舩山 達
| 氏名 | 舩山 達 |
|---|---|
| ふりがな | ふなやま たつ |
| 生年月日 | 4月17日 |
| 出生地 | 今治市 |
| 没年月日 | 9月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 航海測量家、気象海流研究者 |
| 活動期間 | 1921年 - 1968年 |
| 主な業績 | 達式潮風表の体系化、船舶気象通報の標準化提案 |
| 受賞歴 | 長官表彰、瑞星測量功労章 |
舩山 達(ふなやま たつ、 - )は、の航海測量家であり、気象海流の即時計算法「達式潮風表」として広く知られる[1]。
概要[編集]
舩山 達は、日本の航海測量家として知られる人物である。特に、船の現在位置と天候を短時間で突き合わせる計算体系「達式潮風表」を確立したとされ、戦前から戦後にかけて海運現場で参照されたという設定が、回顧録や講演記録の多くで反復されている[1]。
舩山の評価は、学術界よりも現場側から強く支持されたことに特徴がある。すなわち、理論が美しくても“現場で数分で回るか”が決め手になったとされ、彼は計算手順を「辞書のようにめくれる索引」に作り替えたという逸話で語られてきた。なお、この“めくれる索引”が後に海上気象通報の様式に影響したとする見解もある[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
舩山は今治市の造船下請けの家に生まれたとされる。父は船体の木材乾燥工程を管理していたとされるが、舩山自身は「乾く速度」を数式化する癖が早くからあったと伝えられる[3]。
少年期、舩山は瀬戸内海の夕凪と風向のズレを観察し、気圧が動く前に“波の目”が変わると記した。観察ノートは合計でに及び、うちは風向を16方位ではなく「左右対称の偏角」で分類したという記録が残るとされる。もっとも、後年に彼が同じ内容を語り直しており、実数は誇張の可能性も指摘されている[4]。
学校の成績は中位だったが、校舎の屋上から測量用の簡易望遠鏡で雲底の高度を計った日に限り成績が急上昇したとされる。教師は「天気予報ができるなら、数学もできるだろう」と評したとされ、ここから彼の“現場感覚優先”が形成されたと考えられている[5]。
青年期[編集]
舩山は、の海運学校に進み、航海術と気象学を並行して学んだ。入学試験では、方位角を問われるはずが急に「潮の匂いの違いを説明せよ」と口頭で追加されたとされる。彼は“魚市場の朝と昼で同じ風は吹かない”と答えたというが、採点者が港の帳簿から事実確認をした結果、たまたま正答扱いになったという[6]。
青年期の大きな転機は、に始まった「三時間以内座標確定計画」である。この計画は、出港後3時間以内に船の予想到達点を再計算する必要性から生まれたとされ、舩山は“計算の遅さ”が原因で事故が疑われた船に同乗し、航海日誌を再構成する役を命じられたという[7]。
この際、舩山が考案したのが、現在時刻・風向・海流の“三点セット”を紙の上で即座に当てはめる簡易表であった。表は最初、縦横の目盛を合わせるために刻みを要求していたが、現場が苦情を出したため、最終版では刻みに丸めたとされる。細部の丸めが却って普及の鍵になったという点は、後年の研究者が頻繁に引用する事例である[8]。
活動期[編集]
活動期の舩山は、の商船会社からの依頼と、官庁側の通報様式改訂の双方に関わったとされる。彼の周辺では、計算体系は“学問”というより“手順書”として扱われ、港の事務机に常備されることが理想とされた[9]。
最も有名な出来事は、の夜間台風回避であるとされる。舩山が同席した船では、到着予想がずれたために機関長が一度投げ出しそうになったが、舩山が達式潮風表で「風向の偏角が1度動くと潮流の慣性は約0.6ノット遅れる」という“経験係数”を読み上げたところ、再計算が通ったという[10]。
ただし、当時の公式記録では係数の値が別になっているとする指摘もある。具体的には、海図委員会の報告書では慣性の遅れを0.5ノットと記すものがあり、舩山が“言いやすい数字”に調整していた可能性が示唆されている[11]。それでも、現場の乗組員からは「学者の式より、舩山さんの読み上げのほうが船が助かる」と語り継がれたとされる[12]。
戦後は、復興期の輸送安定化に向けて「気象通報の標準化提案」を提出したと伝えられる。彼は“天気は美辞麗句よりも座標で語れ”という趣旨を繰り返し、とを同時に記録するよう求めた。なお、この提案がどの部署にどの程度採用されたかは、資料の欠落により完全には確定していない[13]。
晩年と死去[編集]
舩山はごろから、若手向けの簡易講習を中心に活動した。講習は座学よりも“紙の表を折って覚える”方法に重点が置かれ、受講者には折り目の数まで課されたという。講習資料では折り目を「合計、ただし最終講はに減らす」と明記されているが、運用の自由度が高かったためか、異なる版も残存している[14]。
晩年、舩山は海から遠ざかったが、家の裏庭に小型風見を置き、毎朝6時に記録をつけたとされる。彼の死因については、呼吸器疾患だったとする説が多い一方で、長年の夜間観測が原因だとする噂もある。ただし、遺族が残した手紙の断片では「計算のしすぎより、雨宿りの回数が多かった」と読める一文があるとされ、いくぶん詩的に処理されている[15]。
舩山は9月3日、で死去したとされる。葬儀では達式潮風表の縮刷版が配られ、参列者は読めない字面を指でなぞったという。これが“舩山の計算は、読むというより触れるものだった”という伝説を補強したとも考えられている[16]。
人物[編集]
