第二次全星大戦
| 名称 | 第二次全星大戦 |
|---|---|
| 正式名称 | 全星共同配送網破壊未遂事件 |
| 日付 | 1968年9月17日 |
| 時間 | 22時台 |
| 場所 | 東京都千代田区 |
| 緯度/経度 | 35度41分23秒N 139度45分11秒E |
| 概要 | 都心の複数拠点で星形梱包材が大量散乱し、交通と配送が一時麻痺した広域事件 |
| 標的 | の共同配送網 |
| 手段 | 改造押出機による星形緩衝材の過剰放出 |
| 犯人 | 全星労働分派「第七星輪会」首謀者らとされる |
| 容疑 | 、、違反 |
| 動機 | 配送規格の統一に対する反発と、星形記号の商標独占への抗議 |
| 死亡/損害 | 死者0名、負傷者17名、損害額約1億4,800万円 |
第二次全星大戦(だいにじぜんせいたいせん)は、(43年)にで発生したである[1]。警察庁による正式名称は「全星共同配送網破壊未遂事件」であり、通称では「第二次全星大戦」と呼ばれる[2]。
概要[編集]
第二次全星大戦は、周辺からにかけて発生した、星形の緩衝材と金属製トレーを用いた広域な業務妨害事件である。被害は直接的な暴力よりも、の配送網を混乱させたことにあり、都内の百貨店、郵便仕分け所、地下倉庫で同時多発的に発生した[3]。
事件名は大仰であるが、実際には「全星」規格をめぐる労使対立と、記号管理をめぐる内部抗争が複雑に絡んでいたとされる。なお、当初は単なる物流事故として処理されかけたが、現場から見つかった星型ナットの刻印により、組織的な犯行として再分類された[4]。
背景[編集]
背景には、後半に急拡大したの共同配送網がある。全星流通連合は、梱包資材の統一によって年間約3,200万件の仕分け効率化を達成したと発表していたが、その一方で現場では「星印の規格が多すぎる」との不満が蓄積していた。
特に、の下請け工場で発生した「第1回星孔事件」以降、星形の穴あけ加工を担う班と、配送ラベルを貼付する班の対立が深まり、労働組合の一部が急進化したとされる。これに対し、都内の商標管理を担当していた系の外郭団体が、星記号の使用を厳格化したことが、反発を決定的にした[5]。
経緯[編集]
事件前夜[編集]
9月15日夜、の貸会議室で「第七星輪会」と呼ばれる小集団が集まり、星形緩衝材を通常の12倍密度で噴出させる試験を行ったとされる。会合には元印刷技師の、元配送主任の、および通称「星図の女」と呼ばれた事務員が出席していたという[6]。
発生[編集]
9月17日22時18分、内の共同倉庫3号棟で、改造押出機が作動し、星形緩衝材およそ48万個が連続放出された。これにより搬入口が塞がれ、周辺の自転車便16台が立ち往生し、夜間配送が全面停止した。さらに同時刻、側の中継点では金属製の星輪トレーが回転し続け、警備員2名が「床が空に見える」と証言している[7]。
通報と初動[編集]
最初の通報はではなく、近隣の弁当店からの「星のかけらが店内に降ってくる」という110番であった。現場に駆けつけたは当初、巨大広告塔の破損事故とみなしたが、同一規格の星型部材が半径1.6kmにわたり散布されていたため、翌朝には広域事件として扱われた。なお、後年の再鑑定で、散乱した星形部材の約7%が通常規格より0.3mmだけ大きかったことが判明し、これが犯行グループの「儀式的誇示」だったとする説がある[8]。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
捜査はとの合同班によって開始された。現場に残された押出機の油圧痕から、工業用接着剤「ST-7」が使用されていたことが判明し、これが都内19工場でしか流通していないことから、捜査線は急速に絞られた。
遺留品[編集]
遺留品として特筆されるのは、星形ナット312個、未使用の配送札、そして「夜の配達は星を見失う」という走り書きのメモである。メモの筆跡はのものと一致したが、本人は一貫して関与を否認し、「自分は星を見ていただけである」と供述したとされる。
被害者[編集]
直接のは全星流通連合の夜間配送員、倉庫監督、周辺店舗の従業員であった。負傷者17名のうち9名は、散乱した緩衝材に足を取られて転倒したもので、重傷者は出なかったが、精神的被害は大きかったとされる[9]。
また、当時都内で試験導入されていた自動伝票読取機が星形部材を誤認識し、1,204件の配送先が「未定」として保留された。中でもの老舗画材店では、納品予定の顔料が一週間遅延し、店主が「星の戦争に巻き込まれた」と怒鳴ったという。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
3月12日にで初公判が開かれ、被告人3名がとの内容を争った。検察側は、星形部材の放出が「単なる抗議ではなく、物流秩序を狙った計画的破壊」であると主張した。
