荒城の月シンセサイザーRemix
| 別名 | 月面再構築版、城郭波形化、AOKリミックス |
|---|---|
| 起源 | 1978年頃のNHK技研周辺 |
| 関連作品 | 放送用ジングル、教育番組BGM、テープ音楽 |
| 主な媒体 | LP、カセットテープ、業務用オープンリール |
| 主要技術 | VCO、リングモジュレーション、逆再生編集 |
| 代表的施設 | NHK放送技術研究所、練馬文化センター地下試聴室 |
| 流行期 | 1981年-1987年 |
| 再評価 | 2000年代後半以降のネットアーカイブ文化 |
荒城の月シンセサイザーRemix(こうじょうのつきシンセサイザーリミックス)は、明治末期の唱歌「」をおよびによって再構成したとされる、日本の音響実験文化の一分野である。一般には後半の放送局内研究から発展したものとして知られている[1]。
概要[編集]
荒城の月シンセサイザーRemixは、作曲とされる唱歌「」の旋律断片を、の発振波との環境音で再設計した音楽形式である。とくに城跡の石段を模した低域反復と、月光を表すとされた高域のビブラート処理が特徴とされている[2]。
この形式は、単なる編曲ではなく「歌詞の消失後に残る情緒を波形で再現する」ことを目的にした実験として位置づけられ、当初はNHKの深夜実験枠や、地方のFM試験放送で散発的に使用された。また、制作現場では「AOK」と略されることが多かったが、これは「Aural Oukoku Kernel」の略であるとする説と、「Akijiro Overdrive Kyoto」の略であるとする説が併存している[3]。
歴史[編集]
成立以前の背景[編集]
起源はに東京都渋谷区の旧放送会館で行われた公開試聴会にさかのぼるとされる。ここで担当のが、唱歌を電子音で置換する際に「旋律の古典性は、音色ではなく減衰曲線に宿る」と発言した記録が残っている[4]。この発言は当時ほとんど注目されなかったが、のちに関係者の回想録で神話化された。
一方で、には千代田区の某出版社が、教育用ソノシートに収録するための簡易版を試作した。試作ではの前身機材と、弁当箱ほどの自作フィルターボックスが併用され、演奏時間はに圧縮されたが、終盤の月光表現が過剰で「理科教材にしては泣ける」と校正者が書き添えたという。
放送局内実験の時代[編集]
、の若手技師であったとは、深夜の試験放送向けに「古典唱歌の未来化」シリーズを開始した。その第4回として制作されたのが荒城の月シンセサイザーRemixの原型であり、系のモノフォニック音源を4台重ね、さらにを遅延に固定して石垣の遠鳴りを再現したとされる[5]。
この試作版は、局内では「城の音がする」と好評であった一方、技術部の一部からは「曲名よりも回路図の方が情緒的である」と批判された。なお、同年の試聴記録によれば、被験者のが「懐かしいが、元を思い出せない」と回答し、が「月というより天井裏」と答えたというが、調査票の残存状況が不完全であり、要出典とされている。
制作技法[編集]
本作の制作技法は、一般的なリミックスと異なり、メロディーをサンプルとして切り貼りするのではなく、旋律を「城郭の構造物」と見なして再配置する点に特徴がある。具体的には、主旋律を天守、伴奏を石垣、装飾音を櫓の鳴りに対応させ、各パートに異なるフィルター処理を施したとされる。
とくに有名なのは「月輪パッチ」と呼ばれる設定で、のローパスに微弱なホワイトノイズを混ぜ、付近をわずかに持ち上げることで、夜霧の中で聞いたような質感を与える手法である。制作ノートには、最後の和音での残響時間をに設定し、「城跡が見えなくなるまで響かせること」と書かれていたという[8]。
なお、初期版ではの揺れが大きすぎて踊れる曲になってしまい、関係者が修正に苦心した。結果として現在知られる版は、意図的にわずかなテンポの崩れを残した「不整合の美学」に基づいており、これが後の系リミックスに影響したとする見方がある。
受容[編集]
当初の受容は限定的であったが、1980年代後半になると、受験雑誌の付録ソノシートや地方局の天気予報BGMに断片が使われるようになり、知らぬ間に耳にした者が増えた。とりわけ東北地方の一部では、雪見の季節に本作がかかると「今年は城がよく鳴る」と言う慣習が生まれたとされる[9]。
また、音楽批評の分野では評価が分かれた。保守的な評論家は「唱歌の品位を電子回路で薄めた」と批判したが、実験音楽の側からは「明治の叙情を21世紀以前に先取りした奇妙な成功例」として称揚された。1986年のでは、読者投票で年間4位に入り、1位が、2位がであったことからも、当時の好奇心の方向性がうかがえる。
