裏横浜
裏横浜(うらよこはま)とは、の中心部の背後にあるとされる都市伝説の一種である[1]。表向きの周辺とは別に、夜間だけ現れる“もう一つの横浜”に関する噂として知られている[1]。
概要[編集]
裏横浜は、のにまつわる都市伝説であり、港湾都市としての明るい観光イメージの背後に、地図に載らない裏路地群が広がっているという言い伝えである。とくにからにかけて、終電後にだけ現れる商店街、看板の字が左右逆になる路地、同じ交差点を三度横切ると別の町に出る、などの怪奇譚が多い[1]。
一般には、を中心とする再開発の影で生まれた噂が、の造成期に拡大し、末には上で全国に広まったとされる。もっとも、伝承の核になっているのは、港町特有の「裏通り」「抜け道」「倉庫街」のイメージであり、いわゆる都市伝説としての正体は、土地の変化に取り残された記憶の集積と解釈されることが多い[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
裏横浜の起源は、後半に周辺で目撃された「地図にない喫茶店」にさかのぼるという説がある。これは、港湾労働者向けの深夜営業施設を訪れた者が、同じ席に座っていたはずの客が会計時には全員消えていたと証言したもので、地域の新聞が小さく取り上げたことから噂が定着したとされる[3]。
一方で、より有力とされる説では、の工事に伴う仮設通路の迷路化が、裏横浜の原型を作ったとされる。工事関係者の間で「出口を間違えるとではなく、普段は閉鎖された倉庫街に出る」という話が交わされ、これが一般市民向けに脚色されていったというのである。なお、この説には工事記録と合わない日付が含まれているとの指摘がある[要出典]。
流布の経緯[編集]
になると、裏横浜は周辺の観光客向け土産店で売られた「裏横浜地図」とともに急速に広まった。地図には、実際には存在しないの支線や、からの裏手へ抜ける“消失階段”が描かれており、購入者の間で「夜に試すと帰れなくなる」と話題になった。
頃には、パソコン通信の掲示板に「裏横浜でしか繋がらない回線」という投稿が現れ、これが掲示板で増幅したとされる。特に、深夜3時13分にでアクセスすると、ブラウザのタイトルバーに見慣れない繁体字が出るという話が人気を集め、地方紙の読者投稿欄にも波及した。これにより、裏横浜は単なる怪談ではなく、通信障害と結びついた現代的な都市伝説として定着したのである[4]。
噂に見る人物像[編集]
裏横浜の伝承には、しばしば「案内人」と呼ばれる人物が登場する。これは黒い革靴にの旧式腕章をつけ、終電後の路地でだけ現れる中年男性で、道に迷った者に対し「ここから先は表に戻れない」と告げるという。年齢は40代から70代まで証言がばらつき、顔を見た者がほとんどいないため、都市伝説上の妖怪に近い存在とみなされている[5]。
また、の改札にいるとされる「無言の駅員」もよく語られる。彼は切符ではなく、古いを差し出すとだけ頷き、受け取った者を裏横浜行きの階段へ導くという。もっとも、実際に階段を下りたと証言する者の多くは、の地下駐輪場に出たにすぎないと後に訂正しており、この点が伝承の曖昧さをよく示している。
さらに、裏横浜には「笑う女学生」の目撃談もある。これは後期の制服を着た少女で、の高層ビル群を背景に写真に写るが、現像すると本人だけが逆方向を向いているという話である。学校の怪談の一種ともされるが、横浜港の夜景文化と結びついた点に独自性がある。
伝承の内容[編集]
裏横浜では、夜のとのあいだに、看板の文字が左右反転した飲食店街が現れるとされる。そこでは同じメニューを頼んでも、客によって値段が1桁違い、支払いを終えるとレシートに「表計算済」とだけ印字されるという。こうした細部の奇妙さが、噂の説得力を高めている。
また、の高台にある旧洋館群では、窓越しに“別の港”が見えるという言い伝えがある。海の位置が実際の地形と逆転し、汽笛の音だけが先に聞こえるとされるが、目撃者の多くは「潮の匂いが強かった」と述べるにとどまる。このため、気象条件による幻覚と怪談が混ざったものではないかとの見方もある。
裏横浜の核心とされる現象は、「戻り階段」である。これは、の繁華街にある古い階段を深夜に上ると、途中から踊り場が1段増え、最後にたどり着く先が必ず別の通りになるというものだ。地元の古老は、これを後に作られた仮設通路の名残と説明するが、夜間の目撃談では、同じ階段を下りたはずの人物が側から出てきたという話もある。
