
| 選定基準 | 指定競走の組み合わせ達成 |
| 通称 | GS記録、完全制覇 |
| 関連制度 | 年次表彰、記録認定 |
競馬のグランドスラム一覧は、および一部の地方競馬において、年間を通じて特定の主要競走を連続または同一年内に制覇した記録を整理した一覧である。現代の競馬評論では「四冠よりも難しい年次横断型の完成競技」として知られている[1]。
概要[編集]
競馬のグランドスラム一覧は、複数の主要競走を一定期間内に制覇した馬・騎手・厩舎の記録を列挙したものである。もともとはに・の旧資料室で、競走名の異同を整理するための内部メモとして始まったとされる[2]。
のちにでの観客投票をきっかけに「一頭の馬がどこまで到達したか」を示す読み物として発展し、には新聞各紙の競馬面でも定着した。ただし、初期の一覧には地方競馬の賞典が混在しており、選定基準は時期によってかなり揺れていたとされる[3]。
成立の経緯[編集]
記録整理委員会の発足[編集]
後半、の前身にあたる記録実務班では、競走名の重複と新設レースの増加が問題化していた。とくにの改修前後で名称が変わる事例が多く、担当のは「勝利数だけでは馬の完成度が見えない」と述べたという[4]。これが後のグランドスラム概念の原型になったとされる。
委員会は、単純な通算勝ち数ではなく「指定六競走の達成率」を導入し、達成馬に金色の記録札を交付した。もっとも、札は実際には真鍮製で、年によっては雨で黒ずんだため、ファンの間では「グランドスラムは曇る」と揶揄された。
新聞連載による普及[編集]
、競馬欄の連載『本日、完全制覇へ』が始まり、以後この一覧の大衆化が進んだ。連載初回ではと架空の指定戦「関東記念」を同列に扱う誤植があり、編集部に抗議が殺到したが、逆に話題となって購読部数が増えたと記録されている[5]。
この時期から「一覧を見ると強さがわかる」という理解が広がり、馬主側も宣伝資料として引用し始めた。なお、一部の厩舎ではグランドスラム達成を記念して、馬房の木札に小さな鈴を付ける慣行が生まれた。
一覧[編集]
同一年内制覇[編集]
同一年内制覇は、短期間で主要競走を集中的に勝利した事例を指す。脚質の偏りが少ないことから「万能型の証明」とされ、競馬評論では最も美しいグランドスラム類型とされる。
ただし、での夏季開催を含めるかどうかで解釈が割れ、同じ馬でも資料によって記載順が異なることがある。
歴代の達成例[編集]
・()- 、、、を同年に制覇したとされる初の「四点満点」達成馬である。最終戦では雨中ので外ラチ沿いを選択し、実況席のマイクが2度濡れて断続的になったという逸話が残る[6]。
・()- 春の、秋の、、を連続制覇した馬である。距離適性がやや極端で、調教助手は「走るたびにフォームが1cmずつ賢くなる」と評した。
・()- 牝馬で初めて一覧に載った例で、、、、を制した。直前の輸送で厩務員が弁当を2個多く積み、結果的に馬が落ち着いたという、要出典級の逸話が伝わる。
・()- 地方交流を含む拡張版ルールで認定された馬。四つの勝利のうち一つがでの夜間開催だったため、ファンの間では「夜に強いグランドスラム」と呼ばれた。
・()- 騎手のとの同時達成で有名である。ゴール後、騎手が検量室ではなく誤って記者席へ入ってしまい、そのまま写真撮影に応じたため、記録記事の半分が騎手の話になった。
・()- とでの大舞台を得意とし、一覧上は「府中の完成馬」として扱われる。パドックで毎回同じ方向に3回だけ首を振る癖があり、ファンの間で再現性の象徴とされた。
・()- 連続達成ではなく、2年にまたがる断続的制覇で認定された異例の例。規程改定直後の適用だったため、記録委員会では6時間にわたり「年またぎは季節の同一性を持つか」が議論された[7]。
・()- 新型感染症流行下の無観客開催で全競走を制覇した馬である。スタンドに観客がいなかったため、実況アナウンサーが自分の声に感動して一瞬黙ったという珍しい場面が映像に残っている。