第一審[編集]
第一審では、押出機の改造に関与したとしてに懲役4年6月、に懲役3年、に執行猶予2年の判決が下された。ただし裁判長は判決理由の末尾で「星形規格をめぐる社会的混乱も事件の背景にある」と述べ、法廷では珍しく傍聴人の拍手が起きたと記録されている。
最終弁論[編集]
最終弁論では弁護側が、星形緩衝材は本来「脆弱な荷物を守るための文化資材」であり、これを武器とみなすのは拡大解釈であると反論した。しかし控訴審は、48万個という数量自体が業務妨害の意思を示すと認定し、に一部有罪が確定した。なお、の一部供述は裁判記録の写しにしか残っておらず、真偽は現在も議論がある[10]。
影響[編集]
事件後、は星形規格を7種から3種に削減し、梱包材の外観は大幅に簡素化された。また、内の配送倉庫では「星印の過剰装飾」が規制され、実務上は空白の多い伝票文化が定着した。
一方で、この事件は労働運動史の中では奇妙な象徴として扱われ、1970年代の一部学生運動では星形ナットが抗議の小道具として模倣された。警察庁統計では、事件翌年の都内「記号をめぐる相談件数」が前年の3倍に跳ね上がったとされるが、集計方法が不明瞭で要出典とする向きもある[11]。
評価[編集]
本事件は、上は珍しい「記号の過剰使用が実害に転化した事件」と評価されることが多い。犯罪心理学の一部では、犯人たちが暴力そのものより「規格の支配」に執着した点が特徴的であり、通常の政治犯とも経済犯とも異なると指摘されている。
ただし、後年の研究では、事件名の「第二次」が何を指すのかは明確ではない。一般には前身の「第一次全星騒乱」が存在したとされるが、現存資料は2枚の会議メモしかなく、実在性には疑義がある。にもかかわらず、内部では今なお「第二次」で通じることから、半ば伝説化した事件として扱われている。
関連事件・類似事件[編集]
類似事件としては、のにおける「第一配送線断絶事件」、およびので起きた「星札偽造連続投棄事件」が挙げられる。いずれも物流記号の改ざんや統一規格への反発が背景にあるとされ、第二次全星大戦の影響下にあるとする研究が多い。
また、の港湾で発生した「白輪コンテナ事件」は、犯人が星形ではなく円形の封印を用いた点で異なるが、裁判では「記号犯」として同系統に分類された。なお、学術的にはこれらをまとめて「広義の記号威力業務妨害」と呼ぶことがある[12]。
関連作品[編集]
事件を題材とした書籍には、『星の梱包と法――第二次全星大戦の法社会学』、『配送網の夜明けと崩壊』がある。前者は大学図書館でしか見つからないことで知られ、後者は表紙の星形が一部の読者に誤解を与えたという。
映像化作品としては、の特集番組『深夜、星は散った』、ドキュメンタリー映画『三十万個の緩衝材』、および地方局制作の再現ドラマ『伝票の向こう側』が知られている。いずれも、最後の30秒で押出機の音だけを流す演出が共通している[13]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯康隆『星の梱包と法――第二次全星大戦の法社会学』東都法学出版社, 1976.
- ^ 渡辺一郎「全星共同配送網と都市混乱」『都市交通研究』Vol. 18, No. 4, pp. 211-239, 1973.
- ^ Margaret A. Thornton, "Symbol Overload and Industrial Sabotage," Journal of East Asian Criminal Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 88-114, 1975.
- ^ 三浦和子『配送網の夜明けと崩壊』新記号社, 1978.
- ^ 警視庁刑事部『昭和43年広域業務妨害事件捜査報告書』内部資料, 1971.
- ^ 小林重夫「星印規格の拡張と労働紛争」『社会記号学紀要』第12巻第1号, pp. 33-56, 1974.
- ^ 伊藤順平『東京物流史資料集 第4巻』みなと文庫, 1982.
- ^ H. K. Fenwick, "The Star Incident in Context," Bulletin of Urban Policing, Vol. 11, No. 1, pp. 5-19, 1979.
- ^ 田島瑞穂「第七星輪会の形成過程」『戦後都市運動史研究』第3巻第2号, pp. 147-168, 1980.
- ^ 黒田啓二『伝票の向こう側――記号と暴動の戦後史』青灯館, 1984.
外部リンク
- 警視庁アーカイブセンター
- 東京都市物流史研究会
- 記号犯罪資料室
- 全星事件口述記録データベース
- 昭和都市騒乱年表