一方で、学校教材としての利用も試みられたが、児童の一部が旋律よりも低音の振動に反応して給食室へ移動してしまう事例が報告され、現場では「情操教育には向くが、昼休みの導線には向かない」と整理された。
批判と論争[編集]
最大の論争は、原曲との距離があまりにも大きい点にあった。とくに1991年、横浜市のシンポジウムでのが「この作品は荒城の月ではなく、荒城の月を聴いた後に眠った人の夢である」と述べ、会場が半ば沈黙したまま終了したという[10]。
また、使用されたテープ素材の一部が別番組の棚卸し用音源と誤混入していた疑いもあり、終盤の風切り音が実はの空調だったのではないかという指摘がある。これについて制作側は「空調もまた現代の月光である」と回答したと伝えられるが、文書での確認はされていない。
さらに、2000年代の再発盤では、ボーナストラックとしての無音トラックが追加され、愛好家の間で賛否が割れた。支持者は「沈黙こそ完成形」と述べたが、批判的な論者は「盤面の経済性を欠く」と評した。
脚注[編集]
[1] 佐伯瑠璃子「試験放送における唱歌電子化の諸条件」『放送技術季報』第14巻第2号、1982年、pp. 41-58。
[2] 高瀬一雄「夜間残響と郷愁波形の相関」『音響文化研究』Vol. 7, No. 1, 1980, pp. 12-19。
[3] 『AOK命名録 1978-1984』日本音響資料協会、1991年。
[4] 牧野道隆『減衰曲線と明治唱歌』中央試験出版、1974年、pp. 88-93。
[5] R. Thornton, “Tape Delay and the Castle Image,” Journal of Broadcast Experimentation, Vol. 22, No. 4, 1981, pp. 201-214.
[6] 大島由紀「カセット流通圏における深夜音源の移動」『現代メディア史』第9号、1986年、pp. 55-70。
[7] 国立国会図書館音源部『未整理盤目録 第3集』2021年、pp. 146-149。
[8] 山村礼子『波形と城郭意匠』青樹館、1987年、pp. 21-27。
[9] 北海道郷土放送史編纂委員会『雪見番組と地域習俗』地方資料叢書第18巻、1994年、pp. 103-111。
[10] 相沢紀彦「唱歌の夢見論」『民俗音楽と電子音』第11巻第3号、1992年、pp. 7-15。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯瑠璃子「試験放送における唱歌電子化の諸条件」『放送技術季報』第14巻第2号、1982年、pp. 41-58.
- ^ 高瀬一雄「夜間残響と郷愁波形の相関」『音響文化研究』Vol. 7, No. 1, 1980, pp. 12-19.
- ^ 牧野道隆『減衰曲線と明治唱歌』中央試験出版、1974年、pp. 88-93.
- ^ R. Thornton, “Tape Delay and the Castle Image,” Journal of Broadcast Experimentation, Vol. 22, No. 4, 1981, pp. 201-214.
- ^ 大島由紀「カセット流通圏における深夜音源の移動」『現代メディア史』第9号、1986年、pp. 55-70.
- ^ 山村礼子『波形と城郭意匠』青樹館、1987年、pp. 21-27.
- ^ 国立国会図書館音源部『未整理盤目録 第3集』2021年、pp. 146-149.
- ^ 相沢紀彦「唱歌の夢見論」『民俗音楽と電子音』第11巻第3号、1992年、pp. 7-15.
- ^ J. M. Bell, “Reconstructing Meiji Sentiment with Voltage-Controlled Oscillators,” Sound Studies Review, Vol. 5, No. 2, 1990, pp. 77-90.
- ^ 『AOK命名録 1978-1984』日本音響資料協会、1991年。
- ^ 森下悠子『深夜試験放送と都市の孤独』影書房、2008年、pp. 131-148.
外部リンク
- 日本音響資料協会アーカイブ
- 深夜放送研究センター
- 月光電子文化館
- 城郭音響保存会
- 試験放送年表データベース