・()- 短距離限定の「速度型グランドスラム」を達成した例。4競走の平均上がり3ハロンがで、記録紙には「速すぎて一覧表の枠外にずれた」と書かれている。
・()- 近年のデータ分析ブームを象徴する存在で、レース前に血統表と気圧配置を同時に見る習慣があった。達成後、馬主が記念に購入したのは金杯ではなく、なぜか内の方位磁石であった。
・()- 公式記録にはないが、古いファン誌では頻繁に引用される伝説的存在である。生涯で「あと一歩」の競走が7回あったとされ、一覧の脚注を増やす原因となった。
認定基準の変遷[編集]
当初はの内部規程により、同一年度内の4勝以上を「準グランドスラム」と呼んでいたが、の改定で「指定競走の組み合わせ達成」へと簡略化された。これにより地方交流戦を含めるかどうかが争点化し、との関係者が共同で抗議文を提出したとされる[8]。
また、以降は騎手・厩舎の同時記録も別表で管理されるようになった。これにより一覧は大きく膨らみ、版を重ねるたびに索引だけで12ページ増えるという事態が起きた。
社会的影響[編集]
この一覧は競馬ファンの間で「推し馬の完成度を測る尺度」として浸透し、やの場外発売所では、レース終盤になると一覧の見本紙を持ち歩く人が増えた。とくにには携帯電話向けの速報配信と相性が良く、記録更新時のアクセスは平常時のに達したとされる[9]。
一方で、競走の価値を点数化しすぎるとして批判もあり、ベテラン記者のは「馬は表ではなく、雨の日にこそ語る」と述べた。もっとも、その同じ記者が翌週には自ら一覧の改訂案を書いたため、発言の一貫性には疑問が残る。
批判と論争[編集]
一覧をめぐって最も大きかった論争は、「達成馬の認定にを含めるか」という点であった。祝祭性が高いため採用を主張する派と、年末の疲労度が高く公平ではないとする派が分かれ、の会合では議長が3回休憩を挟んだ。
また、代後半にはSNS上で「グランドスラムは結局、後付けの物語である」とする批判が広まり、これに対して記録委員会は「後付けであることを前提に成立した物語である」と反論した。なお、同委員会の広報資料には、なぜかではなくのイラストが混入していたことがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『競走記録整理論』日本競馬記録協会, 1961年.
- ^ 加賀見春彦『完全制覇の文化史』講談社, 1978年.
- ^ Margaret A. Thornton, "On the Formation of Racing Grand Slams," Journal of Equine Studies, Vol. 12, No. 3, 1984, pp. 41-68.
- ^ 久保田芳春『馬は表ではなく雨の日に語る』毎日新聞社, 1989年.
- ^ 石坂直人『グランドスラムの統計的意味』東京大学出版会, 1992年.
- ^ R. H. Miller, "Seasonal Completion and the Myth of the All-Winner," Racing History Review, Vol. 8, No. 1, 1997, pp. 5-29.
- ^ 『日本競馬会記録年鑑 1999』日本競馬会資料室, 1999年.
- ^ 藤堂蓮司『記者席へ入ってしまった騎手たち』サンケイスポーツ出版部, 2004年.
- ^ 本多千紘『夜に強い馬の行動学』みすず書房, 2011年.
- ^ H. K. Sutherland, "The White Crown Problem in Japanese Racing Lists," Equine Data Quarterly, Vol. 19, No. 4, 2018, pp. 77-103.
- ^ 『競走魚概論』日本競馬協会広報室, 2019年.
外部リンク
- 日本競馬記録資料館
- 中央競馬グランドスラム年表データベース
- 競馬史アーカイブ・フロンティア
- 地方競馬認定記録委員会
- 完全制覇研究所