筑波都
| 名称 | 筑波都 |
|---|---|
| 種類 | 環状都市型石造施設(学都礼拝環) |
| 所在地 | 北緯35度41分付近 |
| 設立 | 14年(1764年)に建立 |
| 高さ | 全周壁 32.7m(平均) |
| 構造 | 三重環状回廊+観測槽+配水暗渠 |
| 設計者 | 筑波測量会議長・ |
筑波都(つくばと、英: Tsukubato)は、にある環状都市型の石造施設[1]。現在では、星図観測と生活インフラを一体化した「学都礼拝」の場として知られている[1]。
概要[編集]
は、に所在する環状都市型の石造施設である[1]。現在では、星図観測と生活インフラを同一の回廊系で運用する「学都礼拝」の場として知られている[1]。
施設は三重の環状回廊で構成され、外周壁は厚さ2.2mの御影石帯として整備され、中心部には観測槽と呼ばれる半円形の水盤が設けられている[2]。この水盤は雨水を集め、鏡面の揺らぎを利用して微小な角度ずれを補正する装置として説明されている[2]。
名称[編集]
「筑波都」という名称は、建立当初に提出された議事録『筑波礼都式』に由来するとされる[3]。同書では、地形の「筑(つく)ば」なる段丘と、儀礼の「都(みやこ)」を掛け合わせるとしており、学問の場を“都”として礼する趣旨が強調されている[3]。
なお、地元では「月の環が三重になると都が増える」という言い伝えも残されている。これに基づき、明治期の改修では外周壁に刻まれた羅列文様が20種類から23種類へ整理されたと記録されているが、当時の台帳は一部が欠損している[4]。
沿革/歴史[編集]
成立の経緯[編集]
は、が中心となって進められた「夜間測地の常設化」計画の一環として建立されたとされる[5]。計画の発端は、宝暦14年に筑波山麓で観測された星の高度誤差が、民家の灯火による散乱光で増幅されるという報告にあった[5]。
そこで、灯りを“封じる”のではなく“回廊に導く”発想が採用され、環状回廊が光を周回させて平均化する仕組みが考案されたという。歴史資料では、平均化に必要な周回数が「月周期の28/7分率で7周」と計算されたと記されているが、出典の数学的整合性には異論もある[6]。
改修と制度化[編集]
建立後、施設は「学都礼拝」として制度化され、観測槽の清掃当番が年12回に固定された。清掃回数が12回となったのは、当時の暦算局が“災を除くのは水の相が四半周期である”と主張したためと説明されている[7]。
一方で、天保期には配水暗渠の詰まりが頻発し、外周壁の含水率が上昇した。これに対し、の技師が、暗渠を直線から曲線へ変更する提案を行い、結果として詰まりは減少したとされる[8]。ただし、曲線化に伴う保守コストが当初見積もりの1.6倍になったことも併記されており、運用の難しさがうかがえる[8]。
近世から近代へ[編集]
近代に入ると、観測槽が教材として活用され、回廊床石には「方位の学習マス」が刻まれた。マス目は全周で666個とされ、授業では“石を数えることで方角を覚える”方式が採用された[9]。この数字は語り継がれることが多く、一次資料の突合は十分ではないとされるが、現地での計測報告は複数存在する[9]。
戦時期には施設の外周壁が防火帯として転用され、回廊の一部が簡易収納庫に改造された[10]。終戦後は復旧が優先され、原状復帰に際して刻銘のうち「学都」の文字だけが再彫刻されたという。なぜ“学”だけが先に戻されたのかについては、当時の守衛日誌で「灯りより先に読むものを戻すため」と説明されている[10]。
施設[編集]
の主要部は三重環状回廊と中心観測槽である。外周壁は厚さ2.2mの御影石帯で構成され、内側の二重環には厚さ1.1mの玄武岩板がはめ込まれているとされる[2]。
中心部には半円形の観測槽があり、槽底には“星の写し”として用いる薄い水膜が形成される。水膜の維持には、雨水を集める配水暗渠と、回廊上部の開閉式ルーバーが連動する仕組みが採られている[11]。なおルーバーは全部で44枚あり、開閉角度は一律ではなく、方位ごとに微調整されると説明されている[11]。
また、回廊の要所には「礼拝灯台」と呼ばれる石壇が設置され、灯火の色温度を合わせる儀礼が行われたという。色温度合わせに使われた器具は、銅製の小振動器とされるが、当時の工匠名簿にはの署名が残っている[12]。
交通アクセス[編集]
はの北緯35度41分付近に位置し、主要動線は「環状回廊に沿う徒歩回路」として整備されている。近隣のからは、旧配水道を転用した参道があり、徒歩で約18分と案内されることが多い[13]。
なお、観測行事の開催日には、外周壁のくびれ部に合わせた臨時通行が実施される。案内板では「一斉入場は開始後9分で三重環が満ちる」と記載されており、時間は秒単位で管理されるとされる[14]。
周辺には車両の待機スペースが少なく、観光客は“回廊外周の一辺だけを往復する”コースを推奨されることがある。これは施設側が「直線の散歩は気運を散らす」と説明しているためであり、根拠は学術雑誌ではなく現地の口述記録に依っている[15]。
文化財[編集]
は、指定体系上「学都礼拝施設群」としての登録文化財に登録されている[16]。登録範囲には外周壁、観測槽、配水暗渠のうち一部区間、ならびに回廊床石の方位マスが含まれるとされる[16]。
また、建立当初の刻銘のうち約73%が残存していると報告されている。残存率の計算方法は、刻字の“判読可能性”を基準にしたため、時代によって評価が揺れると指摘されている[17]。このように、同施設は保存と教育利用の両立を目的に運用されているが、近年は水膜維持のための環境条件(気温・湿度・照度)が観光シーズンにより変動しやすい点が課題となっている[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 【渡辺精一郎】『筑波礼都式—環状回廊による夜間測地の最適化』筑波測量会議出版局, 1766年。
- ^ 『星図写しの水膜制御:観測槽に関する試行記録(第1輯)』筑波礼都研究会, 1832年。
- ^ 小町八重治『配水暗渠の曲線化と清掃制度(草稿)』【土木御用】分局, 1843年。
- ^ 並木左門『礼拝灯台の銅振動器—色温度調整の民間実験』江戸工匠会, 1849年。
- ^ 高橋万里『学都礼拝の成立過程と回廊運用』日本測地史学会, Vol.12 No.3, 1998年, pp.41-67。
- ^ Margaret A. Thornton『Circumferential Observatories and Civic Rituals』Journal of Applied Celestial Studies, Vol.8 No.1, 2007, pp.11-33。
- ^ 川原祥太『登録文化財としての環状石造施設群の調査』【茨城県文化財保護】年報, 第7巻第2号, 2012年, pp.105-129。
- ^ 『つくば市内参道運用マニュアル(改訂版)』つくば都市観光協会, 2016年。
- ^ 山田光里『刻銘判読の統計—「73%」の算出手順について』文化財計測学研究会, 第3巻, 2020年, pp.77-92。
- ^ Daisuke Nakamura『Public Walking Routes and Micro-rituals』International Review of Urban Folklore, Vol.5 No.4, 2014, pp.201-219.
外部リンク
- 筑波礼都アーカイブ
- 茨城環状回廊観測資料館
- 学都礼拝イベントガイド
- 方位マス実測レポート
- つくば参道臨時通行案内