裸のヤンヤンボー
| 分野 | 民俗芸能・地域祭礼 |
|---|---|
| 起源とされる時期 | 18世紀末〜19世紀初頭(とする説) |
| 主な舞台 | 周辺の沿岸部(とされる) |
| 実施形態 | 合図太鼓と掛け声を用いる踊りの一連 |
| 関連資料の所在 | 町史・寄席番付・港町の帳面 |
| 論争点 | 性的表現の解釈と、猥雑性の線引き |
| 制度上の扱い | 町内会規約で「無用の誇張」を禁じる条項があるとされる |
裸のヤンヤンボー(はだかの やんやんぼー)は、民俗芸能の形式名として扱われることがある娯楽的パフォーマンスである。地域の祭礼に結びつく形で語られてきたが、成立過程は学術的に複数の説が提示されている[1]。
概要[編集]
裸のヤンヤンボーは、祭礼の夜に行われるとされる「掛け声」と「短い踊り」を中核とした民俗的パフォーマンスである。参加者が衣装を大幅に簡略化することから、視覚的な誇張が名前に反映されたと説明されることが多い[1]。
一方で、実際には全裸を必須とするものではなく、「裸」は比喩(=飾りの剥落)として理解されるべきだ、とする民俗研究家もいる。また、町の帳簿に登場する用語「ヤンヤンボー」は、踊りそのものよりも、合図のリズム(ややん、ややん)を指した可能性があるとされている[2]。
名称と構成[編集]
名称の後半要素であるは、港町の船乗りが合図に用いた「短点反復」を連想させる語として記録に残ることがある。とくにの沿岸部で聞かれた「やんやん(進め)」「ぼー(止まれ)」を、後世の記録者が誤って一語化したのではないか、と推定されている[3]。
形式の構成は、(1) 予告太鼓(3回)、(2) 低い足踏み(7拍)、(3) 叫びの応酬(11文句)、(4) 最後に「無礼講」の合図、という4段階で記述されることがある[4]。この数字設定は各地で微妙に変動するが、町史の編者による「整った語呂」への補正が入っていると指摘される場合がある。
なお、衣装については「裸」をどう解釈するかで議論が分かれる。帳面上では、参加者が「紐一本で区別された」と書かれている例があり、これは“人を識別するための印”に過ぎないとの説明がなされている[5]。ただし、別の寄席番付では「裸」と断定的に表記され、視聴者側の受け止めが強く出たことが示唆されている。
歴史[編集]
成立の“もっともらしい”物語:海難訓練からの転用説[編集]
最も広く引用される説では、裸のヤンヤンボーは海難時の訓練を娯楽に転用したものだとされる。起点として挙げられるのは、の港町で実施された「夜間整列法」である。海上保安の前身組織に相当する(仮称)が、見張りの合図を統一するために“ややん・ややん”の反復リズムを導入したのだという[6]。
その後、訓練の終了後に観衆が拍手する場面が定着し、やがて「拍手の代わりに掛け声を返す」習慣に変化したとされる。町内会の保存文書には「拍手は人数分だけ数えるのが誤りである」との注意書きが残っており、代替として11文句の応酬が設計された、と説明される[7]。ここで数字が整えられたのは、記録係が算用書の余白に書き込んだことに由来すると、後年の編纂者が述べたとされる。
さらに、衣装の簡略化は“濡れた布が足を縛る”事故を減らすために採用されたとされるが、後世の観客が「勇ましさ」を性的な印象へと読み替えたため、「裸」という強い語が定着した、という筋書きで語られることが多い。
19世紀末の“流行編集”と町史の改ざん疑惑[編集]
19世紀末、を名乗る文人グループが、地域芸能を“科学っぽく”整える編集運動を行ったとされる。この運動の目標は「民俗を音階で分類する」ことであり、その結果として裸のヤンヤンボーの応酬が「11文句」に定式化された、と推定されている[8]。
ただし、この定式化には改ざん疑惑がつきまとっている。たとえばの旧家に残る帳面では、ある年の文句数が本来は「9」と書かれていたのに、町史の刊行後に「11」に書き換えられた痕跡がある、と報告されたとされる[9]。もっとも、この報告は“付箋の色”に基づくため要出典とされることがあり、学者の間では慎重な扱いが求められている。
また、流行編集の副作用として、祭礼の観客が「決まった文句」を暗唱するようになり、現場が“生きた口承”から“暗記芸”へ寄っていった、という評価もある。これにより、地域の若者が訓練の目的(安全合図)を忘れ、パフォーマンスが空転した時期があったとする指摘が見られる。
昭和期の再演と行政文書の“言い換え”[編集]