委細と派生[編集]
派生バリエーション[編集]
裏横浜には、地域ごとに複数の派生が存在する。代表的なのは「裏みなとみらい」で、これは夜間にだけ灯る無人の観覧車が現れ、乗ると市街地がすべて倉庫に見えるという都市伝説である。また「裏中華街」は、通常の店とは異なり、注文票に記された漢字が食後に一文字ずつ消えるとされ、食事を終える頃には自分の名前まで薄くなるという。
さらに、方面には「裏高島線」という変種があり、線路沿いを歩くと、貨物列車が通過した直後に同じ場所へ戻されるという。これらの派生は、港湾・鉄道・観光の三要素が交差する横浜独特の都市構造を反映したものとされる。
地域差と語り手[編集]
地元で語る者は、裏横浜を「怖い場所」ではなく「見落とされた裏口」として扱う傾向がある。たとえば、商店街の店主は「うちは表通りではないが、裏横浜の入口ではある」と冗談めかして語ることがあり、この半ば公認された雰囲気が、他地域の怪談と異なる点である。
一方で、の証言はより怪異的で、の方向から突然風向きが変わり、スマートフォンの地図アプリが2分ほど遅れて更新されるという話が多い。この“時差”こそが裏横浜の正体だという説もあり、古い港湾地図の誤差を怪談化したものとみる研究者もいる。
噂にみる対処法[編集]
裏横浜に迷い込んだ場合の対処法としては、まずの方向を見ないことが挙げられるという。理由は定かでないが、スタジアムの照明を一度見上げると、次に振り返った際に路地の数が1本増えると伝えられている。また、路面に落ちたの広告を拾ってはいけないとも言われ、裏面に「帰路」と書かれていた場合は、持ち主の記憶が数時間分抜けるという。
最も有名な方法は、のシウマイ弁当を未開封のまま持ち歩くことである。これは横浜の食文化に根ざした護符のように扱われ、弁当の醤油入れがぬるくならない限り裏横浜は作用しないとされる。ただし、ある調査では、この方法を試した12人中9人が「普通に空腹で帰宅した」と回答しており、効験には個人差がある[6]。
なお、地元の古い言い伝えでは、道に迷ったらの方角を3回だけ叩いてから「表に帰る」と唱えるとよいとされる。もっとも、これを実行した結果、近くの自動販売機が返金モードになっただけだった、という目撃談も残る。
社会的影響[編集]
裏横浜は、実在の地理認識に影響を与えた都市伝説として知られている。特にからにかけて、夜の横浜を歩く若年層の間で「裏を探す散歩」が小さなブームとなり、商店街の深夜営業やタクシー利用が増加したとされるの内部資料がある[7]。一方で、深夜徘徊を助長するという批判もあり、一部の学校では「裏横浜に行ったことがある」と書くと生活指導の対象になったという。
また、都市計画の説明会では、再開発地区の住民が「ここは裏横浜化しないのか」と質問したことがあり、以来、商業施設の設計図に“見通しの良い回廊”を増やす配慮が入るようになったという説がある。これは半ば冗談として語られるが、迷路化を防ぐ思想が実務に影響した例として興味深い。
文化・メディアでの扱い[編集]
裏横浜は、番組や深夜ラジオでたびたび取り上げられた。とくにに放送されたローカル番組『港のうしろ側』では、の古書店主が「昔、裏横浜行きの案内札を見た」と語り、放送後に番組宛ての投書が47通届いたとされる。中には、同じ映像の中で観覧車だけが1回多く回っていたと主張するものもあった。
漫画や小説では、裏横浜はしばしば“現実のすぐ裏にある別世界”として描かれる。なお、頃には動画投稿サイト上で「裏横浜検証動画」が流行し、深夜の路地を歩くだけの映像が数十万回再生された。もっとも、視聴者の多くは「ただの夜景だった」とコメントしており、それでもなお噂が消えなかった点に、都市伝説としての寿命の長さが示されている。
脚注[編集]
