背筋最強決定戦。〜日本一の筋肉痛を作るのは誰だ〜
| 正式名称 | 背筋最強決定戦。〜日本一の筋肉痛を作るのは誰だ〜 |
|---|---|
| 通称 | 背筋最強決定戦、筋肉痛グランプリ |
| 種目 | 背部伸展・保持・遅発性疼痛評価 |
| 創設 | 1997年 |
| 創設地 | 東京都墨田区 |
| 主催 | 日本背部競技連盟 |
| 審査方式 | 姿勢点、疼痛点、翌日持続点 |
| 最大記録 | 24時間後VAS 9.8 |
| 放送 | 地方局深夜特番、のち配信 |
| 標語 | 日本一の筋肉痛を作るのは誰だ |
背筋最強決定戦。〜日本一の筋肉痛を作るのは誰だ〜は、参加者が背筋系の静的姿勢保持、急激な伸展動作、ならびに長時間の負荷維持を通じて「翌日の筋肉痛の質と量」を競う、日本発祥の競技イベントである[1]。競技性の高さよりも、痛みの再現性と審判団の評価精度が重視される点に特色がある[2]。
概要[編集]
背筋最強決定戦。〜日本一の筋肉痛を作るのは誰だ〜は、の区民体育館を起点として始まったとされる競技イベントである。名称の通り、勝敗は単なる筋力ではなく、競技後に生じるの強度、持続時間、左右差の少なさによって決定される。
当初はの自主研究会が、スポーツ後の回復指標を遊びの形式で可視化しようとした実験が発端であったが、1999年頃からが介入し、審査制度と安全基準が整備されたとされる[1]。一方で、競技者のほとんどが初参加時に「思ったより本気で痛い」と証言したため、以後は救護班が観客動線の内側に常駐するようになった[2]。
成立の経緯[編集]
墨田区研究会からの発生[編集]
最初期の試みは、に沿いの公民館で行われた「姿勢保持の翌日変化観察会」である。主導したは、もともと向けの補助器具設計をしていた技師で、背筋運動の負荷を数値化するために、畳一枚分の傾斜台と手作りの圧センサーを組み合わせた装置を制作した。
この会では、参加者が背中を反らせたまま以上維持すると、翌日の起床時に痛みの訴えが急増することが偶然観察された。記録係が「これは競技になる」とメモした紙がのちに連盟の設立文書に転用されたという逸話が残るが、一次資料は確認されていない。
競技化と命名[編集]
正式名称が現在の形に定まったのはである。命名に関与したは、深夜番組の見出しとして「最強決定戦」という語を提案し、末尾に筋肉痛を強調する副題を付した。これにより、単なる健康啓発イベントから、妙に煽りの強い競技番組へと性格が変化した。
なお、初回ポスターには「日本一の背筋を決める」と書かれていたが、審査会の議事録では「痛みを作る能力を比較する」と明記されており、現在のルールに近い発想はむしろ後者にあったとされる。ここで既に、記録よりも“翌日の顔色”が重要視されていた点が特徴的である。
競技方法[編集]
基本試技[編集]
競技は三種目で構成される。第一はで、審査台上で上体を45度に保つ種目、第二はで、リズムに合わせて背部を波状に動かす種目、第三はで、前日の疲労を再現しながら同姿勢を維持する種目である。
各試技にはの審査員が付き、うち4人は、3人は、2人は、残る1人は前年度王者である。これは「痛みの説明は科学だけでは足りない」という初期大会の反省から導入された制度である。
筋肉痛点の算定[編集]
得点は100点満点で、姿勢点30、可動域点20、発汗点10、疼痛点25、翌日持続点15で構成される。疼痛点は当日よりも翌朝の申告値が重視され、値に加え、階段下降時の手すり依存率まで加味されるのが特徴である。
2012年には、連盟が「痛みの自己申告は盛られやすい」として、参加者にを持たせ、6時・7時・8時の三回にわたり同じ姿勢を取らせる方式を採用した。この改定は効率的であったが、早朝の参加者離脱率がに達し、翌年には半数が廃止された。
安全規定[編集]
外から見ると過激に見えるが、実際には安全規定が非常に細かい。胸椎の過伸展、頸部の急反転、床面の滑走は厳禁であり、違反した場合は即失格となる。また、競技前にはのいずれかが支給される。
ただし、2015年の大会では、救護室で配布された湿布の匂いが会場全体に拡散し、観客の半数が「痛みを先取りした気分になった」と証言した。大会運営はこれを“没入効果”として肯定したが、のちにとして議論を呼んだ。
主要大会[編集]
大会は年1回、主にの公共体育施設を巡回して開催される。特に第7回大会からは、決勝がの控え室前通路で行われるようになり、会場の狭さが競技の緊張感を高めたと評価されている。
第12回大会では、優勝者のが試技後に「背中ではなく人生が鳴った」とコメントし、翌年の公式ポスターに採用された。第18回大会では、観客が拍手の代わりにストレッチを行う新方式が導入され、会場内で一斉に肩甲骨が回るという奇観が記録された。