昭和期には、祭礼を所管する行政側が“誤解を招く表現”を避けようとし、名称の言い換えが行われたとされる。たとえば内の複数町で「ヤンヤンボー」を残しつつ「裸」の語を「素手の踊り」「衣装簡略の隊列」へ差し替えた記録があるという[10]。
この差し替えは、表向きには児童への配慮として説明されたが、当事者の証言では「監査官の好み」が影響したとされる。監査官が“言葉の角”を嫌うタイプだったため、書類上は角を丸めた、という噂が残っている[11]。この噂は同時代の回覧文書には直接書かれていないものの、同じ年に“無礼講”という語が別の漢字(俗字に近い表記)へ変えられていることから整合性があると論じられた。
なお、再演の際の合図太鼓は「3回」から「4回」へ増やされたという地域もあるが、その年の参加者数が「47人」と記録されていたため、合図を増やすことで“偶数の不安”を払う占いが混入したのではないか、とする説もある[12]。
社会的影響[編集]
裸のヤンヤンボーは、地域の結束を強める一方で、外部の観光客には“刺激的な祭り”として受容されたとされる。町の商店会では、屋台の売上が「前年同月比で+18.6%」になったと記録されている例があり、夜の演目を前提に準備が組まれたことが示唆される[13]。
また、言葉の独り歩きも指摘されている。祭りの外で「ヤンヤンボー」という合図だけが模倣され、学校の運動会のリレーで「やんやん、ぼー」を掛け声にした、という逸話が残る[14]。このような二次利用は安全面で問題にならなかったわけではなく、当時の教育委員会が「ふざけた手拍子は危険」として注意を促した、と説明されることがある。
加えて、衣装簡略の比喩が“身軽さ”として再解釈され、労働安全のスローガンに転用された時期もある。たとえばの港湾近辺で掲示された標語が「裸は武勇ではなく自由度である」と読める形で引用され、寓意として流通したとされる[15]。ここでは“裸”が性的な意味から離れ、道具や手順の改善としての意味を帯びた点が特徴である。
批判と論争[編集]
批判の中心は、裸のヤンヤンボーがどの程度まで露骨に性的イメージを誘導するのか、という点にある。特に、祭礼の動画が出回り始めた時代には、衣装簡略の実態よりも「裸」の語が先に注目され、文脈が削がれたとの指摘がある[16]。
一方で擁護側は、比喩としての「裸」を強調し、むしろ“安全のために濡れた衣装を避けた結果”として理解すべきだと主張する。実際、行政側が言い換えを試みた経緯は、過激さを抑える方向に働いた可能性があるとされる[17]。
ただし、論争は完全には沈静化していない。町史の編纂方針に「外部読者の興味を引く語彙」を優先させる傾向があったのではないか、と疑う声もある。また、11文句のうち1つが差し替えられた可能性を示す“句読点のずれ”が、研究者の間で小さな争点として挙げられたこともある(要出典とされた資料も存在するとされる)[18]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中啓太『港町の合図と口承:ややん反復の系譜』海潮書房, 1998.
- ^ M. A. Thornton『Rhythm as Instruction in Coastal Rituals』Cambridge Maritime Studies, 2003.
- ^ 山脇清一郎『町史編纂の裏側:数字の整形と編集倫理(第2版)』文榮社, 2007.
- ^ 佐藤瑞穂「掛け声学会と19世紀末の“科学化”運動」『民俗音響研究』第12巻第3号, pp. 41-63, 2011.
- ^ 鈴木和真『寄席番付の言い換え慣行:言葉が踊りを作る』明朗堂, 2015.
- ^ 静岡県文化振興課編『地域祭礼記録の保存方針(簡易版)』静岡県庁, 1976.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Repetitive Calls and Crowd Behavior in Night Festivals』Vol. 8, pp. 12-29, 2006.
- ^ 大漁警衛局『夜間整列法作法書:別冊(抄録)』大漁警衛局出版部, 1922.
- ^ 小林悠介『紐一本で解く衣装史』砂浜出版社, 2001.
- ^ 矢島真琴『無礼講の再定義と行政文書の語彙調整』『社会言語学年報』第5巻第1号, pp. 88-109, 2018.
- ^ (書名に誤記があると指摘される)『裸のヤンヤンボー資料集』夜鷹学術文庫, 1989.
外部リンク
- 港町リズム資料館
- 民俗音響アーカイブ
- 祭礼記録デジタル文庫
- 町史編纂者のための注釈集
- 沿岸安全教育アーカイブ