舩山 達は、几帳面であると同時に、現場の癖を優先した人物である。彼は会議で数式を提示する際、必ず先に「紙の端を指で押さえる位置」を説明したとされる[17]。そのため、学術的な議論よりも、机上での再現性が高いかが重視されたという。
逸話としては、達式潮風表の索引を作るときに、原稿用紙の裏をまで改稿し、そのたびに海面の色を別名で書き分えたという話が残る。さらに、彼は“数字が勝手に一人歩きする”ことを恐れ、講演では必ず「この係数は、当日の気象の癖に依存する」と前置きしたとされる[18]。
一方で、本人の性格は単純に保守的だったわけではない。舩山は、計算機の普及期に「電卓は神託ではない」として、桁落ちの検算手順を表に組み込むよう要求した。検算の“合否”をで色分けする案が出されたが、職場の色覚問題が判明し、結果的に「赤=正解、青=要再計算」ではなく「赤=即採用、灰=翌朝再確認」に変更したと伝えられる[19]。
業績・作品[編集]
舩山の業績は、達式潮風表の体系化に集約される。達式潮風表は、風向偏角と海流慣性を組み合わせて、出港後の再到達点を算出するための手順書兼表である。特徴として、通常の気象表が“観測→予測”の一本道であるのに対し、達式は「予測が外れる前提で、外れ方を吸収する」設計思想があったとされる[20]。
代表作としては、講習用小冊子『達式潮風表:三時間確定編』が知られる。初版はに刊行されたとされ、体裁は縦の折本であったという。ところが、当時の印刷所の事情で紙が湿りやすく、濡れたときにインクがにじむため、舩山は“にじんでも読み取れる数字だけを採用する”方針を取ったとされる。これにより、同書の数字は丸く、意図的に判別しやすくなっていたと回顧されている[21]。
また、論文形式の『即時計算法の現場適用論(第2巻第3号相当稿)』も残るとされる。これは、学会誌に掲載されたというより、海運会社の社内報『航走通信』に連載された原稿を後年にまとめ直したものだとする説が有力である[22]。さらに、彼が「達式には余白が多いほど正しい」と言ったとする証言もあり、表の余白には「翌日の検算のための仮メモ枠」が組み込まれていたと説明される[23]。
後世の評価[編集]
後世の評価では、舩山は“理論屋ではなく、再現性屋”として位置づけられることが多い。海上測量史の概説では、達式潮風表が計算の速度を上げた点が強調され、現場では「検算が速いほど事故が減る」といった実務的な言い回しで引用されたという[24]。
一方、批判的な評価も存在する。達式が現場で便利だったことは認めつつも、係数の由来が“現場の癖”に依存するため、異なる海域へ持ち出す際に誤差が増えるとする指摘がある。実際に、の研修報告書では、遠洋航路での再計算において平均誤差が増えたとされる(ただし報告書自体の資料性には疑いも残る)[25]。
それでも、舩山の功績が忘れられていないのは、達式潮風表が“現場の手順”として設計されたためだと考えられている。大学の授業で扱われた際も、数式そのものより「計算を誰がどの順でできるか」に焦点が当てられ、方法論として残った面が大きいとされる[26]。
系譜・家族[編集]
舩山家の系譜は、本人の記録と遺族の手紙断片をもとに復元されたとされる。舩山には二人の兄と一人の弟がいたとされるが、兄弟の名前は資料により揺れがあるとされる[27]。ただし、共通して確認されるのは「海に近い仕事を選ばせるより、手元の工夫を褒める家風」であったという。
舩山の妻は福山市出身の製図職人、であると伝えられる。小松は達式潮風表の索引作成に協力し、“見出しの高さは指先の角度で決める”といった独自のこだわりを持っていたとされる[28]。このため、達式の版面は独特の余白配分を持つと言及されることが多い。
舩山の子息については、長男が測量補助員として海運会社に勤務し、次男が気象観測所の書記になったという二系統の伝承がある。家族の証言では、長男が計算表を食卓に置いて叱られた回数が「合計」だったとされるが、これは後年に増幅した可能性があると研究者が付記している[29]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 舩山記念会『達式潮風表の設計思想:三時間確定編の成立』舩山記念会出版局, 1978.
- ^ 山口正義『海上測量における現場手順の優位性』海事技術研究会, 1984.
- ^ Margaret A. Thornton『Practical Nautical Prediction in Pre-Computing Era』Institute of Maritime Analytics, 1991.
- ^ 佐伯慎太郎『気象海流の即応係数とその運用』航走学会誌, Vol.12 No.3, 1959, pp.41-66.
- ^ 池田岑雄『折本形式による学習効率—舩山達の余白設計』教育工学研究, 第7巻第2号, 1967, pp.15-29.
- ^ Klaus R. Wernicke『On the Fate of Coefficients When Tables Travel』International Journal of Applied Meteorology, Vol.28 No.1, 2002, pp.3-22.
- ^ 中村葉子『海運会社社内報から読み解く戦前技術史(架空資料の検証を含む)』技術史通信, 第19巻第4号, 2009, pp.101-138.
- ^ 鈴木孝介『即時計算法の現場適用論(第2巻第3号相当稿)』航走通信編集部, 1940.
- ^ 田所良介『達式の誤差:遠洋航路で何が起きたか』海事統計年報, 第33号, 1966, pp.77-95.
外部リンク
- 舩山達記念資料室
- 航走通信デジタルアーカイブ
- 海上測量講習アーカイブ
- 潮風表折本コレクション
- 瀬戸内波面観察メモ