なお、2019年の大会は台風接近により中止されたが、代替企画としてオンライン開催が実施され、参加者は各自の居間で背筋を反らせ、越しに審査を受けた。通信遅延のため「痛みの到達」が1分ほど遅れ、審査委員長が「これは競技ではなく時差である」と評した。
社会的影響[編集]
本競技は、一般層における体幹意識の向上に一定の影響を与えたとされる。特にには、学校の体育館で「背筋最強ごっこ」が流行し、椅子に浅く座る文化が一時的に見直された。
一方で、競技名の刺激性から、健康番組との境界が曖昧であるとの指摘もある。地方自治体の一部は、「筋肉痛を推奨するのか」という住民問い合わせに対応するため、広報誌で「本大会は疼痛の推奨ではなく評価イベントである」と毎年注記していた[3]。この注記はかえって不安を煽ったとも言われる。
また、の学生がレポート課題として本大会を扱うことが増え、2021年には内の専門学校で「筋肉痛の比較文化」という講義まで開講された。講義資料の中で、競技者の背中の“語彙”を分析する章があり、そこだけ妙に学術的である。
批判と論争[編集]
もっとも大きな論争は、「筋肉痛を競技化すること自体が本来の回復概念を歪めるのではないか」という批判である。とりわけの一部会員は、痛みの順位づけが参加者の無理を誘発するとして反対声明を出したとされる。
これに対し、連盟側は「痛みそのものではなく、適切に管理された負荷の可視化である」と反論した。両者の議論は平行線をたどったが、実際のところ観客人気は高く、テレビ中継では「本日の背中指数」が天気予報のように表示されるなど、競技と生活情報が奇妙に融合した。
さらに、2008年の準決勝で使用された背もたれ付き補助具が、実はの改造品であったことが判明し、スポーツ用品メーカーの一部から抗議があった。この件は「背筋界のリサイクル問題」として週刊誌に取り上げられたが、連盟は「人類はすべて既存の椅子の再編集である」とコメントしたという。
主な記録[編集]
公式記録では、最多連覇はの4連覇、最高疼痛点は、最長保持時間はとされる。高橋は勝利後の会見で「背中は強いが、翌日は布団から出られない」と述べ、その発言が大会の象徴的な一言として引用され続けている。
一方、珍記録としては、2014年の予選で観客席からエントリーしたが、競技中に背筋ではなく腹筋を誤って酷使し、翌日になってから背中より腹部の痛みを訴えた例が有名である。審査員はこれを「方向違いの完成度」と評し、特別賞を授与した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 吉良澤 恒一『背部負荷の文化史』日本運動学会出版局, 2004.
- ^ 戸塚 静一「筋肉痛を競技化する試み」『現代レクリエーション研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 2002.
- ^ Margaret L. Henshaw, "Pain Scoring in Public Competitions" Journal of Applied Kinesiology, Vol. 18, No. 2, pp. 119-137, 2011.
- ^ 佐伯 航『背中が鳴るとき』文藝体育社, 2016.
- ^ 日本背部競技連盟監修『背筋最強決定戦。公式ルールブック第7版』東都出版, 2019.
- ^ 高瀬 由紀子「翌日疼痛の可視化とその観客効果」『体力科学』第64巻第1号, pp. 15-29, 2015.
- ^ Oliver P. Grant, "The Aesthetics of Controlled Discomfort" Athletic Studies Quarterly, Vol. 7, No. 4, pp. 201-226, 2008.
- ^ 田宮 千夏『ストレッチングの民俗学』北関東文化資料室, 2020.
- ^ 中野 俊介「背筋イベントにおける救護室の配置と動線」『スポーツ施設論集』第9巻第2号, pp. 88-103, 2018.
- ^ R. E. Holloway, "Back Pain as Spectacle in Late-20th-Century Japan" East Asian Performance Review, Vol. 3, No. 1, pp. 5-19, 2005.
外部リンク
- 日本背部競技連盟 公式記録庫
- 背筋最強決定戦。アーカイブ委員会
- 筋肉痛文化研究センター
- 両国スポーツ記録データベース
- 深夜競技番組資料館