[1] 横浜地域民俗研究会『港町怪異伝承集成』神奈川文化資料社, 2008年, pp. 41-46. [2] 塚田英樹「都市再開発と夜間伝承の接合点」『横浜民俗学報』第12巻第2号, 2011年, pp. 18-29. [3] 佐伯倫太郎『高島町夜話』東湾書房, 1997年, pp. 112-119. [4] Margaret A. Thornton, “Network Ghost Stories in Post-Industrial Ports,” Journal of Urban Folklore, Vol. 8, No. 3, 2001, pp. 77-94. [5] 小野寺真一「駅員像の変容と案内人伝承」『交通怪談研究』第4号, 2009年, pp. 5-21. [6] 横浜市港湾生活文化調査室『深夜徘徊と軽食の相関に関する聞き取り報告』内部資料, 2006年. [7] 横浜市観光協会『夜間回遊行動と都市イメージの変化』調査メモ, 2004年. [8] 鈴木一成『裏路地の社会史』みなと出版, 2015年, pp. 203-214. [9] Hiroshi Kanda, “Reversed Signboards and Urban Anxiety,” Studies in Japanese City Legends, Vol. 2, 2014, pp. 1-19. [10] 田端美咲「“裏”の語彙が生む共同幻想」『現代口承文芸』第19巻第1号, 2018年, pp. 88-103.
参考文献[編集]
山本久美子『港町の怪異と記憶』青灯社, 2009年.
Edward P. Collins, Urban Legends of the Pacific Rim, Harbor Press, 2012.
中村俊介『横浜の裏通り文化史』海鳴書房, 2014年.
Aiko Reynolds, “When the City Turns Back: Backstreets in Modern Folklore,” Folklore Review, Vol. 56, No. 4, 2016, pp. 201-233.
『神奈川の都市伝説アーカイブ』県立民俗資料館編, 2020年.
木村佑介「夜間景観と怪談の相互作用」『都市文化研究』第9巻第3号, 2017年, pp. 54-68.
Haruto Miller, The Hidden Side of Yokohama, Eastport Academic, 2019.
藤沢あかり『反転する地図、迷う港』港湾文化研究会, 2021年.
Naomi Bennett, “Train Lines to Nowhere: Folklore and Infrastructure,” Journal of Contemporary Myth, Vol. 11, No. 1, 2022, pp. 9-27.
宮本蒼『裏横浜事典』青潮文庫, 2023年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 横浜地域民俗研究会『港町怪異伝承集成』神奈川文化資料社, 2008年, pp. 41-46.
- ^ 塚田英樹「都市再開発と夜間伝承の接合点」『横浜民俗学報』第12巻第2号, 2011年, pp. 18-29.
- ^ 佐伯倫太郎『高島町夜話』東湾書房, 1997年, pp. 112-119.
- ^ Margaret A. Thornton, “Network Ghost Stories in Post-Industrial Ports,” Journal of Urban Folklore, Vol. 8, No. 3, 2001, pp. 77-94.
- ^ 小野寺真一「駅員像の変容と案内人伝承」『交通怪談研究』第4号, 2009年, pp. 5-21.
- ^ 横浜市港湾生活文化調査室『深夜徘徊と軽食の相関に関する聞き取り報告』内部資料, 2006年.
- ^ 横浜市観光協会『夜間回遊行動と都市イメージの変化』調査メモ, 2004年.
- ^ 鈴木一成『裏路地の社会史』みなと出版, 2015年, pp. 203-214.
- ^ Hiroshi Kanda, “Reversed Signboards and Urban Anxiety,” Studies in Japanese City Legends, Vol. 2, 2014, pp. 1-19.
- ^ 田端美咲「“裏”の語彙が生む共同幻想」『現代口承文芸』第19巻第1号, 2018年, pp. 88-103.
外部リンク
- 横浜都市伝説アーカイブ
- 港町怪談調査室
- 夜間地図研究会
- 裏路地口承文芸センター
- 関東怪異伝承データベース